雨に赤く沈む花びら





最低限の調度品が揃い一人掛けの椅子が窓辺に置かれた単調な色で統一された部屋

長い通路を歩いてやっとたどり着く、屋敷の奥に近い場所にある見張られるかのような位置に作られたシンプルなそこがスペードに与えられた私室だった



「妥当な判断ですね」



惜しむべきはそれがボスの意志からではないこと

スペードは羽織っていた外套を乱暴に脱ぎ捨てると椅子に座って頬杖をつく

すまないと腑に落ちない顔をして謝ってきたジョットの後ろには当たり前の処置だと顔に書いて睨みつけてきた数名の守護者がいて彼が予想以上にファミリーに好かれていることを認識させられた

形だけの仲間関係も多いものだが稀有なことに本物らしい

炎に引き寄せられたのだろうかとスペードは思い返すのを止めて冷笑を刻む



「(それならそれでいいでしょう。壊す価値もあるというもの)」



人にある‘裏’というものを幼い頃から知りすぎていたのだと思う

椅子に深く体を預け、窓の開けられた空を見上げた

呼吸の仕方を誰に習わなくても出来てしまうように、スペードの場合‘負’に値するおおよその‘悪’は自我が発達する前には目に見えていた

だからーーー彼らの甘ったれた関係には興味とともに嘲笑を覚えてしまう

スペードには全てが偽善と欺瞞にしか思えなかった

だからこそジョットの視線は何故か少々気まずく、他の守護者の視線は心地好かった

D・スペードという人間にとって‘負’の感情は決して不愉快で嫌悪の対象になるようなものではなかった上に、通常ならばそうなるはずの柔らかい胸に痛みとなって突き刺さる剣の効果はもたらされない

尚且つボンゴレを名乗るこのファミリーからの‘負’はどちらかと言えば微笑ましいものだった

可愛らしいと表現すればよいのだろうか



「(………愚かなボスです)」



そんな白紙の中に一点の黒が落ちた

染み渡るまでどれくらいかかり、どの程度持ちこたえられるのだろう

非常にゆったりとした仕草で瞬きをしながらスペードは深く沈めていた体を起こし、入りなさい。と優しい王が慇懃無礼な従者を招き入れるように暗闇に囁いた



「いつまでも扉の前で右往左往と歩かれては迷惑です。入りなさい、雨の守護者」

「!?」



誰かを当てられたからか、驚愕に満ちた反応が生々しい気配となってスペードの五感を揺さぶる

招待の言葉からやや躊躇いの間が空き、しかし重厚な扉が遠慮がちに開かれるのに時間はかからなかった

失礼いたす。と律儀な入室の言葉にスペードは立ち上がると常に浮かべている表情を唇にのぼらせ、どうぞと歓迎するように軽く両腕を開いた

世界を抱きしめるには狭い、誰かを守るには緩い曲線と力加減



「屋敷に来たばかりで疲れているだろうにすまないでござるな」

「いいえ、お気になさらず。先程居間に入り込んだのは僕の勝手な行動からですし」

「ははは、そうであったでござるな」



おどけたようにスペードが答えれば屈託のない大人には稀有な笑顔で‘雨’である青年ーーー朝利雨月が快活な笑い声を返す

それは何処か幼さを残したままの純粋な色を帯びていて、童顔の分類に入る東洋系の人間には違和感がなかった

思えば、とスペードはそつなく笑い返しながら思考を巡らせる

スペードが勝手な行動で会議に侵入した際も彼は反対意見を口にしておらず、逆に新しい仲間に期待しているようにのほほんとお茶を飲んでいた

ジョットを見る眼差しにも責めている険しさはなかったはずだ

何よりスペードが姿を現した時も、守護者として当然の警戒や敵意はあれどそれ以上の殺意は感じられなかったと思う

現にのこのことスペードに会いに来た彼にはそれらしい態度も気配も見受けられない

裏の裏の裏の裏の裏の裏の裏のーーー何処までいってもありはしない

要するに雨の守護者である朝利雨月という人間は‘大空’のジョットに次いで甘い人間なのだ

ところでと話を切り替えた雨月に座るよう促しながらスペードも思考を現実に戻す



「何故スペード殿は始めにあのように言ったのでござるか?」

「………始め?」



唐突な切り出しに内心首を捻りながらぽつりと呟いて、ああ、と納得する



「『ええ、悪いですよ』と答えた第一声のことですか」



信頼と信用の話は中途半端ながら切り上げはきっちりとついていたので彼が問い質したいのは恐らくこちらだろうと予想をつけて言えば深々と頷かれる

静々とした純黒の双眸は闇色でしかないのに光に満ちあふれているという不可思議なもの

さながら黒い太陽のようだと、真白の闇であるスペードは腕を組む



「何故と問われましても困りますね。理由は明らかに明白です」

「では、スペード殿は疑われても構わないと……」

「構う構わないではなく自然の理と同じくらいには人為的ながら揺らがない答えなんですよ。ボスが酔狂で正気の沙汰を疑われるのは当たり前ですからね。僕自身、僕を仲間にしようとは思わない」



言い出せば、洗い上げれば、数えだせばきりがない悪行の数々

悪名名高いスペードを、悪魔の騎士でもあるスペードわファミリーにしようだなんて本気で手を差し伸ばして来るのは後にも先にもジョットだけだ

空前絶後有り得ないと自分自身の経歴をざっと思い浮かべながら複雑そうな顔をする、否定の言葉が見つからないことに苦痛を感じているような目をする雨月から視線を外し、この部屋に来た時にしたようにもう一度空を見上げた



精一杯手を伸ばしても届かない、遠い遠い空



「帰りなさい、朝利雨月。僕は確かにジョットの守護者ですがーーー君の仲間ではありません」

「っ、それは」

「安心しなさい、誰も殺しませんよ。そもそも僕には‘仲間’というものが理解できないだけですから」



理解できるはずもないのだと、後ろを振り向くことなくてのひらに幻術の花を一輪取り出して握り潰す

はらはらと落ちた赤い花びらが血痕のように床に散らばってくしゃくしゃに汚していく

深い深い、嘆きの、生命の色



「(世界など………)」



浮かんだその考えはきっと、どちらに転んでもスペードらしくないものであった




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