一日目
幽霊になった。
まさか自分がそんな幻のような存在になるなんて意外すぎて面白かったのでけらけら声を出して笑っていたら大和守安定に見つかった。
彼は目を丸くしたのもつかの間、私の手を引っ張って茂みに隠れた。「なんか雰囲気変わったね」と言ったら怖い顔で「黙って」と怒られた。
「なに怒ってるの?」
「どうしてここにいるの」
「わかんない。けど気づいたらいたよ」
「わからないって……。だって君はもう」
そこまで言って彼は気まずそうに口を噤んだ。本当のことなんだから気にしなくていいのに彼は小さく謝った。
安定は私にこの場から動かないように指示してどこかへ行き、そしてすぐに帰ってきた。どうやら周りに誰もいないことを確認しに行っていたらしかった。
「今日みんなが出陣の日でよかった」
誘導されながら歩いていたら彼がぼそっと呟いた。
「みんなはどうしてる?」
また間違えてしまったのか私の質問に彼は答えを返さず苦い顔をした。一気に気まずい空気が流れ、歩く度に彼の刀がカチャリという音を立てるだけになってしまったので、もうこれ以上余計なことは言わないでおこうと心に決めて彼の後をついていくと部屋に通された。
「お願いだから大人しくしてて」
安定は自分の押し入れの中身を引っ張り出すと人一人が入れるだけの空間を作りあげた。
「スペースを確保されなくたって幽霊だから透けるし大丈夫だよ」と言ってみたら「見てるこっちが嫌だよ」と一蹴された。言われてみればたしかに人の体がいろんな物で分割されているのって気持ち悪いだろうなと考え直した私は素直にお邪魔することにした。
二日目
押し入れの中で様子を伺ったところ、この本丸はどうやら私のではないらしいということがわかった。庭の配置とか内装とか歩いている最中おかしいと思うことは所々あったのでここが別本丸であるという事実に驚いてはいないが、それとは別にどうしてこんな場所に自分が幽霊として存在しているのかという謎が新たに出現した。
一枚戸を隔てた向こうから笑い声が聞こえる。他の人の本丸でも安定と同室なのは加州清光らしい。顕現させた審神者はお互い違えど仲良くやっているようで私は勝手に微笑ましくなった。
私の清光ではないので彼のことはフルネームで呼ぶことにするが、加州清光は私が安定の押し入れにいることに全く気がついていないようだった。まぁ、まさか同室の友人の押し入れに誰かがいるなんて考えるほうが難しいか。
この日押し入れが開いたのは夕方だった。加州清光が夜戦のため帰ってくるのが明け方になるとのことだったので私は安心して安定が持ってきてくれたドーナツを夕ご飯代わりに食べた。安定はそんな私の様子を自身の刀を抱えて見ていた。餌をもらう野良猫の気持ちが少しわかったかもしれない。
三日目
今日は安定が夕方遠征があるらしいので早めにご飯を食べた。燭台切光忠の手作りらしい。私の光忠とは違ってここの燭台切光忠は出汁の卵焼きだった。私の好みは甘いやつだったけど出汁の卵焼きもふんわりしていて美味しかった。私が食べ終えたのを見届けて安定は片手に刀をもう片方にお盆を持って厨へと帰っていった。
気のせいかもしれないが、加州清光は時おりこちらに視線を寄越すことが増えた気がする。何かをこっそり飼っているとでも思っているのか安定がいなくなった後戸の前に白湯を置いておいてくれた。こういう時にこっそり中を確認しないところがいいところだと思う。加州清光が夜戦に出かけていったことを確認して飲もうとしたけど手がすり抜けてうまく掴めなかった。
四日目
今日は押し入れは開かなかった。
五日目
今日も押し入れは開かなかった。
六日目
開かなかった。
七日目
幽霊になって一週間が経った。
ここから出ていないので外の様子は詳しくはわからないが今日も安定は元気そうだった。もう私だけの刀ではないけれど彼が楽しそうにしているとよかったと思う。
私はここ数日ぼんやりすることが多くて暇だったので昔のことを振り返ったりしていたら、そういえばかつて肝試し大会をした時に霊について誰かと話したのを思い出した。あれは石切丸だったか青江だったかそれとも他の刀だったのかはっきりとしていないけれど、話した内容はよく覚えている。私は「もし幽霊に出会ったらどうすればいいの?」と問い、彼は「祓うなり斬るなりしてできる限りはやく彼岸戻してあげるほうがいい」と答えた。
じゃあ私はいつ戻るのだろう。
八日目
押し入れが開いたと思ったら、戸の前に刀を提げてとっても真剣な顔をした安定が立っていた。
どうしてそんな顔をしているのかわからなかったので理由を訊ねると彼はなんでもないと首を振ってお皿を差し出した。
「わあ、お団子だ」
串を手に取って頬張る。もちもちした餅と甘い餡が美味しい。
安定はたまに障子の向こうを気にしながら私の食事を見ていた。あまりにもじっと見つめてくるので欲しいのかと思い串を差し出したら素っ気なく断られた。
「幽霊なのに生きてるみたいじゃない?」
「そうだね。だいぶ食い意地が張ってる」
ほら、と口の端についた餡を安定がティッシュで拭った。
「私、そろそろ成仏したほうがいいよね」
安定の動きが止まった。廊下から誰かが歩いてくる気配がした。
「未練なんかなかったのになんで幽霊になったんだろう」
彼は何も答えなかった。また間違えたのだろうかと思いながら私は押し入れの中に座る。
戸が閉まってまた暗くなった。
九日目
今日は開かない。
十日目
今日も開かなかった。
十一日目
今日も。
十二目
どうしたんだろう。
十三日目
今日もずっと閉まってた。
十四日目?
今日も。
何日目?
ずっとずっと開かない。
久しぶりに戸が開いた。
見上げると安定が戦装束のまま立っていた。
「…………ごめん」
「大丈夫だよ。忙しかったんでしょ」
彼の表情は逆光で見えない。
「……ごめん」
安定が押し入れの中に座り込む私を抱きしめた。片手に握りしめた刀が震えていた。
「ごめん」
「大丈夫だってば」
心のどこかではとうにわかっていた。未練を持たない私が幽霊になって偶然安定のいる本丸に現れることになったのも、安定の物には触れても加州清光の物には触れなかったのも、真っ暗な中にずっと放置されていても精神に異常をきたさない訳も、彼が何について懺悔しているのかも、かつて誰かが幽霊をはやく彼岸に還してあげた方がいいと言ったその理由も、それらすべてについて。
「殺してあげられなくてごめん」
彼が泣きだしそうな声で謝るのを、相も変わらず間違えてばかりいる私は「もうこれ以上死にはしないのになぁ」と思いながら聞いていた。