こっそり君に混じりたいな

「変じゃない?」
「うん。ばっちりだよ」
 着物の裾の端を指先で少しばかり摘まんで主は照れくさそうにはにかんだ。
「やっぱり慣れないなあ」
「俺が選んだんだから間違いないでしょ。可愛いよ」
 この日のために仕立てた着物はいつも彼女が好んで着ているよう地味な色あいではなく、俺の内番服によく似た赤色だった。
 着物を仕立てるのでついてきてほしいとお願いされた俺が一から選んで合わせたものであることは誰がみても一目瞭然だったため、着物が仕上がってうちにやってきた日の連中のブーイングといったら、それはもうすさまじかったのを憶えている。やれいいとこどりだの、抜け駆けだのと、いい大人たちが子どもみたいに文句を垂れる様子は全然可愛くなかった。もちろん主にはよく似合っていたのでその点については絶賛だったけど。
「あの人もそう言ってくれるかな」
「言うでしょ、絶対に。むしろこんなに可愛い俺の主に文句言うなんて信じられないんだけど」
「清光にそんなに絶賛されると恐縮だよ……」
「こんなに可愛い俺が太鼓判を押してるんだから、そんなに謙遜してないで胸張って受け取っておきなよ」
「うん……。じゃあ遠慮なく……」
「うんうん。それでいいよ。むしろそれくらい気合入った恰好してるんだから今日くらいはいつもよりも堂々としてたほうがいいんじゃない」
 彼女の長い髪を結いあげながら俺は、大きくなったなぁと、ふとそんなことを思った。視界の端に映る部屋の柱の一つには何本もの線が走っている。
「どうしたの?」
「いや、大きくなったなぁって思ってた」
「私?」
「うん。俺らが大きくなるわけないじゃん。主さ、背伸びたよね」
「そうかなぁ。まあ、昔に比べたらそうかも」
「柱によく刻んでたなぁって思いだして」
「いつからかやらなくなっちゃったもんね」
「止まっちゃって同じところを刻むだけになっちゃったからね。あのころさ、安定が抜かされちゃうかもってずっと言っててうるさかったの知ってる?」
「知らない。そうだったの」
「あいつ格好つけたがるからなぁ」
 あんなに幼かったのに時が経つのは早いものだ。
 彼女は今日久しぶりに現世に帰る。好きな男に会うために。
「時間はまだあるし、今日はいつもよりとびきり丁寧にメイクしてあげる。目瞑ってて」
 瞼に少しずつ色を差し入れていく。そっと触れるたびに睫毛が震えた。
「ほんと大きくなっちゃってさ」
「さっきからどうしちゃったの。なんだかお父さんみたいなこと言うね」
「お兄ちゃんくらいにしといて。……でも、ほんとにそんな感じ」
「そんなに?」
「俺たち以外の誰かのために着飾るなんて、それだけ大きな事件なんだよ。俺だからこんなので済んでるだけ。初めて聞いたとき、一期なんかびっくりしすぎて体調が悪くなったからって部屋に引きこもっちゃって粟田口の面々が苦労してたんだから」
 おかしそうに笑うその唇を押さえる。次何をするか察したようで彼女は静かに黙った。
 筆にとり少しずつはみ出さないように塗っていく。いつだったか俺の色だと彼女が言った紅が鮮やかに主の唇を彩る。
「俺は安心してるんだよ。主がちゃんと人間を好きになってくれて」
 彼女の愛した人間は、悉く死に至る。家族も親戚も、友人も、好きな男さえも、突然何の前触れもなくいなくなる。
 それが何度か続いて、ある日彼女はどうしようもなくなったような顔でさめざめと泣いた。どうでもいいと言って臥せる彼女をみたときはどうなることかと思った。
 もうどこにも行かないように、傷つかなくていいように、自分が大切にしてあげたいと思ったその一方で、それでも主には人間らしく生きてほしかった。同世代の人の子のような平和に満ちた人生を送ることがどうしても許されないならばせめて人間らしく健やかに成長して、恋をして、歳を重ねていってもらいたかった。この戦争からは逃れられないのだとしても、生きていてよかったと思える後悔のない人生を歩んでほしかった。
「はい、できたよ」
 たとえ、そのために俺の心に蓋をすることになったとしても。
「可愛いじゃん」
「あ、ありがとう……」
「素材がいいからね。自信持ちなって」
 姿を一目見ようとやってきた連中に何度も褒められ恥ずかしそうにしながら、彼女は「もう行かなきゃ」と言って転送門をくぐっていった。
 その後ろ姿に、幸せになってほしいと思った。そのためなら俺はなんだってできる。ほんとうに、なんだって。
 それくらい愛している。
2021/02/01

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