緋色の再開
闇の奥から響く音があった
低く低く地鳴りのように、それでいて落ち着きのある掠れた囁きのように響く音
ーーー………………
もがき、伸ばしたてのひらがさ迷いの果てに落ちる
前後左右上下の感覚もない世界の片隅に真っ赤な月が揺らめいていた
鮮血に塗れたと称されても可笑しくない程の緋月は禍いを秘め、降り懸かる真紅の月明かりは死に神の振るう断罪の刃のように妖しく煌めく
地平線の彼方もない、呼吸も息吹も存在しない闇の世界
ーーー……………………?
世界が砂時計を傾ぐように反転し、曖昧な空間に霧がかかり始め、蓮の花が赤の景色を浄化せんと流れ出した
その中央、ぼんやりと浮かび上がった陽炎の如き人影が一つ二つと言葉を落とす
言ノ葉を聞いた魂は少しだけ笑い、それから答えた
わかりましたと呟いて
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空が不穏な空気を感じとったかのように、その日は不吉な赤紫に染まっていた
仄かな明かりすら閉じ込めんと立ち込める雲のひび割れた隙間からは悲鳴にも似た烏の声が降りて来る
獣の吐息に似た生温い風には近くに海があるからかひどく生臭く、またあちこちに散乱した切り裂かれた死体から立ち上るむせ返るような臭いもあって普通の人では堪えられない場所となっていた
「あー、つまんねぇ」
かつんと転がった石が断末魔も許されなかった死体の顔にぶつかって止まる
心底面白くなさそうに石を蹴った金髪の青年は真っ黒なコートを靡かせて、返り血一つ浴びていない自分をもう一度見下ろして深々とため息を吐いた
「弱ぇくせにオレ達敵に回すとか馬鹿じゃん」
久しぶりにボンゴレの本部から直々に頼まれた任務は蓋を開けてみれば弱者の集まりにすぎず、それなりに期待して任務に出向いてきた金髪のティアラをつけた青年ーーーベルフェゴールはわざわざ出向く必要もなかった結果に苛立っていた
ずかずかと屋敷に踏みいる足音は荒く、切り裂いた死体に配慮をすることもなく血だまりを跳ねさせて何か収穫になりそうなものはないか先を急いだ
ズボンの裾が湿り、素足に当たる血の冷たさに眉をひそめることもなく
「(っつーかボンゴレ舐めすぎだろ)」
反旗を翻すという常識で考えるならば、まずベルフェゴールなら少なく見積もっても相手総勢力の三倍は強い者を集める
そして、雇う
強力かつ現実味の高い幻を操れる霧の術士を
「(とは言っても世界有数の強い術士の何人かってオレ達んとこにいるんだっけ)」
ヴァリアー霧の守護者にしてアルコバレーノの霧の守護者マーモン、その補佐と半分ヴァリアーの霧の守護者を兼ねたフラン、ボンゴレ霧の守護者のクローム・髑髏
どの人物もクオリティの高い幻術を操り、三人で戦うならば勝敗はわからないが他の人物が相手ならば負ける確率は低い
またどんな抗争やいさかいがあってもボンゴレに被害が出た場合は常に一丸となって倒すのだから、そう考えると霧の術士だけならば他のどのファミリーよりも強いだろう
………否、一人だけ彼らに勝てる相手はいたのだ
涼しい微笑みとともに軽々と他の者の力を圧倒的に凌駕して君臨していた術士が五年前までは
「…………………」
ぴしゃりとどす黒い血が跳ねる
呆気なくいなくなってしまった、一度は戦ってみたかった相手を思い出してベルフェゴールは立ち止まる
あの日泣き叫んだ、普段は無表情な後輩
あの日無表情だった、普段は笑顔の術士
逆だろ、と心のどこかが軋みながら口にしていた
似合わねぇよ、と言いかけた
ベルフェゴールが今まで見た中で最も美しい顔をしてこの世を去った青年
謎めいた微笑を剥がすことの出来なかった相手
「(あいつがいれば………)」
世界はどう廻り、変化の兆しを見せただろう
紅く染まったこの世界に溺れるベルフェゴールに何を言っただろう
考えた所で答えの出ない問答がぐるぐると頭を回りベルフェゴールは苦笑する
汚濁の真髄すら埋もれた灰色の星に問い掛けても無駄だった
答えてくれる声はとうに失われていたのだと再び歩きだす
「ーーー?」
違和感を感じたのは、恐らく偶然
ほんの少し、ベルフェゴール自身すら説明出来ない程度のささやかな違和感
ゆっくりと気配を押し殺し、愛用のナイフを手に階段を上る
しんと静まり返った屋敷内には誰の息も跳ね返らず、
「(見ぃーつけた)」
けれど微かにうなじを粟立たせた誰かの気配
ずっしりとした扉の前で足を止めたベルフェゴールは独特の笑みを大きく浮かべると重さも分厚さもあるそれを蹴破って中に飛び込んだ
びくり、と動いた影を視界の隅に捕らえる
その小ささに僅かな疑問を感じつつも手慣れて投げたナイフは過たず人影の頭と喉と心臓に飛来しーーー
「………はぁ?」
キィン、という音とともにたたき落とされた
有り得ない出来事に思わずベルフェゴールが間抜けな疑問符を上げれば人影はたたき落としたナイフを拾いながら影を出、
「っ!?」
「ナイフにワイヤー、ですか」
ぶっそうですね、とたどたどしさの残る声に隠された目が見開かれる
「お前………」
「なんですか」
蒼がかった黒髪にギザギザの分け目、後頭部のトップだけふさふさとした髪型
うろんげに細められた目は片方は紅く、片方は蒼く、手にした三叉の槍が物騒に切っ先を輝かせて
高圧的にも威圧的にも場合によっては響かせられる声は知るものよりも遥かに高い子供らしいものではあったけれど見間違いようがなかった
「(六道、骸………)」
ベルフェゴールを見つめる瞳に浮かぶ、六の数字
華奢な体を包む服に散る赤い斑点
転生したのかと、あの青年に限っては有り得なくもない、むしろ納得できる現象に名前を呼びかけたベルフェゴールは、しかし幼さに似合わぬ色を宿した両目に言葉を仕舞う
お前は誰だ、とその眼差しが聞いていた
お前は何だ、とその両手が握り締められていた
彼は何も覚えていないのだと頭のいいベルフェゴールは直ぐに悟った
それはとても、残酷な現実で
「………ししし、お前面白いじゃん。名前教えろよ」
窓から差し込む赤光りに照らされた少年は形だけの笑顔をにっこりと唇に刻むと「むくろです」とベルフェゴールのナイフを床に落とした
カランと悲しげな音を立てた金属が淋しそうに振動をやめる
「あなたのなまえはなんですか?かわったあんさつしゃさん」
「オレはベル。ベルフェゴール」
「ベルはへんなひとごろしです」
「変でもいいんだよ。だってオレ、王子だもん」
「ベルはひとごろしで、おうじ?」
「そ」
それならますますおかしいです、と生意気に宣った少年に、確かに在りし日の六道骸が重なって、師匠があんなだからミーも捻くれたんですーとぼやいていた後輩が重なって
「お前、オレと来ねぇ?」
気がつけば差し出していた、ベルフェゴールのてのひら
無意識に動いていた唇
じっと信じられないものを見るようにベルフェゴールを見上げた少年は、ふと困ったように笑うと一度は落としたナイフを拾い上げた
「やっぱりベルはへんです。ひとごろしふぜいが、ぼくをたすけようとするなんて」
かつてリング争奪戦で口にした台詞と似たような毒舌を放った少年骸はベルフェゴールに一歩、また一歩と近づいて、でも。と口にする
「しかたないのでついていってあげます」
かんしゃしてくださいね、と微笑んだ
その笑顔に、ベルフェゴールは前世の骸の孤独を垣間見た気がした
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