もう二度と






『知っていますか、おチビさん』



左目に青空と、右目には暁とも夕闇ともつかない色を眼窩に埋め込んだ師匠が読みかけの本をめくるのを止めて、本当に気まぐれにふっと視線を上げたかと思うと自分にだけはよく見せてくれるとことん意地の悪い、人を馬鹿にしたような笑みを優雅に浮かべて側に来いと呼び寄せた

尊大な態度がムカつくくらい似合うその人はちっとも優しくない眼差しで渋々近寄ってあげた自分の頭に手を置くと瞳を細めて「相変わらず小さいですね」なんて厭味を呟いてからため息を一つ

空いているもう片手をコートで隠された上腕部分に当ててから眉間を寄せ、訳が分からず不思議がって見上げていた自分を見下すように一瞥し、額に手を動かしたかと思えばどつく勢いで頭を殴ってきた



『お前は馬鹿ですか』

『馬鹿ってなんですかししょー』

『ああ、違いました。おチビさんは元々馬鹿でしたね』

『酷いですー、ただ………』



皮肉る言葉にムッとしながらも目を合わせられず、更に続けた言葉に何故かその人は鼻で笑うと読んでいた本でさらに頭を叩いてから飄々と言ったのだ



『それが馬鹿だと言っているんです』



ーーー反抗意識から見上げた先にあったオッドアイの瞳を、ミーは一生忘れない





その日ヴァリアーの屋敷に残っていた任務のない幹部はフランとルッスーリア、ボスであるザンザスの三人だった

窓から見える天気は紗の薄い霧雨が大地を濡らし、空気をしっとりと湿らせる

室内に点る明かりもいつもより薄暗さを醸し出し、幹部の人数も少ないせいか屋敷全体が静かに感じられて骸は少しだけ笑った

あの日ベルフェゴールと出会わなければ、彼が気まぐれを起こさなければ今頃きっと骸は雨に濡れていたのだろう

いつの間にか騒がしいことに慣れっこになっていた自分自身を嘲笑いながら本を抱えて世話役の元に足を進める

確かフランは今朝事務処理があるとかで自室にいるはずで、骸が現在いる場所からそう遠くはない

数日前から骸はザンザス直々の命令でイタリア語はもちろん数ヶ国語をそれぞれの隊員から習っていた

理由は簡単、ヴァリアーにいるには最低限五ヶ国語は喋れなければならないからだ

骸としては子供にそこまで要求するのかと半眼になりかけたが変なところで真面目なヴァリアーのメンバーは全員一致でザンザスの提案に賛成した

子供の方が身につきやすいのは理論でも理屈でも間違ってはいないが、やはりどこかズレている

でなければ骸を置いておく理由が説明出来ない

とたとたと歩きながらフランの自室にやってきた骸はピタッと足を揃えて立ち止まると握りこぶしを作り扉を規則的にコンコンと鳴らす



「フラン、いますか?」

「いますよー」



ちょっと待って下さいねー、と気の抜けた声がのんびりと返事を返すこと数秒、オッドアイの視界で扉が開いて隊服である真っ黒なコートが広がった

ベルフェゴールがいないからだろう、カエルを無造作にベッドに放り出しているフランのエメラルドグリーン色をした髪がさらさらと揺れる

嬉しそうに骸を見下ろすフランの瞳はくすぐったさを覚えるくらい優しくて



「どうしたんですかー、師匠」

「わからないたんごがあったんです」

「おお、勉強ですか」



偉いですねーと骸の頭を撫でていたフランの顔がふと何かに気が付いたのか、不意に強張るとそろそろと額に手を当てる

フラン?と不思議がる骸など目に入っていないのか、ほっと一瞬安堵に緩んだ二つの眼差しは、しかし直ぐに眉を寄せることで打ち消された

視線が辿るのは骸の細く華奢な、ポッキリとたやすくへし折れてしまいそうな左の二の腕



「………つかぬ事をお聞きしますがししょー」

「………?なんですか、フラン」



心底分かっていない骸にフランは小さな体に負担がかからないように抱き上げると扉を閉めてベッドの上に座らせる

片膝をついて目線を合わせた相手の目は澄みすぎて、逆に闇に溺れているようで

星の在処も知らない子供の瞳にフランは気になった二の腕に手を伸ばすと腫れ物を扱うようにそうっと触れた

傷付いた羽をたたんでうずくまる小鳥に手を伸ばすように、そうっと



「………何をしたら、こんな怪我をするんですか」



つんと鼻をついた、微かな血の香り

決して浅くはなかった傷の余韻をフランが見逃すはずもなく、震える声が真摯に向けられる

フランの問いに骸は目を見開くと瞬きを繰り返し、渇いた唇をペろりと舐めると困ったように微笑んだ

その姿が遠い姿に重なって息を詰まらせるフランにオッドアイが揺れる



「フランはすぐ、きがつきますね」

『お前は本当にいらない所ばかり目敏いですね』



それはかつて聞こえた悪態

優しい思い出は泣きたくなるほどの憧れとやり切れなさを呼び覚まし、フランは骸のオッドアイに映る情けない顔の自分を見詰めた

いつまでたっても成長しない子供の自分

夢の先がいなくなって佇む、弱い自分



「師匠のことなら、分かりますよー」

『師匠が分かりやすすぎるんですー』



それよりも何故、怪我をしたのか

問い直すフランは過去の自分が投げかけた言葉を封印する

僅かな葛藤を垣間見た骸は、けれど理由がわからないまま首を傾げてから仕方なさそうに肩の力を抜いた



「すこしせんとうのれんしゅうにしっぱいしただけです。たいしたことありません」


いつか、何処かで聞いた言葉

ああ、とフランは骸に泣き笑いを見せそうになりながらこつんと額を叩いた



「師匠、駄目ですよー。怪我は………」





『ただ、戦闘訓練、幻術の練習をしていただけですよー?そりゃあ、失敗しましたけどー』



怪我をしたとはいってもたゆまぬ鍛練への精神を褒められこそすれ馬鹿よわばりされる覚えはない

言い返した反論は、しかし素気なくあっさり返されて、だから馬鹿なのだと言われて

腹が立って睨み上げたフランはさぞかし弟子を馬鹿にした目で見ているだろう師のオッドアイと視線が絡まった瞬間息を呑んだ

未だかつて見たことのない、表現のしにくい表情には嘲りなんて浮かんでいなくて

再度フランを本で叩いたその人は鮮やかなオッドアイを燻らせながらゆったりとさせていた上半身を起こして姿勢を正す



『お前は出来が悪くても僕の大切な駒なんです。雲雀恭弥のような強さがあるならともかくも怪我一つと侮る愚かな思考は捨てなさい』



額に手を当てたのは熱に繋がっていないか心配をして、感染症を危惧してわざわざ小言を言うのは次はないようにと案じるが故に



『大切、ですかー?』

『捨て駒、捨て石、囮にはなります』

『ゲロッ、相変わらず酷いですー』



優しい微笑を浮かべるフランの師は正反対に冷たく残酷で冷酷で残忍で世界大戦を望むぶっ飛んだ思考の持ち主ではあったけれど、それでもやはり優しい師だったのだ

何年経っても自分自身だけは大切にしなかった、怪我を省みなかった人のお小言を、呆気なく病気で終わりを告げた師匠を脳裏にフランは「だから」と膝を伸ばすと骸に笑いかけた



「もっと自分を大切にして下さい。怪我は怖いんですよー」



もう二度と、あなたの腕を離したくない

飲み込むには時間がかかるのだろう骸の不思議がる眼差しにフランは本を取り上げる

早いに越したことはないけれど分かってくれるならいつかでも構わない、悲しみに壊れそうな夜の静けさと苦しみの張をフランは知っていたから




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