焦がれ、積もり
触れる優しさ、触れる鼓動
大人びた幼いあなたの孤独
寄る瀬なき海辺のせせらぎ
冷たく煌めく夜空の十六夜
背徳の罪に溺れた穢なき想い
帳が空に落ちて、一時の穏やかさを見せた真紅の星が沈んでいく
薄闇を切り裂く明かりは遠く地平線の彼方に弔われ、冴え冴えと夜の支配者が愁いを秘めた淡い燐光を纏って顕れた
微かな樹上のざわめきに合わせてそよ風に髪を揺らしていた青年は空の変化をじっと眺め、やがて薄く整った唇を開くと吐息を零して誰も立っていない背後を振り返ると柔らかに微笑んだ
「月はお前に似ているな、デイモン」
「………お気づきでしたか、プリーモ」
「ああ」
空間が不規則にたわみ、一瞬前までは確かに存在していなかった青年が姿をさらす
夜に紛れ込む色彩を身に宿した青年D・スペードは、その実はっきりと強烈で明確な意志を持ってそこに在った
氷の褥で誂えた闇を昏く妖艶に笑み咲かせながらスペードは青年の横に並ぶと女性のように細く華奢な指先を陽光の蜜を寄せ集めたような金色の髪に埋めさせる
青年もまた指先を伸ばすと藍色の髪を愛おしむように梳き、榛の瞳を真摯に向けると低く囁いた
「名前で呼べ。お前にプリーモと呼ばれるのが一番辛い」
「ですが、あなたは………」
「デイモン」
さらりと揺れる髪から首筋に指を這わせ、そうしてから耳元で名前を呼んだ青年は神々しい色彩に似つかわしい表情を浮かべる
触れ難いほど人間離れした青年に、けれどスペードは別の意味で人間離れした微笑で首を振った
「いいえ、呼べばあなたは満足して消えてしまうでしょう?」
小さな命のカケラを紡ぐ朝露のように
或いは掴めぬまま消えていく空色のように
まだ来ぬ何かを恐れるかの如く闇は光の指先から逃れ、一歩分距離を置くと金糸が名残惜しげに軌跡を描く
「それではとても不公平です」
ーーーリィン、と鈴の音が鳴る高さで跳ね退ける拒絶
青年が、ジョットが惹かれて止まないスペードの本心を隠した声音と装う仮面
静寂を刻む世界でジョットは首を振ると開けられた間合いを詰める
光が闇に恋い焦がれるように
「私が消えるなどと何故思う?こんなにもお前だけを欲しているのに」
「それは一時限りの気まぐれですよ。だからあなたをドン・ボンゴレと正式に認めてからは名前を呼ぶことを止めました」
「………そうすれば私がお前だけを見るからか?」
「さあ?どうでしょう」
ジョットの伸ばした手は払いのけられることなくスペードの頬に触れる
無為としか言いようのない騙しあいの会話にこめられる想いの名前は何か
「スペード。私の気持ちは、否定されるだけなのか?」
受け止められることもなく、季節が過ぎ去れば散っていく花と同じ価値だけなのか
凪いでいた榛の眼差しが熱を帯びて揺れる
ひどく珍しいその様子にスペードは言葉に詰まったのか、藍色の眼差しを伏せると紅を引いたように蠱惑的な唇を噛み締めた
「………あなたは、こちらに来るべきではない」
やがてため息とともに吐き出された言葉にジョットがスペードを見上げる
「何故」
「あなたが常々進言しているように冷酷になれるなら来ればいい。でも、出来ないのでしょう?」
「…………………」
「何も失わずに闇の私を欲しいなどと宣うのは愚かな話です」
「デイモン、お前は間違っている。お前は闇ではない」
「いいえ。私は闇です。そして」
先程答えられなかった、応えられなかった
それが皆が惹かれるジョットの甘さで、スペードの厭うモノ
星明かりと月明かりの照らし出す、お世辞にも不自由ない明るさとは言えない下で輝く金色の髪
さらさらと、さらさらと
風に、動きに、想いに揺れる
「あなたは光です」
「違う」
「いいえ、あなたは光。静謐に降り積もる砂時計です」
一粒一粒でも確実に降り積もり、重なったが最後消えることなく残り続ける
朝と昼と夕方にのみ舞い降りる日だまりとは異なる日だまり色をした温もり
いっそ優しすぎて冷ややかになったスペードの言ノ葉にジョットは顔を歪めると首に腕を回して引き寄せる
掠めた感触は、痺れる願いそのもので
「どうしてお前は、溺れない」
「プリーモ………」
「どうしてお前は頑なに、私から離れようとする」
この身が光を降り積もらせる砂時計と言うのならばスペードにこそ降り積もって欲しいのにとジョットは再度口づける
「どうやってもお前は受け止めてはくれないのか?私の想いすら、なかったこととしていなすのか?」
「…………」
「デイモン、飾りなく語れ。お前は私をどう想っている?」
外套を強く握り締めて真っ白になっているジョットの手に、ただただ見上げて来る榛の色にスペードは目を瞬き、瞬いて表情を消す
掠めた温もりに疼く胸は傷付いたのか、高鳴っているのか、それすらも曖昧なまま過ぎ去っていく
何をされたのか分からないほど鈍くも子供でもなく、けれどスペードの知らない、経験にない行為
引き寄せられる強さに抗う間もなく腕に抱かれて
「私、は………」
昏い奈落の妖しさを宿した雰囲気がたじろいで答えに窮する
スペードは震えるジョットの腕を外すことが出来ず、音に出せない応答を飲み込むと力を抜いた
何をスペードが言ったところで自分自身を求めて来るこのてのひらを、悲しませるしか出来ないと知っていたから
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