踏みにじり救済する
飛べない鳥のたたまれた傷だらけの翼
静かに歩みを止めたスペードは芯から凍り付いた硝子の瞳をゆるりとけぶらせると弱り果てて地上で喘ぐ命を見下ろした
「何故足掻くのでしょうね」
ぽつりと子供のように呟いて砂にまみれる柔らかな羽毛に首を傾げる
スペードの目には壊れかけた風前の灯の喘ぐ鳴き声や飛べない羽ばたきは愚かにしか映らなかった
迫る冥土の足音と香りは振り向けば見えるはずであるのに助からないことが獣の頭には理解出来ないのか、そこまでしがみつく理由が、それ程のわけがあるのか
絶対に届かない極地にある可能性に手を伸ばそうと足掻く鳥の姿は儚い夢にしがみつく、あの日差し込んだ光の姿に似ていた
薄暗い闇を切り裂いて照らし出した、炎の揺らめきを思い出させた
それがどうしてかほんの少し気に入らなくてスペードは柳眉を上げてからいつもの表情に戻り、すっと右手を翳すと杖を作り出す
「気まぐれついでに苦しみを終わらせてあげましょう」
もしも生き延びることが出来たとしても、この翼ではもう二度と飛べやしない
銀色の鳥かごをまぶたの裏に、スペードはふっと緩やかに微笑むと杖を振り下ろした
呆気なく散る命が短くも甲高い断末魔を、帰れない旅路に向けて泣きじゃくる赤子のように上げる
くちばしから囀り叫ぶ、責め苦の雫
真っ赤な血は名もなき罪を濡らして流し落としながら革靴に点々と付着する
命に流れる血とは例外なく赤いらしい
当たり前の事実を改めて確認したスペードはくつりと一度喉を鳴らして杖を消し去った
無惨に骨を砕かれた亡きがらを覆う霧が漂うことはなく、藍色の双眸にも慈悲の色は浮かばない
「惨めに生き延びることは恥さらし以外の何ものでもない
ーーーそうは思いませんか?」
アラウディに朝利雨月、と背後に感じた気配の名前をスペードは呼ぶ
豪雨に打たれたからか、まだ乾いていない衣に身を包んだ二人を振り向いて「ご苦労様です」と心にもないことを社交辞令として述べたスペードは、薄氷のつまらなさそうな視線と曇りない黒色の心を痛めている視線にうっそりと瞳を細めた
剣かはたまた銃の牙に掠められたようで、小綺麗な格好のスペードとは逆にアラウディの外套も雨月の狩衣も埃に塗れ、また所々が破けてうっすらと血の滲んだ跡がありなまめかしい
不愉快そうに軽蔑した眼差しでスペードを一瞥するアラウディの横で雨月が足を一歩踏み出すと死骸と成り果てた鳥の傍らに佇む
短く閉じられた瞳は黙祷か
再び黒の煌めきが現れた時には沈痛な面持ちはなく、ただ形容のし難い色だけがちろちろと燃え上がる
「スペード殿にとって助かることは醜聞以外のものにはなりえないのでござるか?」
笛を奏でる指先が鳥に触れ、死後硬直の始まった物言わぬ抜け殻を真綿で包むように持ち上げる
陰影の名は、悲しみ
雨上がりの、全てを洗い流した後の雨月は刀を片手にこのような表情を最後に浮かべるのだろうと思わせるやるせない表情
「んー、おかしいですか?」
「おかしいと言うよりは極端すぎるでござるよ。一概に全てが全てそうだというわけでは………」
「‘嵐’に対しても思いましたがあなたも‘大空’同様甘いですね、‘雨’」
なおも続けようとした雨月の言葉を大きなため息が木の葉をさらう風のように遮る
「右腕に成り切れない‘嵐’は‘大空’の理想のために。さしずめ‘雨’のあなたは‘大空’の涙となって心を歌う、ですかねぇ」
幾重にも、幾重にも
ひたすらに‘大空’を中心に
ボスを軸に廻す世界が間違いであるわけがないが、ボンゴレという一つの小さな世界は他の場所よりも確実にズレている
スペードの言葉も一概に間違いではないのだとアラウディは冷たい言葉を値踏みする
言い換えるならばきつく魔レンズに睨みを利かせ、かつ仕草・動作に注意を向けているアラウディとて例外ではない
誰にも囚われないからこそ、これから先も誰にも私にも囚われることなかれーーーとジョットは笑って気難しい彼を選び、アラウディもこの男なら退屈しのぎにはなるだろうと興味もない指輪を受けとった
そういった意味で一番スペードに近いのはアラウディなのだろう
‘大空’と利害が重なった時だけは浮雲らしくもなく手助けをするーーー退屈しのぎで選んだアラウディと、手を貸しながら遊戯に興じるスペードの何処が違うのか
「ああ………君を殺したくなってきたよ」
「ご冗談を。いつものことでしょう?」
吐息とともに沸き上がる想いをアラウディが囁けば、病的に白い肌には不釣り合いなほど真っ赤な唇が清楚に毒味を帯びて歪む
雨月に向けた時よりも猟奇的な視線に宿る悪意も敵意もない純然たる殺意
薄氷に笑む藍色は唐突に色彩を燻らせると雨月をちらりと見つめ、そのあとアラウディの白金の髪に目を細めると顎に指先を当てて「んー」とお得意の口癖で唸る
「でも、そうですねぇ………あなたが一番早いかもしれませんね、アラウディ」
「………は?」
「あなたがドン・ボンゴレならば世も滅びていたでしょうが、‘大空’よりは早いでしょうね。朝利雨月、あなたは遅いでしょうけれど」
天候の中では一番甘さがないのだから見所がある
そう告げたスペードは相変わらず何を言っているのかと眉をひそめた二人に背中を向けると歩きだした
湿り気を帯びたままの土が普段は立てない足音と足跡を残していく
踏みにじられた命の名前を誰も知らない
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