名前の理由
「ボス、骸を連れてきたよ」
こんこんとマーモンが部屋の扉をノックする
骸が案内されたそこは他の部屋とは違った威圧感を外からも放っていて、重苦しい重圧感を感じさせる造りとなっていた
ボスがいるには相応しい部屋なのかもしれない
万が一ヴァリアーに何者かの侵入を許しても、きっと誰もこの扉を潜るどころか触れることすら敵わない
骸はこくりと知らず知らず沸き上がってくる緊張感を飲み込んでマーモンの服をきゅっと握れば「大丈夫だよ」と口癖なのかそういって頭を撫でられた
不思議と骸の中に‘恐怖感’というものはなかった
程よい緊張と張り詰めた空気に子供としての神経が刺激されているだけで、少なくとも骸は扉に触れることは出来た
マーモンに連れられてキィと開けられた扉の向こう側、薄暗い空間に右足を踏み入れる
日が昇ってしばらく経っているからか、明かりのつけられていない部屋は窓側が非常に眩しく感じられ、骸達の立っている場所には淡い燐光が届くだけだった
「ボス」
物珍しさに部屋をきょろきょろと見回していた骸はマーモンの声に何をしに来たのかを思い出し、その視線の先を追って部屋の奥を見る
そこに居たのは骸が知っている中で一番偉そうで傲慢に見える、けれどふてぶてしい態度が似合いすぎている人物だった
テーブルの上で足を組み、ソファーの背もたれに深く体を沈めている男が羽織っているのは紛れも無くマーモン達が着ているもので、真実この人物がボスであるのだと骸は納得して頷いた
それならば不遜な態度にも説明がつく
と、暗がりの中で動いた鋭い眼光が骸を捉えた
右目の紅とは違う種類の赤い瞳に自然と背筋が伸びる
「………起きたのか」
低い声は何処か猛獣の唸りにも似ていて、にこりともしない口元から確認ともつかぬ呟きが落とされる
はい、と言うことも出来ず深く頷いた骸にボスと呼ばれた男はひじ掛けに手をつくと睨みとも取れる一瞥をくれた
差し込む陽光を受けてなお固く輝く黒色の髪がよりいっそう男の存在感を強いものにしているのか、優しさの類いは一切含まない雰囲気にマーモンが気遣わしげな視線を子供に落とす
幼い子供に向けるには酷な眼差し
しかしマーモンの心配とは裏腹に、骸はあろうことか小さく小さく頬を緩めて笑っていた
凪いだ瞳は本当に楽しそうに男を見詰め、あなたはと高い声がさえずる
「あなたがボスのザンザスですか。フランがいっていたとおりです」
おっかなくはあるがボスと仰ぐには確かに相応しい貫禄と威厳がある
澄ました顔で名前を呼び捨てにした骸にマーモンがさっと青ざめてザンザスを見た
が、またもマーモンの予想を裏切ってボスは怒る素振りも見せず、かといって機嫌を良くすることもなく骸を見下ろす
普段の彼を知る者にとっては天変地異もいい話だ
「ガキ、てめぇの名前は」
「ガキ、ですか………」
ザンザスの身も蓋も無いが間違ってはいない表現は自尊心の高い骸にとっては気に入らないものだったらしく、不満そうに見上げてから「まあ、いいです」と一先ず諦めたように渋々と引き下がり、オッドアイを向けると丁寧に一礼をした
「ぼくはむくろです。みょうじはろくどうをなのってます」
「………六道?」
「はい」
骸とだけしか聞いていなかったザンザスとマーモンの驚きに骸は笑って頷くと自身の右目を指差した
正確には紅に浮かぶ文字を
「ベルからきいてるかもしれませんが、ぼくにはぜんせのきおくがあります。ろくどうりんね、というかんがえかたとおなじです。だからろくどうのもじをかりてみょうじにしました」
「名前はどうしたんだい?」
「なまえもですよ?」
「………六道を巡り記憶だけが受け継がれた骸か」
「ザンザス、せいかいです」
ぱちぱちと骸の鳴らす拍手が部屋に吸い込まれる
前世もそういった理由で名乗っていたのかはもう知る術もないが、容姿のみならず名前までも過去をなぞる魂にマーモンの唇から細い息が吐かれた
果たしてこの子供は普通の人生を送れる運命にあるのだろうか
ヴァリアーにいる時点でかなり望みの薄い可能性が濃くなる要素は一点も見つけられなくて、もしかしたら悪態をついて世を終えた六道骸を辿るのではないのかとすら思えてくる
あのザンザスを最初から平気で見返しているのだから肝も相当だ
「………そうか」
悪意のない褒め言葉に何を思ったのか、目を閉じたザンザスに骸は笑顔ひ崩さないで「そうです」と手を叩き続ける
温もりのある名前を名乗らない子供はやるせない名前を存外気に入っているらしく、どうしてマーモンが黙ってしまったのかは理解出来ていないらしい
マーモンにはピッタリでしょうと微笑む骸の頭を撫でることしかすることが見つからなかった
「てめぇの世話役はマーモンにフラン、ベルフェゴールだ」
「はい、さっきききました」
「オレの邪魔をしねぇなら自由にしろ」
「はい!」
「………え、ボス」
元気よくいい返事を返す骸の後ろで待ってくれとマーモンが思わず声をこぼす
そんな発言を与えてしまったら生まれ変わりでも骸だ、大変なことになるのは目に見えている
喋ることは終わったとばかりに出ていけと手を扉に向けるザンザスと満面の笑みの骸を呆然と眺めていたマーモンは唐突に状況を理解し、特異なこともあったものだと骸の手をひく
「それじゃあ失礼するよ、ボス」
「また来ますね!ザンザス」
「失せろ」
要するに誰からも恐れられるこのボスは、口では何と言ったところで骸を気に入ったらしい
悪運が強いのか、何なのか
骸がこれから何をしても八つ当たりの矛先は自分達に向けられるのかと思うとマーモンは深々とため息を吐き出した
.
- 9 -