わあわあと電話越しで話し倒す母を苦笑いしながらいなして私は電話を切った。あの人は話が長くなれば長くなるほど興奮してきて、なんだかまだ喋りたそうだったけど、私は私で人を待たせているのだ。申し訳ないけどまた今度かけるからと心の中であらかじめ謝って電源も切った。
 入り口の店員に小さく会釈して私はその奥の席に座っていた彼のところに向かった。重たいカバンを椅子の下に置く。グラスに入ったお冷が二つテーブルに並べられていてじっとメニューを読んでいるところを見るとまだ頼んではいないようだった。
「ごめんね。待たせちゃって。なんでも好きな物頼んでくれてよかったのに」
「いやオレも少し前にきたところなんで。名前さんがくるまではさすがに注文するの待ちますよ」
 桜哉くんは「大変そうすね」とメニュー表に顔を向けたまま目線だけこちらに寄越した。この位置から出入口付近はよく見えるから、もしかすると私が電話しているのを見ていたのかもしれないなと水を喉に流しこんでそんなことを考える。
「この歳になるとさ」
 店員さんに適当に頼んだ後、私はメニュー表をしまいながらそう呟く。
「ほら。お見合いとか、お付き合いとか、結婚とか。それこそ出産、子育ての話が出てくるんだよ」
 はあ、と彼はなにげない相槌を打った。大方私の格好と合わないな、くらい思っているんだろう。無理もない。
 私はそのままぼそぼそ呟く。
「まあ私としては、別にそれでもいいんだけどね。お母さんに孫の顔見せてあげるのも一つの親孝行の形だと思うし。ただそれだとさ、お母さんに今の私を見られるわけじゃん」
 私は膝丈のスカートをテーブルの下で軽く持ち上げた。最近衣替えをしたばかりでクリーニング屋さんから持って帰ってきたすぐの少しだけざらざらとした薄手の生地が手に馴染む。本来ならばこれに懐かしさを感じるところだろう。
「娘がいい歳して高校生やってるなんて知ったらお母さん腰抜かしちゃうよ。あれから何年も経ってるのにまったく変わってないところとか気づかれると困るし」
「たしかに」
「でしょう? 結婚相手だって、まあそっちの気がある人は合法だって喜ぶのかもしれないけどさ。自然な感じを目指すなら、どんなに仲が良くても結局いつかさよならするでしょう」
「年とらないっすもんね」
 私はこくりと頷いた。自分にとって一番の問題はそれだけれど、でも面倒なことだとは言えなかった。そう言いきってしまえば私には何もなくなってしまう。
「それに申し訳ないよ。私もう死んでるのにさ」
 おそらくお見合いするにしても相手は九割方人間だろう。まあ私や彼みたいなのもいるから絶対にそうだとは断言出来ないけど、それでもこの国に人ならざるものは少ないと思う。彼らと私が出会う確率は私が人間と出会う確率よりもずっとずっと低いはずだ。類は友を呼ぶ、なんてことが起きなければ。
 だから申し訳ない。相手は真剣に、限りある生命を一生懸命に生きているのに、そこに私が入ってしまうのは場違いな気がしてならない。私の人生は、高校から一人暮らしの住まいに帰る時のあの真っ暗な帰り道で既に終わってしまっているというのに。加えるなら、だいぶ悲惨な状態で。
「そんなことをいいつつ毎年毎年高校生やってるけどね」
「楽しんでますよね、オレよりも年上なのに」
「楽しいよ。永遠の青春みたいで。みんなは私のこと忘れるけど」
 店員さんが頼んでいたものを持ってきてくれた。私はカバンから出した色々なものをテーブルの端っこによける。
「桜哉くんは? 楽しくないの?」
 彼は無言のままスプーンを取り出した。聞かれたくなかったんだろうな、きっと。私はごめんねと謝りつつ彼が差し出してくれたもう一本のスプーンを取る。
 やってしまった。誰かの嫌なところに昔は入らなかったのに。なんだろう。外側はそうでなくても中身が年をとるとこういうことに無頓着になっちゃうのかなあ。
「わかんないよね。今の自分が大丈夫なのかなんて。だってもう人間の自分は死んじゃっててもうこの世にはいないんだから。椿さんがくれたボーナスタイムを生きてるだけだよ」
「名前さんは幸せなんですか」
「うーん……幸せなのかなあ。嬉しい時も楽しい時もあれば嫌だとか悲しいとか、それこそ死んじゃいたいって思う時もあるから、今の暮らしが幸せとは言えないなあ。なんだろうね、幸せって」
 私はグラスに盛られたソフトクリームに深々とスプーンを突き刺した。そのままごっそりとすくいとる。大きめのイチゴと生クリームと真っ赤なソースが一緒についてきた。
「でもまあ、難しいことはわかんないけど。それでも私は桜哉くんと一緒にファミレスで話せて、こうやって美味しいスイーツを食べられるんだから生きててよかった! って思うよ」
 彼が笑う。私の能天気さがおもしろかったのか、はたまた私の言葉が何かしら彼の悩みに解決法を与えられたのか。私はそこまで察しがよくないからどうともいえなかった。でも前者であれども後者であれども、恥ずかしいことにどちらでもなくても、彼が生きていてよかったと思えるのならそれで多分いいんだと思う、私は。もちろん両者でも。
 だって私も彼も生前可哀想だった吸血鬼集団なんだから、与えられたボーナスタイムくらいめいいっぱい楽しんで喜んで笑ったっていいんだ。人生を謳歌してもいい。既にもう人間ではなくなってしまったけど。彼らの中に自分の拠り所を見つけられても彼らは私たちを通り過ぎていくし、私たちは彼らを置いていくけれど。それでも。
「今年の夏はどんなことがあるのかなあ。楽しみだね」
 私はスプーンをぱくっとくわえた。口の中にひんやり冷たさが広がる。甘くて、それでいてほどよい酸味だ。ふいに見れば、前に座る彼も美味しそうな顔をしていた。ああ私、生きていてよかった!
 気温とデザートの冷たさのせいか、つうとグラスの縁から水滴がテーブルに一筋流れた。夏はいよいよ近い。

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