絶対絶命の中で
バックステップで距離を取ってから背丈に合わない三叉槍を地面につけて幻術を惜しみ無く振るう
立ち込める炎の向こう側に轟く耳障りな絶叫と、刹那の高揚
消しきれない破壊への喜びに小さな子供は歪めていた唇を噛んで理性を呼び戻す
ゼェ、と息を吐き出しながら、一旦引くことを選んだらしい敵に骸は三叉槍に支えられるようにして膝をついた
「………っ、これは、やっかいです」
体力と精神力の限界を超える幻術の使用に眩暈を覚えたのはいつからか
拭っても拭っても小さな頤から絶え間無く汗が流れ落ちる
それでも骸はヴァリアーの幹部達に関わっていくうちに腑抜けてしまったのだろうかと、余裕のない状況でありながら可愛げのない笑みを浮かべた
最悪な物語は珍しくヴァリアー幹部が揃って屋敷にいなかったことから始まっていたのかもしれない
ボスであるザンザスはボンゴレの本部へ、その他の守護者はそれぞれの任地へ
骸はフランが取ってきてくれたプレーンオムレツとサラダ、オレンジジュースという朝食を食べながらクロワッサンを口に運ぶマーモンの話を聞いていた
曰く、骸に構っていて仕事をサボってくれた馬鹿二人のせいで任務が滞り溜まってしまったのだと
それを聞いたベルフェゴールが言った
「骸のせいにしてんじゃねぇよ」
それを聞いた骸は思った
「いえ、ベルとフランのせいでマーモンたちまでかりだされるんでしょう?」と
何故フランが朝から機嫌が悪かったのかを説明しているマーモンが一番の被害者だろう
張本人二人は自業自得とは露程にも思っていないのだから
「よっぽどのことがない限り守護者は一人残るのが普通なんだけど」
取り付けられた窓から見える今日の天気は頗る悪く、帰りは恐らく遅くなる
マーモンの声音に潜む心配が自身を構う人間がいなくなることにあるのだと理解している骸はスプーンを持ったままにこりと笑った
「ぼくならだいじょうぶです。マーモンががんばってください」
「正直頑張りたくもないけどね」
「………でしょうね」
見事な即答はマーモンの心情をありありと物語り、フードに隠された顔はとんでもなく不機嫌な色を宿して揺れているのだろうが反省のカケラなしな二人が原因なのだから仕方ない
骸は最後の一匙を頬張ってからオレンジジュースを飲み干して肩を落としているマーモンの側まで行くと椅子によじ登り、小さな体で精一杯背伸びをしてよしよしと頭を撫でた
愛に飢えて育った子供にはこの行動にどのような意味があって効果があるのかなどまだ分からない
ほとんど本能と直感任せの行動は、しかしどうやら間違ってはいなかったらしくマーモンの伸ばされた両腕の中に閉じ込められた
ここの人達は無意味なスキンシップが多いと最初は呆れていた骸もさすがに慣れたので大人しくされるがままになっている
部屋の温度が若干下がった気がしたのは気のせいだろう
やがて満足したのか、離された体に骸も離れると何を思ったのか向かい合わせでマーモンの膝に乗せられる
耳元に近づけられた口元は何かを言いかけるのを一瞬躊躇い、別の言葉を囁いた
「外に出たらダメだからね。あと、数日後に出掛けるから用意しておくこと」
「でかけるんですか?」
「ボンゴレ本部に挨拶をしにね。気は進まないけど………」
「?」
何故気が進まないのかと骸が見上げる瞳は何も語らない
ベルフェゴールも肩を竦め、フランはよりいっそう不機嫌そうにフォークを置く
「ミーはほんっとーに嫌なんですけど」
「だからってボンゴレに黙ってたら後うるせーじゃん?」
「………だからって納得いきませんー」
むすっと答えるフランにベルフェゴールは怠そうに返しながら頬杖をつき、マーモンは頭が痛いとばかりに額を押さえる
派生した部隊で世話になっているのだから本部に挨拶をしにいくのは常識の範囲内であるはずなのちどうしてそこまで嫌がるのか
マーモンの膝の上で体勢を変えた骸がフランを見れば、エメラルドグリーンの双眸とかち合った
フラン、と名前を呼ぶ前に息が吸われて
「帰って来て下さい」
「え………?」
「絶対帰って来て下さいよー」
初日に出逢った縋り付くような色を浮かべて冗談混じりの声音で、でも、目は笑っていない
助けを求めてベルフェゴールとマーモンに視線を向けるも複雑そうな顔で苦笑される
否定を交えない、心は同じだという表情
「(いみわかりません………)」
骸に帰る場所など何処にもない
物心がついた頃から点々と気ままにその日その日を過ごしていたのだ
ベルフェゴールに手を差し出されるまでは骸に居場所などありはしなかった
無条件で何の見返りもない所は此処が初めてだった
「………ぼくのいまのいばしょはここですよ?それにそのことばはそのままおかえしします」
そういった骸に三人は示し合わせたように少しだけ目を細めて笑った
出発前に偶然見付けたザンザスに聞いても満足な答えは返ってこず、乱暴に頭を撫でられたのが今朝
記憶を知らず知らず辿っていた骸はすぅっと息を吸い、吐き出すと折れそうになる足に力を込める
「(ぼくが、まもらないと)」
情報が何処からか漏洩していたのだろう、ヴァリアーの屋敷に侵入者が入って来てから何時間が経過したのか
質より量を送り込んで来た敵に今ほど子供の身を歯痒く思わない時はない
まともな戦力は数名しかおらず、高度な幻術を扱える骸も意識があるのが不思議な状態だった
(ニゲレバイイノニ)
どくりと鼓動が奇妙に跳ね上がって息が詰まる
骸の身の内から囁く声はとても正しく、また今までの骸なら躊躇わずにそうしてきたはずだった
守らなければならない義理も、いなければならない理由もないこの場所に身を削ってまで闘う価値があるのか
蓮の花を炎に咲かせながら骸は呟く
「なにもとくはしないのに、」
ぐっと歯を食いしばった骸は深呼吸を数度繰り返すと三叉槍を回して毒蛇を召喚した
一気に制圧することに決めたのかなだれ込んできた敵に契約の切っ先を向け、理屈では片付けられない靄を発散するように収まりかけていた幻術をさらに重ね掛ける
絶体絶命の中、骸が思い浮かべたのはどうしようもなく優しくしてくれる暗殺集団の顔だった
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