赤銅の焔は鈍く貫き





幼い少年は一人空を見上げていた

緩く閉ざされたてのひらには何もなく、囀る小鳥もいない景色の中でただ一人立ち尽くしていた

雨が降れば肩を濡らしながら、風が強く吹けば肩を竦めて

一人きり、ずっと見上げていた



「ーーー……………」



音にならず掻き消えた言葉は空白に紛れて波紋を作ることなく失われる

ぱちりと瞬いた瞳は濁りこそなかったけれど硝子玉めいていて、澄んだ眼差しというには作り物めいていた

あどけなさすら感じられる白い横顔は流される髪の色彩を浮き彫りに、色付いていない頬の曲線は微笑むことを知らないように動かない

少年はただ、唯見上げていた

移ろい積み重なる季節も知らないで、どれだけ立ち尽くしていても変わらないままに



………やがて少年の目に光が宿った



それは美しく揺らめく篝火よりも強く、夜空に神々しく煌めく北極星よりも明るく、同時に残酷なまでに凪を潜めた冬の氷のようでもあった

儚く壊れ砕ける繊細な細工のようでもあった

少年は閉ざしていた手を開き、小さく小さく吐息を大気に馴染ませる

酷く純粋に捩曲がった意志が初めての微笑みを唇に上らせて、空を見上げていた双眸を不穏に細めさせて



「やはり世界は取るに足らない」



小さな頃から感じていた感想を一つ、はっきりと音にした



ーーー遠い、昔の記憶






名前を呼びもしなかったし、待って下さいとも待ちなさいとも言わなかった

スペードは気配を出さないまま目的の人物までたどり着くと眼前に姿を曝す

考え事でもしていたのか、不意打ちを喰らったように驚いた顔をして一、二歩下がった相手にスペードは子供じみた笑顔を浮かべると開けられた距離を詰めた



「任務ですか?」

「………てめぇ、なんでここにいやがる」

「んー、聞いたのは僕なんですが、」



暗黒を引き連れた暗闇に潜入し、内側から燻らせて光を導く炎のような赤銅の髪が夜風に戯れる

スペードにギロリと向けられる一睨みは雲の守護者であるアラウディのものとはまた違った迫力があり、数多の敵をこの眼光でわななかせたのだろうかと目を眇めると気に障ったのか嵐の守護者ーーーGの顔つきがさらに険しくなる

顔面の片側に入れられた入れ墨も手伝ってか、アラウディとGのどちらが怖いかと一般人に姿見を見せたなら、十中八九Gの方が怖いと答えるだろう

暗闇に鈍く燃え上がる髪色と同じ、彼の与える恐怖はじわりと染み出るもの

答えないのは得策ではないと瞬時に理解したスペードは柔らかに過ぎ去る風に瞳を眇めるのを止めてGを見返す



「ボスに中断されてしまった本来の目的のために一度戻ろうかと思いまして」

「………戻る?」

「‘大空’の暴れた場所へ」



そう軽やかにスペードが返せば主たるジョットが何処に何をしに行っていたのかを細部まで知っていたらしい、Gの口から舌打ちが零れて腕が真っ直ぐに伸ばされる

捕らえる檻のためだけのその腕を先読みしていたスペードはあっさり交わすと遅れてついて来る外套を払い、物騒ですねぇと伸ばされた方とは逆の手に視線を送る

何時出していたのか、一目で愛用しているとわかるほどに年季の入った銃がスペードの心臓に無機物特有の冷たい切っ先を向けていた

強張ったと表現しても良さそうな仏頂面を張り付けたGの眦が釣り上がる

口の端から放出される息は獣の唸りに似ていた



「てめぇは何が目的でそこに戻る?」

「本来の目的を果たしにですよ。予定を崩されるのは悪くないですが、ね」

「………それは俺達の疑いを更に強くすると分かっている上でなお選ぶほどに重要なのかよ」

「んー、状況を理解していることはお見通しですか」



流石ですねとわざとらしく褒めたスペードに二度目の舌打ちが落ちる

当たり前だと語るには憎々しげな瞳には長年苦渋を抱えながらも見逃すしかなかった者の気持ちがほとばしる勢いで高ぶっていた

慣れた視線だとスペードは、むしろ嬉しそうに微笑んだまま銃口に指先を、そのまま近寄って胸に押し当てる

吐息の触れ合う、ともすれば何らかの拍子にぶつかってもおかしくない距離

危ういバランスを選んだスペードの指が銃から離される時には少なからず戸惑っていたGも落ち着いていた

流石ですねと再度スペードの言葉が繰り返される



「本当は今日ではなく明日か明後日当たりにでも行く予定でしたが貴方の気配を感じたもので」

「…………………」

「このタイミングで行くのもありかと思っただけですよ。深い意味は特別ありませんが………」



くっ、と喉の奥を鳴らしてスペードは後ろに倒れるように、何かにどつかれたように数歩下がると構えられた銃を弾く



「撃ちたいなら撃ちなさい。僕はーーー私はそれでも困りません」



生きることは瑣末なことなのだとスペードは内心で嘲笑いながら表向きは微笑を装う

そう、生きることは瑣末なこと

誰の人生も誰の未来も誰にも肩代わりは出来ないのに命は花を摘むよりも呆気なく散ってしまうのだ

それはマフィアと呼ばれる人間でも変わらない

命は大変脆弱なのだ



「………てめぇは仮にも守護者だ、撃ちはしねぇよ」

「‘今は’でしょう?」



からかい混じりに返したスペードはGの律儀な性格に従って下げられた銃を見詰めながら「ついて来ますか?」とジョットがそうしたように手を見せる

放っておいてもついて来るだろうが気分の問題だ

終わらない夜に毒されたわけではないが、スペードは手を出し続けた



「(どうせ何時か終わりは来ますけど)」



空を見上げ続けた愚かな子供

スペードは幼少期をほんの数秒省みて、あの頃は何を思って見上げ続けていたのだろうかと忘れてしまった謎掛けにひとひらの興味を落としてGの返事を待った



ーーーそれは遠い昔の祈りであったのかもしれないし、全く関係のないものだったのかもしれない





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