わたしの部屋には何が似合うのだろうか。
 目を覚ましてすぐにふと浮かんだそんな疑問について特段考えることも答えを見つけることもないままゆっくりのんびり身を起こして背伸びをした。その拍子にするりと肩から毛布が落ちる。はて、この毛布は前片付けた時にしまったんじゃなかったっけ、と欠伸をしながら拾い上げソファに置く。
 自室の戸を開けるとわたしのスーツやらなんやらを掛けてあるところに見覚えのある帽子が掛かっているのが見えた。ソファの毛布、掛けてある帽子、これは。
「……いるの?」
「いるよ」
 そっと呟けばすぐに返事がきた。会うのは久しぶりかと思ったけど、たしかこの前も会ったからそうでも無かった。この前といえば、わたし引っ越すって話したっけ。
 トントントンと軽く包丁とまな板がぶつかる音はわたしの部屋には似合わない。キッチンに誰かが立っているというのもなんだか似合わなくて落ち着かない。そんな似合わない場所で、似合わない音をたてて、最もこの部屋に似合わない男がそこにいた。
 後ろから覗きこむとどうやらじゃがいもを切っていたらしい。几帳面に同じくらいの大きさに切り揃えられたじゃがいもが鍋の中にポイポイ放り込まれていく。
「毛布ってもしかして御国がかけてくれた? ありがとう。場所知ってたっけ」
「適当に開けた」
「ああそう。あ、それご飯? 肉じゃが?」
「カレー」
「ほほう」
 ざっと確認した感じではわたしの部屋の平凡なキッチンが家主が寝ている間になんだか凄いことになっている。
「調理道具なんてうちにはなかったはずだけど」
「なかったからさっき買ってきたんだよ」
 見るからに高そうな調理道具をほいほい買えるそのお財布事情に衝撃を受けるわたしを放って御国は「お前せめて自炊するふりくらいしろよなー」と揶揄うように今度は人参を切り始める。
「なんかすごく失礼なことかもしれないけど……」
「なに」
「御国がカレー作るなんてめちゃくちゃ全然これっぽっちも似合わないね」
「ほんとに失礼だな」
 邪魔になったのか「テレビでも観てれば」と追い返された。しっしっ、は余計だと思う。でもせっかく作ってくれてるんだからせめて邪魔はしないでおこうと思って、わたしは椅子に座って御国を後ろから見守ることにした。
「来てたなら起こしてくれたらよかったのに」
「起こしたよ。起こしたのにお前起きないから」
「え、そうなの」
「起こすなって怒ってたの憶えてない?」
「ごめんごめん。でも、なんでいるの? 鍵なんて渡したっけ」
「ベランダ開いてたから入った」
「えー、誰かに見られてたらどうするのさ」
「そんな間抜けなことしないよ、俺は」
「俺"は"ってなに? わたし? 間抜けってこと? 失礼返し?」
「大きな口開けて寝てた」
「うっわ! 閉じてくれたらよかったのに〜」
 そんなことを言いつつ御国の様子をそっと見る。手際が物凄くいい。なのにほんとに似合わなさ過ぎて笑いが漏れてしまいそうだ。なんでだろう。全身から高級感を出しているからかもしれない。
「ふぁーあ」
 伏せると本格的にうとうとしてきてしまう。ふっと意識が遠のくと、これでも一応客なんだし、とわたしの中の一般常識が浮かび上がってきてすんでのところで目が覚める。寝るな、寝るんじゃないと目を擦る。
「できたら起こしてやるから寝てれば」
 なんだ。寝ていてもよかったらしい。そうだ、そもそも客はベランダから入ってこないし勝手にキッチンを使ったりなんてしない。
 うん。じゃあお言葉に甘えて、と口に出せていたかはわからないままわたしはテーブルに突っ伏した。




「殺風景だなあ」
 御国はそう呟いて出来上がったカレーをもう一口掬った。「ね」とわたしも一言返して彼に倣う。文字通り叩き起されたせいでなんだかまだ目がしょぼしょぼしているんだけど気のせいかな。
「あ、おいしい」
「市販のルーだけど」
「市販じゃなかったらなにがあるの?」
 殺風景。
 会話をしつつ、そう評された部屋を横目で見た。テレビとテーブルとイスと申し訳程度の洋服掛けだけの部屋。ここ以外にもいくつか部屋はあるけれど備え付けの家具だけであとは本当に何もない。引っ越してすぐだからしょうがないんだけど。一時はわたしだってどうにかしようとお店や通販サイトで探していたけど良さそうなものばかりで結局面倒になってしまってやめていた。
「何が似合うと思う?」
「この部屋に?」
「そう。御国は、この部屋に何が似合うと思う?」
 そんなに悩むようなもんじゃないのに御国は暫くの間黙っていた。それから「花瓶」とだけ言ってお代わりをよそいに席をたった。
「花瓶、花瓶ねえ……。家具じゃなくて?」
「家具なんてそんなに要らないだろ。一人暮らしなら別にそこまで物いっぱい必要ないだろうし。どっかに小さな花瓶でも置いて、花は黄色がいいんじゃない」
「なんで」
「琥珀色の花なんて流石に無さそうだし」
「琥珀色? ピンクとかじゃだめなの」
「まあなんとなく」
「なにそれ。別に何色だっていいけどさ。ピンクだろうが赤だろうが黄色だろうが琥珀色だろうが。問題なのはわたしが枯らしそうだってこと」
「鉢植えじゃないんだし水替えるだけだろ」
「予言しておくけどそれすらもたぶんめんどくさくてやらなくなるよ」
「お前はしょうがないやつだなあ、ほんと」
 わたしが「ご馳走様でした」と手を合わせれば御国はたいそう満足気な顔をした。
「じゃあ次来る時持ってきてやるよ」
「うち花瓶ないんだけど」
「花瓶もまとめて。引っ越し祝いってことで」
「御国が買ってきた花瓶とか恐れ多くて使えなさそう……。主にお値段的な意味で」
「これを機に面倒くさがりの癖直したら」
「直ると思う?」
「思わない」
 なんだそれ。わたしは笑えてきてしまってそのまま用意してもらった食後のミルクティーに口をつけた。それはほんわか甘かった。
 食べ終わってそれからというと、「じゃあまた」と御国は帽子を被り直して今度はちゃんと玄関から帰っていった。恐らくだいぶいい品であろういくつかの調理道具と余ったのか余らせたのかよくわからない食材と、それから大鍋で作ったカレーを置いて。
 意外とあっさりしている。別に良いんだけどさ。でもそこまで日が暮れてきた訳でもなかったし、もうちょっと居たって。別にそんな、何も期待なんてしていなかったけど。いや、期待ってなに。なんでもない。
 調理道具とか食材を持って帰ったらどうかという提案は「引っ越し祝い」の一言で片付けられてしまった。そんなに引っ越し祝いしてもらわなくてもいいのに……。




「……たしか、牛乳を少々だっけ……」
 そういうわけでわたしはメモを片手に今日もカレーを温めている。電子レンジがないので固まったカレーに牛乳を少しいれて焦げ付かないようにかき混ぜながら火にかけろという指示が残されていたのだ。
 「日が経つにつれて美味しくなってくるなんて言ったら名前は絶対腐らせるからできるだけ早めに食べること」と書き殴られた御国からのメモ。
 ごめん御国。結局あれから置いていってくれた野菜とか色々食べてたらもう三日目になっちゃったよ。ごめんね。悪気はないんだ。だって野菜とかの方が先に消費しないと駄目でしょ。苦手な野菜もあったけど生で食べても美味しかったよ。でも調理するのすごく面倒だったから今度は出来上がったやつを持ってきてほしいかなぁ、なんて都合のいいことを考えながらよく温まったカレーを皿によそってテーブルに持っていく。
「いただきます」
 カレーは日が経つにつれて美味しくなる、なんて真偽のほどはわからないけどわたしだって知っている。たしかに幼い頃食べたカレーはちょっと時間が経ったくらいが丁度良かったかもしれない。
「うん。御国、今日もおいしいです」
ちゃんと野菜とお肉が入っていて、辛すぎずちょっぴりスパイシーで。
おいしい。とっても美味しい。といっても御国が作ったんだから美味しくないのは想像できないんだけど。でも、わたしの気のせいかもしれないんだけど。
「あーあ、はやく御国花持ってこないかな」
二人で食べたあの日の一掬いは今日よりも、もっとずっと美味しかったような気がした。

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