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私は最近Baroque Worksとは別にコンビニのバイトを始めた。バロックはそこまで規模の大きな店舗でもなく、今よりも収入を増やすのは難しい。正規雇用の仕事を探そうかとも思った。でもこんな素敵なお店を辞めるなんて選択肢があるはずもなく、ほかの仕事を増やす選択をした。理由はいくつかある、これから先のHeartのライブを全部見に行きたいから、そして新しいギターを買いたいと思ったからだ。バロックは昼過ぎからか夕方からの出勤なので、午前中に短時間で働けるコンビニは丁度よかった。ロビンさんに掛け持ちが可能か確認し、無事許可も下りたので今はせっせと働きまくっている。
「若いうちに色々やっておくのはいいことよ。でもあまり無理はしないようにね」
レジ横で品出しの準備をしていると、レジ奥の定位置で事務作業をしているロビンさんがそう声をかけてくれる。今日も私がコンビニで一仕事してきたことを知っているからだ。ロビンさんもこの仕事をする前に色々な職種を経験してきたのだと掛け持ちの相談をした時に話してくれた。今思えばかなり怪しい仕事もあったと笑っていた。でもそんな経験も生きているし、無駄になることはないのだと私のやりたいことを応援してくれている。色々と親身になって考えてくれて嬉しいし、そんなロビンさんを心配させないように仕事も体調管理もしっかりしなければと、私はより一層気合いを入れる。
「はい! 迷惑かけないように頑張りますね! コンビニのほうは日数もそう多くは入れてないですし、それに」
実はますます楽しみが増えたのだという話をしようと思ったところで、今日は少し遅めの出勤のローさんが歩いてくる姿が見えた。この話はローさんにも話したいことだったので「ちょっとお客様いないうちに早く来てくださーい」と手をひらひらと振ってローさんを呼んだ。
「おはようございます! ローさんもちょっと聞いてください!」
「……店長、こいつは一体何をこんなに騒いでるんすか」
「ウフフ、私も今から聞くところなの」
呆れたように、特に急ぐこともなくレジまでやってきたローさん。対照的にロビンさんはパソコン作業の手を止めて頬杖をつきながらニッコリと私が話すのを待ってくれている。あぁ、その微笑みで私は今日も綺麗な心で生きていけます――なんてことを思っていると私が畳もうとしている服の山の中から1枚、ひょいっと手に取ったローさんが「で、何なんだ」と流れるように手早く畳みながら言いたいことがあるなら早くしろと視線を送ってくる。では、満を持して発表しちゃいましょう。
「なんと! わたくしバンドをやることになったんです!」
「あらあら」
「……へェ、結局楽器は何にしたんだ」
「ギターです!」
弦が4本だからという安直な理由でしばらくは兄のベースを練習していた。指先も豆ができたり、少しだけ固くなったような気がしたころでふとギターと目が合った。まるで「どうですか、久しぶりにぼくと遊びませんか?」と語りかけられているようだった。そのまま手にして弾いてみると前よりも指が動くような、なんだかいけるんじゃないかという感覚を覚えたので、それからはギターの練習に打ち込んでいた。
そして訪れた衝撃の出会い。まさかのコンビニ店員にドラマーがいたのだ。えっ? 本当ですか? と何回も確認してしまった。びっくりしたし、ちょっと怖かった。最近の私の周辺、一体どうなっているんだろうかと。モテ期とかは聞いたことあるけれど、“音楽人引き寄せる期”みたいなものがあるのだろうかと大真面目に考えもした。
「同じコンビニバイトの人とその人の知り合いの人達で、ちょーっとばかしジャンルの趣味は違うんですけど、なんと!」
しっかりとあいづちを入れてくれていたロビンさんが「なんと?」と首をかしげた。そのあまりの可愛らしさに何を言おうとしたのか一瞬飛んだけれど、荒ぶる鼻息を抑えられないまま、私はキリッとした表情を作り「スタジオがタダ! 無料なんですー!」と嬉しさを爆発させた。『スタジオ? それなら家にありますけど』なんて人、普通いないと思うのは私だけだろうか。とにかく信じられないけれど本当の話で、実際に見学に行ったときはその個人のものと思えない設備に……と言ってもスタジオに行ったことがないから基準はわからないけれど、とにかく私は驚いた。
「どういうツテか知らねェが、そりゃあ……いいな」
「はい! これも何かの縁、参加することにしました……とは言ってもめっちゃギターうまい人いるんで、私はおまけのリズムギターですけど」
今現在は教えてもらったバンドやアニソンのカバーを練習していて、自分の技術とセンスのなさを実感しまくっている毎日だ。人と何かを練習をするということは中学の部活以来だし、出会って日の浅い人達とうまくやれるか不安だったけれど、面白い、いい人達ばかりなおかげで楽しめていると思う。
「ま、ライブでもするときは見に行ってやるよ」
「いやいや! ライブだなんて滅相もない……今日もこの後、みっちり深夜練です!」
最近ちょっとだけ寝る時間が減っているけれど、今のこのモチベーションがあればへっちゃらだ。一人で練習するより、誰かとしていたほうがだらけないし、頑張れる。そしてこれを機に新しいギターを手にして私はきっと無敵に……いや、すぐには、なれないかもしれないけれど、自分に自信が持てるようになるかもしれない、なんて思っていたりする。
「ここで働き始めてから、本当に毎日楽しいんです」
「ふふっ、顔に出てるわ。ところで、深夜練って言ってたけれどバンドのメンバーは女性なのかしら?」
「女性のかたも1人いますよ。歌ったりタンバリン叩いたり寝てたりしてますね」
「そう、それならまぁ……大丈夫かしら」
ロビンさんが何を思ってメンバーの女性比率を確認したのかはわからないけれど……あ、もしかすると男だらけの深夜練を心配してくれたのかもしれない。だとしたら本当にお母さん……めっちゃ若いけどこの街での私の母だ。大丈夫、私はおっさんです。ロビンさんに迷惑を、心配もかけないように、真っ直ぐに生きることをここに誓います。
「あ! ローさん、実は今度新しいギター買いに行きたいと思ってるんですけど、一緒に見てもらえませんか?」
「ギターか。構わねェ、それならいい店を知ってる」
「おお、さすがです! 頼りになります」
「仕事終わったら空いてる日教えろ」
「はい、確認しますね」
そう、私が無敵になるためのギターを、私は尊敬するギタリスト・ローさんに見てもらいたいと思っていたのだ。お店も紹介してくれるなんて本当にありがたい。するとすぐにロビンさんが、横からスッと半月分のシフト表を差し出してくれた。なんなら「この日とこの日だったら、変更しても大丈夫よ」となぜか私とローさんの休みが合うように調整してくれた。おかげでローさんと一緒にギターを買いに行く日程は驚くほどスムーズに決まったのだった。
一日の労働を終え、いつもならご飯を食べに行くかそのまま帰宅するところを今日はギターを取りに戻って再び家を出て、まだまだ夜の賑わいを感じる商店街を歩く。途中で夜食と飲み物を買って、昔コンビニだった跡地の2階部分にあるスタジオを目指す。
「こーんばーんはー!」
「よう!」
「お疲れさん」
まだ慣れない扉を開けば「今日はずいぶんハイテンションだよい」とコンビニで共に働く、今回バンドに誘ってくれたドラムのマルコさんが挨拶代わりにスティックを振る。マルコさんのドラムは力強いのはもちろんのこと、きっちり、正確に刻まれるリズムが心地よい。そんなマルコさんの言うとおり、今日のテンションは高い。なぜなら、そう! 私は左手を腰に当て、右手を高く天井へと突き上げた。
「大・発・表! 私! 新しいギターを買いに行っちゃいます! パワーアップします!」
「ユメちゃん! 買うのもいいけどちゃんと練習したか?」
「ちょっと!」
「それじゃ駄目じゃねーか!」
私のパワーアップ宣言にツッコミを入れて、ケラケラと笑いながら弦を張り直しているのはギターのエースくん。豪快かつ繊細なギターテクニックを持つ人物。私にはなぜ指があんな動きをするのかが理解できない。
「あれ……今日はサッチさんとベイさんは?」
「サッチは深夜バイト入っちまったんだと。ベイは朝早いから今日は寝るってさ」
マルコさんは「サッチはともかく、ベイも顔ぐらい出しゃいいのにいい性格してるよい」と追加でぼやく。本日不在のベースボーカルのサッチさん、時々ボーカルのベイさん、そしてエースくんとはマルコさんを通じて知り合った。皆さん基本的にキャラが濃いというか立っているというか………私は圧倒されることも多い。人見知りを発動した私は初対面時はほどんどしゃべらなかったものの、持ち前の元気さでどうにか馴染んだのだ。
「そうなんですね。とにかく今日も頑張ります!」
やるからには人数が少なかろうとしっかりやらねば、気合いを入れ直す私にマルコさんが「そうしてくれい」と大きく頷いた。すると「そういや」とエースくんがパチンと指を鳴らした。急に何かを思い出したようで、ギターをスタンドに掛けカバンをごそごそと漁るとすぐに1枚の紙を取り出した。
「なんだよい、エース」
「コレコレ、見てくれよ」
「……フライヤー? です?」
身を乗り出してその紙をのぞき込む。エースくんが取り出したフライヤーには、ライブハウスの名前や日付などが書いてある。マルコさんもエースくんの近くにきて「それがどうした?」とフライヤーをつまみ上げると内容を確認していようだった。
「知り合いにさ、このイベントに出ないかって言われたんだがどうだ? コピーバンドイベント」
「……そうだなァ、出るかどうかはユメのやる気次第じゃないか?」
「え!? 私!?」
少し考えたような仕草をしたあと、マルコさんが私に視線を向ける。コピバンイベ。言いたいことはわかる。私とベイさん以外のメンバーはライブ経験者だし、曲さえ決まれば何てことはない。だから参加するか否かは私のやる気に委ねられたのだ。
今現在はマルコさん達がピックアップした曲を練習中だ。コードが難解で苦戦しているところだけれど、まさかこんな機会が訪れるなんて思ってもいなかった。ユメよ、これは成長するための試練……いや、大チャンスだぞ。私は私自身に向けて、やらなくてどうする!? と鼓舞する。
「わ、わた、私はその、へったくそだけど……やってみたい!」
「じゃ、決まりだよい」
「!!」
あれよあれよという間に話が進む。「じゃあ連絡しとくよ。ま、気楽に頑張ろう」とエースくんが私の背中をバシバシと叩いた。それにしても展開ができすぎではないだろうか。ずっとやってみたいと思っていたバンドを組む機会が突然やってきて、早々にライブするチャンスまで訪れたのだ。嘘みたいで信じられない。でも夢じゃない。
引っ越してきてからの毎日は、目まぐるしくて、そして疲れも吹っ飛ぶほど楽しい。充実している。本当に、この街に来てよかった、ローさんに出会えてよかったと思う。って……あれ、何でここでローさん? 私は真っ先にローさんが浮かんだ理由を考える。ロビンさんも素敵な人というかもはや母だし……サボさんやビビ、最近バロックに入ってきたケイミーちゃんにバルトロメオくんも面白くていい人達だ。ローさんとは音楽の趣味も合うし、何よりここ最近で一番時間を共にしてる人だし。だからだよねと私は納得した。一気に眠気が吹き飛んで力がみなぎってきた。
「よぉし、がんばるぞー!」
「そうと決まれば、早速ライブに向けて曲絞って練習だな。わかんねェところは遠慮なく聞けよ」
「了解です、エースくん」
「おれのドラムが火を吹くよい」
「火災報知器が作動すると思います、マルコさん」
「例えだよい、例え」
「はいエース先生、この曲に合うアンプやらエフェクターやらの調整がわかりません」
「んなもんフィーリングだ! 適当にやっとけ、で、いいと思うところを覚えとけばいい」
「oh、ロックですね……でもそれはそれで私には合っているようなー」
私は目の前の、仕組みがよくわかっていない機材達のつまみをねじねじと回して、思い切りギターに向かってピックを持った手を振り下ろす。ジャーーーーン、と私のギターから出ているとは思えない音がアンプを通してスタジオ内に響いて、それがなんだかビリビリした。手とかじゃなくて、気持ちが。まるでこの一瞬で、無数の観客を前にして舞台に立つロックンロールスターになったような気分になった。
「お、おおお!?」
「いいんじゃねーか?」
「もうちょい歪ませとけばそれっぽいよい」
「なるほど、こんな感じかな」
さらにちょっとだけつまみを回す。もう一度鳴らしてからエースくんとマルコさんの方を見ると二人は大きくうんうんと頷いた。
「だいぶ近くなったな。まァ今日はベースがいないのがアレだが、決まったからには全力だ!」
「よし、おれはいつでもいけるぞ」
「よっしゃ、どんとこいです!」
マルコさんの重厚なドラムに続いてエースくんの鋭いギターが入り、私もへなちょこながらどうにか音を重ねる。全員労働後の深夜テンションだったので休憩と演奏している時間の割合は同じくらいだったけれど、私が「さすがにギブです、眠いです」と言い出す明け方まで練習は続いた。
どうしたものか。眠い、眠いのに寝れない。練習からフラフラと帰宅しどうにかお風呂に入り、布団にもぐり込んだもののすっかり目が冴えてしまったようだ。しばらく鳥のさえずりを聞きながら、眩しい朝日をどうにかやりすごしながらゴロゴロとしていた。
「……ドキドキ、するな」
ライブ。コピーバンドとはいえ私がライブするんだ。言い尽くせない思いが胸に広がる。今日も二人のペースにまったくついていけなかったし、一度ミスするとうまくリスタートできずにそこで止まってしまったりとボロボロだった。でも、頑張ってカッコいい新生ユメになりたい。カッコいい姿を見せたい。そうだ、ライブが決まったことをナミに知らせておかなきゃ。そう思ったけれど目がシパシパしていて文字を打ち込むのが面倒になって、起きてから電話すればいいやとスマホをポイっと枕元に投げ置いた。ローさんにも会ったらライブをするんだと報告しなきゃ。来てくれたらいいな。
練習でジンジンとしている左手をぎゅっと握り締めながら、どんな相棒(ギター)を迎え入れるか、どんなものがローさんのオススメなんだろうと考える。私がここ最近一番時間を共にしている人、ローさん。正直、あの日ロビンさんに振られて音楽の話をするまでは、こんなに仲良くなるなんて思っていなかった。話してみるとその見た目とは裏腹に、意外と優しい一面というか……言葉づかいは決していいとは言えないけれど、一緒にいて素の自分を出せる貴重な存在になっていることは間違いない。そうだ、折角だからギターを買ったらマスターさんのお店……Punk Hazardに寄ってお茶でもしよう。でもよく考えたら、もしかしなくてもこれって何だか普通のデートっぽいような。
そういえば、だ。私は何も考えずにローさんにお願いしたけれど、彼女さんがいるのに大丈夫だっただろうか。急に現実世界に引き戻された。私がここ最近一番時間を共にしている人には、本人は否定していたものの彼女がいたはず。そんな人と私はしょっちゅうご飯に行ったりしているのだ。まずいぞ、面倒事に巻き込まれる可能性があるのでは、いや、かなり高いのでは――そんなことを考えているうちに急激にすさまじい眠気に襲われて、その思考は遮断された。
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