だって、今を逃したら
「何やってるんですかーっ!!」
キィン、と
屋敷中に響き渡った声にザンザスはひそめていた眉を更に深く寄せたのだった
時は少し遡る
その日は普段と変わらない天気、変わらない朝の挨拶から骸の一日は始まった
起きて、着替えて、降りて、食べる
違ったのは朝食を食べている時に最早恒例行事となったフランとベルフェゴールの喧嘩を眺めながら思いついたこと
オッドアイでぐるっと食堂を眺めれば青筋を浮かべたスクアーロに一人黙々と食べているレヴィ、状況を心から楽しんでいるルッスーリアに我関せずと離れた位置に座っているマーモンが目に留まる
逆を言えば他にはいないということで
「………きょうもザンザスはいませんか」
そう、骸がヴァリアーに来てから数日
挨拶に行ったあの日以来、骸はザンザスを目にしたことがなかった
初対面の印象からしても現在食堂で繰り広げられている喧騒を嫌いそうな質ではあったがあっぱれなくらい徹底して、だからどうと言った理由はないのだが気になるものは気になる
一口サイズにちぎったパンを口にほうり込んで咀嚼し、冷めかけた紅茶で流し込む
「(ザンザスのへやはたしか………)」
いけないことは、ない
案内して貰った時の記憶を手繰り寄せていた骸は一つ頷くと残りの朝食を手早く食べて椅子から飛び降りる
騒ぐ彼らの意識に骸は入っていない
「(ごめんなさい、フラン、ベル、マーモン)」
骸は自分の世話役に心の中で一言謝ってからそろりと食堂を抜け出して、一歩、また一歩と歩いてから小走りに変えて走り出す
この機会を逃すとあの三人からは逃れられないと身に染みて知っていた
それが嫌なわけではない、と骸は走りながら心に呟く
分からないだけなのだ、どうして見返りもなくそうしてくるのか
必要のない温もりを与え続けて何の意味があるのかと嘲笑いたいのに嘲笑えないのは何故なのか
多くが任務に出払っているのだろう
しんと静まり返った廊下を人目もないので全速力で駆けながら、分からないと言えばと角を曲がる
骸が幾ら言っても彼らは任務に同行させてはくれない
戦えると言っても駄目だの一点張りで聞く耳も持たない始末
ザンザスに伝えたら改善されるだろうかと思いついたそれがひどく妙案に思えた骸は、こうなったら牙が丸くなる前に直接頼み込むしかないとお目当ての扉で立ち止まり深呼吸を一つ
精一杯背伸びをして小さな手を伸ばすと扉を開けた
直後礼儀正しい骸はノックを忘れたと思うもザンザス相手にはあまり意味がないだろうと判断
廊下よりも暗く涼しい部屋に体を滑り込ませる
「ザンザス………?」
しん、と
廊下よりも重たく息苦しい静寂に、ザンザス?と骸の頼りない声が再度名前を呼ぶ
「いないんですか、ザンザス」
ぱたんと扉を完全にして問い掛けても応える声はない
すっと目を細めた骸は唇を引き結ぶとオッドアイを閉じ、気配を探ろうと神経を研ぎ澄ましーーー
「………なんだ」
低く、低く聞こえた声にぱっとオッドアイを向ける
部屋の一番奥に置かれた重厚なテーブルの向こう側、行儀悪く足を組んで一人掛けのソファーに身を沈めた姿が朝日をバックにして表情を隠す
目にすればどうして気がつかなかったのか分からない存在感を立ち込めさせた青年の足元には一匹のライオンが目を閉じて寝そべっている
「ザンザス!」
ともしなくとも誰もが恐れを抱く雰囲気と面構えをした青年に、しかし骸は一切怯んだ顔もしないで駆け寄るとテーブルに両手をついてザンザスを見上げた
瞳にあるのは子供が欲しいモノを欲しいとねだる無邪気なそれで
「ぼくもっ、にんむにつれていってください!」
「断る」
間髪入れない即答だった
上機嫌一転、むっとした顔をする骸をザンザスは見下ろしながら鼻で笑う
前世がどうあれ見た目は子供、あの当時の殺気を知っている者にはそれこそ子猫とライオンの差があった
如何に強かろうがザンザス達を納得させられないのでは話にならない
「用件はそれだけか、ガキ」
「………!が、ガキじゃありません!!」
「はっ、ガキはガキだ」
少なくともガキと言われて言い返している間は
むぅーっと唸る骸を珍しく気に入ったらしいベスターが鼻先を甘えるように押し付けているが機嫌は直らない
ザンザスに一刀両断されたことに腹を立てているのか、ガキと言われたことに怒っているのか
照明もつけていない薄暗い中、ザンザスは小さな体全身で怒る骸にやっぱりガキだなとため息を吐く
子猫が毛を逆立てているようにしか見えない
「フランとベルは何をやってる」
「けんかちゅうです」
「マーモンはどうした」
「われかんせずでごはんたべてます」
「……………」
世話役の意味がない
一気に機嫌を急降下させたザンザスに何故か骸は勝ち誇ったように堂々と答え、だからと身を乗り出す
「だからザンザスのところにきました」
「………あ?」
「だってザンザス、へやからでてきませんし」
わざわざあいにきたんです、よろこびなさい。と上から目線の発言にザンザスは口元を引き攣らせると首根っこを掴んで骸を釣り上げた
ひゃっ。と上がる声は無視
ぶらんとぶら下がった軽い体は本当に朝ご飯を食べてきたのかと疑うほど腕に負担がかからない
つまり、とザンザスは「おろしてくださいーっ」と騒ぐ骸を見る
つまりこの子供は任務の話は二の次で、ただザンザスに会いに来ただけらしい
真性の馬鹿か、よっぽどの強者か
「………はっ」
「わっ」
とん、と軽い体を元の位置に戻した膝の上に落とす
ザンザスに大した衝撃も与えられない無力な子供のオッドアイは何も知らずに不思議そうに首を傾げているだけ
ザンザス達が前世を知っていることを、この子供は知らない
何もかもを見透かしていた瞳にはまだ、見通すだけの知識がない
「ザンザス………?」
紅葉よりも大きく、ザンザス達よりは遥かに小さい手が過去に出来た凍傷の傷痕に恐る恐ると触れた
黙って払いのけないザンザスに大胆になった骸はもう片方の手も伸ばし、ザンザスはつよいですと仄かに笑う
「いたそうなのにザンザス、いたいっていいません」
「………痛くないからな」
「そうでしょうか」
過去よりも弱くなった、けれど透明でいて謎めきを秘めたオッドアイが真っ直ぐにザンザスへと尋ねる
その瞳がどうしようもなく、あの日ザンザスの企みを知っていて見逃した遠い記憶と重なって、気がつけば乱暴に頭を撫でていた
わわっと驚いたように首を竦める骸にザンザスは笑い、聞こえてきた慌ただしい足音に扉を見る
耳を澄まさなくても聞こえる、名前を呼ぶ声
どんどんと近づいてくるそれに眉を寄せたザンザスは膝に乗っている骸をたたき落とそうとしたが何処にそんな力があったのか、悪戯な顔をした骸にひしっとしがみつかれ膝の上の体温は動かない
そうして冒頭に、いたる
過保護No.1の叫び声はこの世の終わりを見たとでもいいたげで、迷惑そうな顔をするザンザスの膝に乗っていた骸はこてんと首を倒す
気が付けばいつの間にやって来ていたのか、全員がザンザスの部屋に集合していた
例外なく共通しているのは真っ青だということと叫び声を上げたこと
むー、と少しの間考える仕草をした骸は、けれど結局分からなかったらしい
諦めたように首を戻す
「けんかはおわったんですね。どっちがかったんですか?」
「喧嘩の結果より先に取り敢えずボスの膝から下りてくださーいっ!!」
子供らしい質問に二重の意味で絶叫し返すフランの後ろで全員がぶんぶんと首を縦に振る
でなければいつかザンザスに殺される
そしてフランが暴走する
「骸、王子達のとこ来いって」
「来なよ、骸」
「骸ちゃん、ボスは忙しいから」
ほら、早くとそれぞれがそれぞれに骸を一刻も早くザンザスから引き離そうと声をかける
その様子をまた不思議そうに眺めていた骸はザンザスを見、ベルフェゴール達を見、フランを見、ザンザスを見てにっこりと肩にかけてあるだけのコートを握って笑った
「いやです、きょうはザンザスとあそびます!」
『むくろーっ!?』
「駄目ですー!早く離れてくださいっていうか早く離れろボス」
「………本音が混ざったな」
「いやですっ!」
ツーンと視線をそらし、フラン達に背中を向けるとザンザスの首にしがみついた骸に何度目か分からない絶叫
もうすぐで何人かは倒れそうだ
明らかに確信犯と知っている間近で笑みを見たザンザスはしっかりと抱き着いて離れない体温に舌打ちをうつ
「離れろ」
「いやです」
だって、と骸が囁く
「ザンザスがひざにのせてくれるなんて、いまをのがせばぜったいしてくれません」
悪魔のように意地悪く、天使のように純粋な笑顔で
ザンザスの耳元で教えられた打算的な理由は今までで一番子供らしい願いだった
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