潰え燈る君への我事
‘D’
デイモン、デーモン
‘スペード’
ダイヤ、ハート、クローバーよりも強い切り札
そんな大層な名前を名乗る不可思議としか表現出来ない奴がマフィアの中にいるのだとボンゴレ創始者の青年は耳にしたことがあった
「やはり知っていましたか」
楽しげに笑う見た目や雰囲気だけは柔らかい悪魔のような相手に榛の瞳を向けたまま金色の青年は沸き上がる歓喜を抑える
絶えぬ微笑とは裏腹な冷徹な視線、ゆったりとした態度に隠された色
敵対マフィアの自分にすら微笑む理由、ファミリー間にあるいざこざに興味がないから笑えるのだという執着の薄さ
まるで鈴蘭の花を思わせる性質
ああ、やはり
やはり彼こそが長らく空席だった‘霧’に相応しい
その歓喜はそれぞれの守護者を見つけ出した時にも体験した心地好い興奮と二癖以上もある適任者に対する緊張感
‘雲’を見つけ出した時に似ている強い相手への、底が知れない相手への震えるような感激
「お前ほどの術士の名前を知らぬ者などいないさ」
‘普通’を生きるには掛け離れ超越した強さ、力
奇しくも金色の青年が言った言葉の意味は術士の言った台詞と重なり、二人もそのことに気付いたのかどちらともにささやかな笑い声を交わす
「貴方はおかしな人だ」
「何故だ?」
「敵と分かっているにも関わらず仲間になれと勧誘する」
「懐が広いと言って欲しいな」
「自殺志願者の間違いでしょう?」
心外だと傷付いた様子もなく宣う青年に辛口の批評が跳ね返る
打てば響く教会の鐘のように一々返答をするのだから外套の青年ーースペードも酔狂者だった
たっぷりと甘い毒を含んだ言葉は軽く忠告めいており、それを親切心で口にしているのではないことに生れつき鋭すぎる感を持っていたボンゴレボスは気付いていた
そう、例えるならば蝶を搦め捕りいたぶる蜘蛛のように彼は青年に話しているにすぎない
会話に付き合っているにすぎない
既に自分自身から興味を失っていることにーーー気が付かないわけがなかった
いつまでも取られない手が確たる証拠
「それにしてもお前、此処に何をしに来たんだ?」
青年にとって消し炭にされた彼らは滅ぼさなければならない悪辣な者達で、秩序を乱し悪事を平然と行う世界の闇そのものだった
しかし目の前の術士であるスペードが属するマフィアにとって彼らは隠れ蓑であり、利用価値溢れる存在であり、同類と称してもいいほどに差異のない相手であったはずだ
否、彼らなど可愛く見えるくらいどす黒い者の集まりであるはずだ
それが何故此処に居るのか、助けずにもろとも滅びろと炎を放ったのか
言葉数よりも大いにある含みを敏感に察したのか、少し探し物を。と答えてからまた可笑しそうに笑い出す
「貴方ほどおかしな人はそういませんね。答える僕も僕ですが、質問をする貴方も貴方です。本当に状況を理解していない」
「私にお前の術は効かないからな」
「ですが一瞬足りと現実性に惑わされず見破ることは出来ない」
「……………」
当たりですね。無言の肯定にスペードがうっそりと目を細める
金髪の青年がよく知る‘雲’の彼と同じ、獲物を見定める値踏みの視線
経った一瞬、されどスペードが逃げ出すには余りあるほどに大きすぎる一瞬
どれくらいの長さの一瞬を見破れないのかを計っているのだろう、臆することなく受け止めながら青年もスペードを計る
月よりも強く、太陽よりも柔らかに暖かく青年の心は叫んでいた
彼に決めた、彼以外の‘霧’は有り得ないと
嫌悪する所業ばかりの敵対マフィアに属する者でも、そこで幹部についている黒幕の中の黒幕、中枢にいる人物でも
「………だからこそお前がいい。この私すら欺ける腕を持つ、私ですら現実を見失うかもしれない力を持つお前が」
「おや?それでは貴方は殺される可能性すら歓迎してしまうのですか」
永遠とも取れる数秒間の探り合いの末に青年がなおも手を示せば悪戯に戯れるような危険度の高い霧が立ち上る
幻術。まやかしの、毒霧
真綿で首を絞める意味を成さない現象に青年は恐怖なんて一匙もない、嬉々とした様にもう一歩だけ進んで射程距離に入る
「誰しも負の感情は持つ。親しくても殺意は抱く。親しくなくても情は向く。人は殺される覚悟とともに誰かと生きていく。それが自然の摂理であり当然の法則だ」
愛が深ければ深いほど憎しみも強くなるように、見えないだけで、普段は奥の引き出しに仕舞われているだけで表に引きずられて裏の感情も健やかに育まれる
日常を送る者はさして気にしていないだけで、表裏がともに在るからこそ感じられるのだと知らないだけで当たり前なこと
青年が見てきた光景にもぴたりと当て嵌まる残酷で優しい神様の贈り物
術士のスペードのような、何にも入れ込まない人間には育たないもの
青年の緩やかでいて嘘を含まない思考の吐露にスペードが何を把握したのかはわからない
確かと断定できるのは、興味をなくした双眸が再び妖しく煌めいたことだけだろう
「ボンゴレのボスは随分とお優しい
ーーーだが、真理だ」
低く、低く、地を這うように低く、でも、でもーー暗い喜びの声音
金色の青年に宿る炎が不穏なる空気を受けてたじろぐように、後ずさるように輝きを弱めた
矛盾して、太陽を切り抜いた大空の瞳は怜悧ですらあって
「ーーーいいでしょう」
炎の燈るてのひらに迷いなく、前言全てをひっくり返す冷たい温度が重なった
火傷を恐れない彼の動きが多少は意外だったのか、僅かに目を見張った青年に人を狂わす形をした月が笑む
霧散する幻の霧は手を取っても変わらない非情で残虐な悪魔に纏わり付き、悪魔は青年のてのひら、燃える甲に死人の体温が口づける
「貴方の‘霧’になって差し上げますよ、ドン・ボンゴレ。少なからず興味が湧きました。当分飽きそうにもない上に殺してもいいとのお墨付きですから」
「殺してもいいとは言っていないが……」
まあ、いいだろう
大袈裟に芝居がかった心のこもらない忠誠の誓いに青年は‘霧’になってくれただけ譲歩をするかと思い直す
夜が明ければ朝になり、朝が昇れば昼になり、昼が暮れたら夜になるように、悪魔の術士もいずれボンゴレの色に染まらざるを得ない
望む望まないではない、それもまた摂理
膨れて膨れて割れそうな歓喜の風船を手に入れた青年はこの場所にもう用はないとばかりに炎を消すと踵を返す
掴んだスペードの服の袖を軽く引っ張りついて来いと促してから、あ。と奈落の瞳を振り向いた
「私の名はジョットだ。以後、そう呼べ」
ーーーもしも、この時に名乗りを聞かなかったなら
ーーーもしも、この時に手を取らなかったなら
ーーー何かが変わっただろうか?
夜が満ち、宵の刻限を廻していく
二人を見下ろす月だけが冴え冴えと後を憂うかのようだった
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