金の怒りは薄氷の蒼
世界に触れる呼吸の音をこれ程までに忌ま忌ましく思ったことがあっただろうか
ジョットに向けられた銃口は冷たい唇を落とす死の微笑みでしかなく、構えるアラウディには死神のような残酷さと勝る綺麗さはあれど優しさや慈悲はなかった
何時だって自分自身に素直で正直な雲の守護者が相手では「ふざけるな」と声にすることも敵わない
何よりジョットに向けられた薄氷の蒼は果てまで探ってもさざ波を立てない真剣なモノだった
「あの場でした質問をもう一度するよ。何故彼を連れて来た」
滑らかに、少しの戸惑いもなく
隠され闇に葬られるはずの全てを自己の前でのみ手繰り寄せ、忘れ去られるのを待つのみとなる事件を片付ける仕事が生業のアラウディは、けれど確かにジョットの判決に怒りを燻らせていたのだろう
質問ですらなく詰問となった、獲物を横取りされた腹立ちすらもぶつける守護者の言葉にジョットは押し当てられた拳銃をそのままに、ああ、と答えにならない呟きを零す
無理矢理押し付け切り抜けた、否は聞かないという言葉を一番受け入れないと分かりきっていたからもあったが、会議室で何とかして認めさせようと四苦八苦していたジョットに静かに荒れ狂っていたのはアラウディだったからだ
ボスよりも自由奔放に振る舞う一匹の強すぎる獣が不本意ながらも辛酸を嘗めさせられた相手を認めるわけがなく、またジョットはアラウディがどれだけ自身の仕事に誇りを持ってプライドを掛けているかを知っていた
だからこれは当たり前なのだと、言わばアラウディのみならず仲間に対する裏切りに近しい行為だったのだとジョットには理解出来ていた
そう、これは裏切りなのだと額に据えられた近すぎる銃身に自嘲する
己らの掲げる‘正義’に曇りを落としたのは他ならないボスであるジョットだ
「あいつ以外の‘霧’は有り得ないと、そう思った。だが、アラウディ。お前はそれでは納得出来ない」
「出来るはずがないね。幾ら超直感が優れているとは言え、D・スペードについては君自身何度も殺意を抱いたはずだ」
「……………」
「沈黙は肯定と受け取るよ」
忘れたとは言わせないと言外に告げる低い声にジョットは薄い唇を噛んだ
痛みを秘めた双眸がつかの間伏せられるジョットが自警団を組織した理由はか弱い民のためであり、無慈悲に無差別に奮われる理不尽な暴力をなくすためだった
褒められたいわけではない、嫌いなものや苦手なもの、あってはならない、あっていいはずがないものを少しでも減らすために暗闇に頼りない光りを点した
小さな明かりでもいつかは大きくなると、どんな強風にも負けない輝きになると、そう信じて
「君の見てきた大嫌いな光景にも、僕達が見てきた好かない光景にもD・スペードの姿は闇の中にあった。直接対峙したことはなくても影の傍らで確かに存在していた」
「それは、そうだが………」
「今の君を見ていると苛々するよ、プリーモ。過去は消えない、罪からは逃れられない。なのに何故、彼を守護者に選んだ?」
冬の空に酷似した眼差しが氷点下の炎をたぎらせて微笑む
プリーモとは毛色の違う金髪が太陽の纏う熱の波のように広がった
銃口はそのままに一歩だけ歩み寄ったアラウディは余分となった距離に腕を曲げ、窓の外を視界の端に言い訳をすることも止めたジョットに低く低く囁いた
「彼は僕が殺す」
「っ、アラウディ!」
「心配しなくても今すぐじゃないさ」
連れてきてしまったものは仕方ないからねと面白くなさそうにアラウディは言い、重ねる言葉を探す様子もなくリーチを元に戻す
「何時か君は後悔するよ。そして後悔しなければならなくなった時、彼を殺す役目は僕のものになる。それが君の背負う罰だ」
償いもケジメもつけさせない
血の粛清もマフィアの掟にも従わせない
それが罰であると囁いたアラウディは黒い上着に銃を仕舞い、所在なげに積み重ねられた崩れかけの書類に目を留める
ジョットを認めていない、などと言った愚かな考えは露ほどもなかった
他の守護者にしても同じだと処理済みの一枚を手にとって文面を眺める
細かに書かれた内容にはやり直しのミスはなく、詳しくも簡潔な内容は愚鈍な者にもたやすく事態を読み取れる代物
どの仕事にも手を抜かない、「出来なかった」などという諦めをしない、可能性を振り捨てないプリーモ
だからこそ今回の横暴な決め方に、選ばれた人物に納得が出来ないのだ
常日頃の彼を知る者だからこそ頷けない空に形容される青年の額に宿る異端の炎を見てなお彼に惹かれ、興味を持ち、強さと人柄に感服した人間は簡単に認められない
「………後悔など、しない。私は私の選んだ霧を信じている」
差し延べる手の広さは懸命に伸ばしても星を掴めないという現実がよく教えてくれている
数センチ視線をずらせば見方が変わる世界の中で疑わしい者を疑わないと決めているジョットの意志は大空であり、頑なに駄々をこねる幼子そのものだった
喉元に押し当てられた鋭利な刃を気にも止めずに声帯を震わせる無謀な若者だった
「私の霧はD・スペードただ一人だ」
「……頑なだね」
「言っておくがアラウディ、お前が入る際にも似たやり取りが行われたのだぞ?」
ボスを敬わない守護者などいないからなと堅かった顔を綻ばせて遊ぶように言ったジョットに「あんな奴と一緒にしないでくれるかい?虫酸が走る」と心底嫌そうにアラウディが吐き捨てる
今にも人を殺しそうな雰囲気はジョットに布告することで発散されたのか、僅かに柔らかくなっていた
差し出された手に、もう一つの手が触れる
「決まりですね」
では、いきましょうか
宴の始まりを嬉々として知らせる無垢な生娘のように、スペードはGの手を導き出した
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