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 シャチの都合で珍しく午前中にスタジオに入ったその日、おれはいつもより少し遅く出勤した。荷物を適当にロッカーにしまい、名札をぶら下げて店内へ向かう。まったく客の姿が見えねェ……今日は暇そうだなと思っているとレジの方からユメがやたらとはしゃぎながら早く来いと呼ぶんでいる。気になった店内の鏡の汚れを拭きつつレジへ向かった。
 レジ内で店長もパソコンに向かいながら、ユメの話を聞いていたようだ。何をこんなに騒いでいるのかと聞くと「ウフフ、私も今から聞くところなの」と頬杖をついて笑う。

「なんと! わたくしバンドをやることになったんです!」

 なるほど、この音楽オタクは以前バンドを組みたいと言っていたが、本当にやるのか。そりゃいつもより騒がしくもなるか、とおれは納得した。

「……へェ、結局楽器は何にしたんだ」
「ギターです!」

 ベースのほうが弦が4本だからとか言っていた気がしたが、それはそれで。と思ったところでおれの中でいくつかの疑問が浮かんだ。こいつは確か最近になってコンビニのバイトを増やしたはずだ。理由は色々あるらしいがおれらのライブを全部見たいこともその一つだと聞いたときは、少しだけ嬉しく思ったのと同時に、本当にしょうもない奴だとも思った。
 おれらにも常連客はいるが、それぞれ都合のいいときに見に来る。つまり、都合も何も差し置いて全部見たいと、バイトを増やしてまでおれらのライブに来る理由、意味が音楽オタクであるユメの中にはあるということだ。こんなことを言われて喜ばないバンドマンはいないと思う。無理をしてまでならバカだと思うが、こいつにそんな様子は一切ない。いつもケラケラと楽しそうに笑っている。だが……そこにさらに、自分もバンド活動をする、というのはかなりハードなのではと思った。

「同じコンビニバイトの人と、その人の知り合いの人達で、ちょーっとばかし趣味は違うんですけど、なんと!」
「なんと?」

 店長がユメにあいづちを入れる。するとすぐに何かキメたようなポーズを取りながら「スタジオがタダ! 無料なんですー!」とガッツポーズから拳を天井へ向けて突き上げた。純粋にスタジオをタダで使えるなら、まさに今金策をしているユメにとっては棚からぼたもち、願ってもいないラッキーなことだろう。

「どういうツテか知らねェが、そりゃあ……いいな」
「はい! これも何かの縁、参加させてもらうことにしました……とは言ってもめっちゃギターうまい人いるんで、私はおまけのリズムギターですけど」
 
 そう、もう一つの疑問。いや、別にこいつが誰となにをしようが知ったことじゃない。だがそのバイトの奴と知り合いという奴らは一体どこのどいつなんだろうかと考えている自分の感情がよくわからなかった。ギターがうまい奴がいる、というのも、自身がギタリストだからか例えるなら喉に刺さった小骨のような、そんな感覚だ。それをどうにか振り払うように「ま、ライブでもするときは見に行ってやると」と言うと、こいつは「いやいや! ライブだなんて滅相もない……今日もこの後、みっちり深夜練です」と口にした。
――深夜練。いやだから、別にこの音楽バカが深夜に誰と何をしてようとおれには関係ない、どうしてそんなに引っかかるのか、そう思ったところで、きっと似たような意味で何か考えたような店長がユメに、バンドメンバーは女なのかを確認した。でかした、と思ったと同時に、その答えに落胆した自分がいた。女はユメの他に1人。何人のバンドか知らねェが、その女が歌ったりタンバリンということは最低限ギターの上手いという奴とベース、ドラムあたりが男だということになる。

「そう、それならまぁ……大丈夫かしら」

 納得はしていなさそうな店長。ユメの反応からして、こいつは多分この問いの意味をわかっていない。元々、そういうことは気にしてないであろう性格も災いして、この話題はこれ以上は突っ込みづらいものになってしまった。
 そんなことを考えているとすぐ、ユメは「あ! ローさん、実は今度新しいギター買いに行きたいと思ってるんですけど、一緒に見てもらえませんか?」と、ぐりんと、勢いよくおれのほうを向いた。全部飛んだ。「構わねェ、それならいい店を知ってる」と、即答した。考える理由もなかった。いい店を知ってるのは本当だし、バイトを増やした理由の一つはきっとこれだろう。そこまでして新しいギターを買うユメに頼られたのは素直に嬉しかった。

「おお、さすがです、頼りになります」
「仕事終わったら空いてる日教えろ」
「はい、確認しますね」

 話を聞いていた店長がシフト表をおれ達によこして率先して休みを調整し始めた意味はわからなかったが、日程が早々に、次のライブの翌日に決まったことには少し安堵した。



 そんな約束をしたのが数日前。ライブを終えて片付けを済ませたおれは、今日は人手不足で休みが取れずに仕事だったユメの所へと足を向けた。

「どうにか3曲ほど聴くことができました……」

「間に合ってよかったぁ」とビールを一気に飲んだユメ。よほど急いで来たのだろう、前髪が少しだけ明後日の方向へと跳ねている。どうしてもバロックで休みが取れないことを嘆いていたが、おれらの出番がトリだったこともあって「それならお店閉めてからダッシュで行きます!」と息巻いていた。そして、今にいたる。

「それにしても! いいですね新曲!」
「そうか? まだどうにかできそうなんだが……」
「んー、イントロを思い切ってもう少し音削るとか? そのほうが入りのサンジさんの歌も引き立つような」
「やっぱ少しごちゃっとしてたか」

 大衆の好みに合わせて曲を作る気はないが、より仕上げられるのならそうしたい。ユメは、おれの中では大衆には分類されない。こいつの言うことは、音楽オタク視点からの切り口で、答え合わせ的な面も併せ持っている。

「あ! なにやら偉そうにすみません……」
「いや、そういう意見は参考になる」
「……そ、そうでしょうか」
「それにしても仕事あとでよく来たな、まァお疲れ」
「いえいえ、疲れも吹っ飛びましたよ!」

 カウンターでユメはドリンクチケットとビールを交換していて、おれも一緒にビールを頼んだ。ユメのビールの飲みっぷりは見ていて気持ちがいい。CMを見ているようなそれからは、純粋に目の前の酒と音楽を楽しんでいることがわかる。こいつは、そういう奴だ。

「っはー! 仕事後の音楽とビール、最高ですわー!」
「だな」
「あ! そうだライブで思い出した」
「?」
「来月ライブすることになったんです!」
「へェ。ライブなんて、って言ってたのにな」

 バンドを組んだ話を聞いた日以来、こいつと仕事はかぶらなった。短期間のその間にどんな心境の変化があったのかは知らないが、ユメのその底知れぬエネルギーのようなものは一体どこから湧いてくるのだろうと思う。

「コピーバンドイベントですけど、せっかくの機会なんで何かこう、流れに乗ってみようかと思いまして……って! あんまりじろじろと見ないでくださいよう!」

 そんなに見ていたつもりもなかったんだが、反応が面白いのでもう少し、と思ったところで知った声がした。なぜわざわざこっちへ来るんだと思いながらおれはそいつにどっか行けという意味を込めた視線を向けた。

「ようオタク娘! 今日はずいぶん遅くに来たんだな」
「……ユースタス屋、何しに来たんだ」
「ユースタスさん、あの……オタク娘だと色々と誤解を招きますので、別の呼び方をお願いしてもよろしいでしょうか」
「ったって、名前知らねェしな」
「あ、それは失礼しました、ユメです。ローさんとは同じ職場で働いてるんです。それで今日は休みが取れずにこんな時間に」
「なるほどなァ」

 今日は純粋に客としてここにいる、ユースタス屋。ユメの説明に妙に納得したような表情にイラついたのだが、ユメが突拍子もなく「時にユースタスさん、以前話していたいつもの女性っていうのは」とユースタス屋に話しかた。「いつもの女」というワードを口にしたのでおれはぎょっと目を見開いてユメの方を見た。

「……たとえば、あんな感じです?」

 ユメがユースタス屋とひそひそとやり取りをしながら手を向けて示した先を見ると少し離れたテーブル席に女が一人。そう、あれはどこからどう見てもベビー5だ。なぜこいつがベビー5を認識しているのだろうかと思ったが、どうやらそういうわけでもないようだ。

「こいつの周りには大人っぽい女が多いんだが、特にしつこくトラファルガーの周りをうろちょろしてるのは、まさにアレだ。よくわかったな!」
「いや、ちょっと色々と思い出したことがありまして……」
「……なんて名前だっけか、ベイビーなんちゃら……B5ファイル……いやちげェな」
「あっ! もしかしてベビー5さんですか!?」
「それだそれ!」

 なぜこんなにもこいつらは意気投合しているのか、しかもベビー5の話で。ユメは「やっぱりー! そんな気がしたんですよー!」と握った拳をブンブンと上下させながら、やっとおれのほうを向いたかと思えば「ローさん、彼女さん来てるならそっちに行かないと、私と飲んでいる場合では!!」と、時々見せる、本人はキリっとキメたのであろう表情でそうほざき、ユースタス屋にまで同意を求めた。面倒なことになった。

「……いや、だから違ェ。アイツはただの幼なじみなんだ、むしろここでお前と飲んでるほうが都合がいい」
「……?」
「アイツが勝手にそう勘違いしてんだ、これでわかるか?」
「うわぁ……うわぁ」

 ユメは大袈裟に口元を抑えながら1歩、2歩おれと距離を取る。「おモテになるからって……ヒィ」とユースタス屋の横に並ぶと二人しておれを見ながらニタニタした気持ちの悪い顔をしている。思わず蹴りを入れたくなった。

「お前、ヒナにもたしぎにも好かれてんもんなァ」
「新たな女性の存在!! まごうことなきモテモテ……」
「勝手に捏造するな!! ユースタス屋!」
「違うんです?」
「……あのテーブルの、見えるか?」

 ユースタス屋が指差したテーブル席には、そこそこ長い付き合いの4人組。別のバンドの客としてよくバラティエに来ていた重鎮、白猟屋……スモーカーが職場の部下で、おれにはよくわかねェがシャチいわく眼鏡ドジっ子属性だというたしぎを時々連れてきたことからその付き合いは始まった。さらに周りからは「ヒナ嬢」ともてはやされている無駄に目立つ女ヒナと、バンダナを巻き、その上に眼鏡を差している男、この界隈では謎に名の知れたコビーがいつの間にか増えていた。たまにヘルメッポというコビーのダチが加わることもある。こいつらはおれらのライブ以外でもバラティエに月に4、5回は出没している。

「なるほど、あちらにいらっしゃるのがヒナさんとたしぎさん。これまたべっぴんさんっですなぁ」
「ただの腐れ縁だ! 真に受けてんじゃねェ」

……疲れた。ユースタス屋のペースにユメの調子のよさが合わさるとこんなにも疲れるものなのか。たった数回顔を合わせただけでこの様子じゃこの先一体どうなるんだ。特大のため息をついたところで、遠くからガタンという音が聞こえた。嫌な予感がした。ベビー5が立ち上がったのが視界の隅に入った。

「……ハァ、マシンガンが、爆弾が、ミサイルがこっちに来る」
「ミサイル……?」

 おれの言葉に反応したユメが視線をスモーカー達からこっちに戻した。そうこうしているうちに行動するとなると素早いベビー5がもうおれ達のすぐそばまで来ていた。鋭い眼光でおれを見ている、いや、だから。本当におれが何をしたってんだ。

「……ロー! どうしていつもあなたから私の所へ来てくれないのよ!」
「行ったら行ったで! 面倒だからだよ!」

 おそらく、ユメとユースタス屋の短絡的思考からすると修羅場的なものを期待しているであろう笑みを浮かべていて、他人事のようにビールを飲みながら、時折コソコソと話しながらおれを見ている。うぜェ。ユースタス屋はともかく、二人まとめてぶっ飛ばしてェという感情を抱くことになるとは思ってなかった。本当にこいつら、最悪だ。

「あのとき! ローが私を必要としてくれたんじゃない!」
「だから、ありゃあチケットを捌かなきゃいけなかったからだ!!」
「……あっ、何となく把握」
「おれもだ」

 ここでやっと、何か納得したような、腑に落ちたような表情で、ユメとユースタス屋が呟いたのが聞こえた。このバカ共にこいつが彼女じゃねェことが通じたなら、このしょうもないやり取りにも意味が生まれただろう。しかし、厄介なことに、ベビー5の苛立ちが別の方向に向かった。

「……そこのあなた!」
「あ、私です?」

 ぐわっと、勢いよくおれからユメのほうへと体勢を変えたベビー5。一瞬時が止まったかのような、ちょっとだけアホ面で口をぽかんと開けたユメだったが、心配をよそに、すぐにこいつが周りからおっさんだと言われる所以を垣間見ることになる。

「いやぁ、出るとこ出てて、メリハリのあるボディ。すらりと白くて長いおみ足!!……って、あ」

 ピリピリとした空気に似合わないだらしのない声。男ならセクハラギリギリであろう発言。思わず口から出てましたか、とでも言いたげに咄嗟に口を隠したユメ。本心なのだろう、やってしまったという雰囲気を出しながらおれとユースタス屋をちらちらと見る。悪いがおれには助けてやれるとは思えない。そもそも何を助けて欲しいのかはわからねェ状況だし、散々おれとベビー5の件でニヤニヤしてたんだ、助ける義理もねェ。

「……!! そ、そうかしら?」
「え、えぇ、うらやましい限りです……!! 憧れます!」
「え、憧れる?」
「それはもう」

 そんな発言をしたユメにおだてられて徐々に頬を赤く染めてモジモジしているベビー5。なんだこいつら。さっきまでの空気どこ行ったんだよ、まァユメはおだててるというよりも、思ってることをそのまま言ってるだけだとは思うんだが……それにしても女ってのは本当によくわからねェ。

「それは嬉しいんだけど……あなたローとはどんな関係なの?」
「あ、申し遅れました……ローさんと同じ職場で働いてます、ユメです。ローさんからベビー5さんの話も伺ってましたが、想像より素敵な女性でびっくりしるところです」

 ユメがそこまで言ったところで、ベビー5は胸元を両手で押さえながら「なっ……小生意気な女だったら……色々と……くっ」と呟いたのが聞こえた。色々が何かってのは置いといて、このユメのおっさんだという性格、いいものはいいと素直に口にするところはベビー5にはきっと眩しすぎたんだに違いない。想像していた女のイメージと違いすぎて面食らっているんだろう。その気持ちはわからなくもない。

「あのな、ライブに顔出してくれんのは本当にありがてェんだが……誤解されるような言動は謹んでくれ。でもってユメにもちょっかい出すな」
「うっ……誤解も何も、私は……」

 ベビー5の瞳がわずかに揺れ、潤む。おれは正直に思ったことを伝えたまでなのに、どうしてそうなるんだ。いよいよすべてを放り出したくなったところで「ローさん! またベビー5さんを泣かせてるんですか!?」と、たしぎの声がした。ふざけんな、これ以上話をややこしくしないでくれ。あげく「お前何人女を泣かせたら気が済む」と人のことをまるでたらしのように形容するスモーカーまで葉巻をふかしながらこっちに来やがった。ヒナとコビーも、4人揃ってぞろぞろと、本当にめでたい奴らだ。

「ユースタスさん、私逃げたいんですけど……めちゃくちゃ人見知りなんですよ」
「あ? おれとは普通に話してんじゃねーか」
 
 取り囲まれるおれを見てかユメは、両手でビールがもう入っていないであろうカップをぎゅっと持ちながらおどおどとしている。よく人見知りだと言っているが、正直そんな風には見えない。ユメにとっちゃ苦手なことなのかもしれないが、持ち前のよくわかんねェパワーでどうにかしているのかもしれない。

「……うんうん」
「なーに一人で納得してんだよ」

 ユメはきっと脳内で、ユースタス屋とは話せている理由でも考えて、それが解決してうなずいたのだろう。その様子を見たユースタス屋がユメの頭を軽くチョップすると、ユメは「おおう、私の貴重な脳細胞が」と頭頂部を押さえた。その一連のやり取りが、なんだか無性に腹立たしかった。

「……おい、ユースタス屋」
「おぉ、トラファルガー様がお怒りだ。コワイコワイ」

 怖いとは微塵も思っていないユースタス屋は「ま、頑張れよ」とユメの肩を叩くと、別の場所で話し込んでいたペンギンとシャチの所へと歩いて行きやがった。今この状況はすべてあいつのせいなのに……この怒りをどこへぶつけたらいいんだと思うと拳に力が入る。そんなおれの気も知らずにで隣では「こんばんは、私、たしぎと言います」と頭を下げるたしぎに「こ、こんばんは、ユメです……初めまして」とあいさつを返すユメ。一転して場にふわりと和やかな空気が流れた。まァ……別に面倒なだけで悪い奴らではないんだが……と一瞬でも思ったおれはバカだった。

「ローったらこんなかわいらしい彼女いつ作ったのよ、ヒナ、驚駭!!」

 今度はベビー5ではなくユメがおれの彼女なのではと、4人が騒ぎ始めた。本っ当に、こいつらはそういう話が好きだよな、そういう奴らだよ。そうだよ知ってた。

「あっ、いえいえいえ! 私はローさんと同じ職場で働く音楽の趣味が非常に合うだけのおっさんでして、決してそのような存在ではですね……」
「おっさん?」

 おっさん発言にツッコミたくなるのはわかる。数秒遅れで、ヒナが言った「かわいらしい」というのがユメのことなのだとわかると、お世辞だとしてもこいつも一般的にはそういう認識なのか、とあらためてその姿に目を向ける。「彼女さんなんですか!?」とたしぎにも追い打ちをかけられ、ぱたぱたと手を振って彼女ではないと強調するユメの姿は、何というか小動物的な、見ていて思わずほっこり的なかわいさ……いや、そう、だからアニマルセラピー的な。そう思ったところで、おれは思考を口にしていたかと肝を冷やした。なぜならすぐそばで「か、かわいい……」という男の声がしたからだ。おれも、スモーカーも、たしぎもヒナもその声の主に視線を向けた。

「ユメさん! ぼくはコビーといいます!」
「は、はい……?」

 コビーの声だった。ユメの前に立ち、落ち着かない様子でバンダナや眼鏡をしきりに触り、頬を染めていた。声をかけたもののどうするかを考えてなかったような、そんな微妙な間のあと、「えーと!」と意を決したようにケツポケットからスマホを取り出した。

「あ、あの! よかったら連絡先を……交換していただけませんか!?」
「ずいぶんと直球じゃねェか」

 それを見ていたスモーカーもニヤリと笑う。たしぎもヒナも、突然の展開に目を見開いて「キャッ」と言いながらお互いの手を取ってその様子を見ていた。それにしても、もしユメが本当におれの彼女だったとしたらどうするんだと思ったが……そんなこと関係なしに、きっとコビーはユメに一目惚れしたんだろう。まさか人が恋に落ちる瞬間に遭遇するとは思ってなかった。しかも、ユメにだ。

「え!? えっと、あの、その……」

 困ったように目を泳がせていたユメと目が合った。確かに酒が入っているとはいえ、人見知りが初対面で突然連絡先の交換はハードルが高いだろう。それに……おれは気づけば二人の間に割って入っていた。

「こいつに用があんならおれに連絡するんだな。おれが伝える」
「……え、でもそれでは」
「ユメは人見知りなんだ。どうしても交換したけりゃ段階を踏め」

 コビーは唇を噛み締める。おれに何か言いたそうにしていたが出てこなかったんだろう。ガクッと肩を落とし「ユメさん、また……」と小さく頭を下げると、とぼとぼとビールを片手にカウンターのほうへと歩いていった。ユメはそんなコビーの背中とおれを交互に見ながら「あの、なんだかすみません」と少しだけ眉を下げた。
 スモーカー達もおれをいじるのに飽き、ターゲットをコビーに変えたのか「まァ、ありゃ急ぎすぎだ」と話しながら、ベビー5も巻き込んで哀愁漂う背中を追っていった。
 やっと落ち着いた、疲れた。静寂が訪れた。

「今のはユメが謝る必要はねェ。にしてもそろそろ帰るか? 明日はギターも買いに行くんだ。どうせ精算までまだ時間もかかるだろうし、近くまで送る」
「え、いやいや大丈夫ですよ! 知り合いの方達もいるんですし、ここから帰るくらい一人で平気です」
「あいつらにそんな気づかいはいらねェよ」

 ちょうど近くに来たサンジに声をかけて、ユメを送ることと、清算までには戻る旨を伝える。サンジのことだ、一人で帰すほうがヤイヤイとうるさく言われるに決まってる。

「おう、こんな時間だ、レディを一人で帰らせる訳にはいかねェしな……ユメちゃん、今日もありがとな! ナミさんにもよろしく伝えてくれ!」
「はい! サンジさん! 今日もカッコよかったです!」
 
 予想どおりの反応で助かる。サンジに向かってユメは軽く敬礼のポーズを取る。サンジとナミ屋はスタッフ達と数人で時々飯に行ったりしているようなので、別にユメがよろしく伝えなくてもいいような気もするが……まァいつもの挨拶だろう。まだ余韻というか、熱というか、賑やかさが残るライブハウスからおれらは外に出た。



「それにしても……どうも変な奴らが集まるんだ」
「それはローさんも変な人だからじゃ? 類は友を呼びます!」
「言ったなお前」

 ぽつぽつと灯る街灯の光が何だかやけに眩しく感じる。隣を歩くユメはおれを変な奴だと言うがおれからしたらユメのほうがよっぽど変わった奴だと思う。そして「でも、やっぱローさんって人気者ー」と横からおれの顔をのぞきこんで笑った。酔ってるからか、その表情は仕事中とはまた違ってふんわりと柔らかい。

「何笑ってんだ、そういうお前だってコビーに」
「あ、あれはちょっとびっくりしましたけど……それよりも! 私の中での今日一はベビー5さんですけどね! ヒナさんとたしぎさんも素敵でしたがインパクトが」

 そこまで言ったところで、「あっ」と声をあげたユメは段差にでもつまずいたのか足を捻ったのか、おれのほうへと体勢を崩した。とっさに腕を出して倒れてきたユメを受け止める。よろけたのが反対側じゃなくてよかったと思った。

「……! あ、すみません」
「いや、そのまますっ転びそうだったからな。足は平気か?」
「えっと、たぶん、はい」

 たまたま倒れてきたユメを抱えた状態になったわけだが、簡単に言えば収まりがよかった。驚くほどおれの何かを満たすような、そんな気分だった。それに焦っているこいつは見ていて飽きないので、酔ってるどさくさというか……そのまま腕の位置を少し動かしてユメを抱え直した。

「……あ、あのローさん?」
「ユメ」
「……はい! あの、なんでしょう」

 予想どおり、ユメはおろおろとし始める。声も裏返ってるし、それでもなんというか、いつものユメらしさみたいな空気はなくならない。今まで接してきた女とこいつは何が違うんだろうか……本当に一緒にいて飽きない変な女だ。

「……ロ、ローさん!?」
「今日は疲れたな、眠い」
「え! 駄目ですよこんな所で」

 いつもより酔っている気がする。今ならすぐに寝れてしまいそうだった。疲れてんのか酒のせいか、もしかするとこいつのせい、かもしれない。
 パッと手を放すと、顔を真っ赤にしているユメがいた。少しからかいすぎたかもしれないが、とりあえず明日の話でもすればただの酔っ払いの戯れ言だということになるだろう。それと、こいつがやると言っていたライブの日程も忘れないうちにさっさと確認したほうがいいだろう。

「明日、時間は14時でいいか?」
「あ……はい! 問題ありません」
「じゃ、適当に行く。それと、お前のライブはいつの予定だ?」
「適当……そういえばライブの話忘れてましたね。来月の15日ですよ!」
「は? 15日?」
「はい。15日です」

 酔っているからだろうか、いや、はっきりと15日と聞こえた。1ヵ月というものは30日か31日ある。Heartのライブが月に2、3回あるとしたってどうして15日なのだろうか。

「……おれらのさっき決まった次のライブ、15日だ」
「え、えええ〜〜〜〜!? うそ〜〜〜!!」

 近所迷惑なほどの、悲鳴か叫びかわからないユメの声。すっかり酔いもさめた。もちろん当然のようにユメのライブに行くつもりだったおれも、なんだってこのタイミングなんだと深いため息を吐き出す。それは夜の少し冷たい空気に溶けて消えていった。

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