- ナノ -
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「……ユメさん?」
「あっ、すみませんモネさん! 何でしょうか」
「どうしたの? そんなにぼんやりして」

 月に1、2回は作るようにしているBWもコンビニの早朝もオフな2連休の1日目、バンドの定期練習中。麗しのモネさんが心配そうに私の顔を覗き込みながら首をかしげた。さらりと揺れる艶やかな髪。うっとりしてしまうじゃないか……じゃなくって、ぼんやりしていたつもりはなかったけれど、周りからはそう見えてしまっているみたいだ。

「すみません!」
「何か悩みごとでも?」
「いえいえ、すこぶる元気です! 気合い入れて頑張りますよ!!」
「……そう? ならいいんだけれど」

 いいと言いながらもまるで私の言葉を疑うかのようにまだこちらを見ているモネさん。私はチューニングをし直しながらそんなモネさんに向けてニッと歯を見せた。ようやくこれ以上の追及を諦めたのか、柔らかく微笑んでペットボトルの水をグビっと一口。
 一息ついていたマスターさん達にもペコリと頭を下げる。何度かスタジオでの練習を重ねるうちに、息も合うようになってきたと勝手ながら私は思っている。下手くそながらも成長というか、手応えを感じているし、やりたいこともたくさん出てくる。出てくるんだけど、どうしても、集中しようとしても昨晩の一連の出来事が私の頭にチラチラと浮かんで消えない。
 直後はただただ嬉しすぎてニヤニヤが止まらないだけだったけど、一度寝て起きてから冷静になって思った。本当にそういう意味で間違いないのだろうか、と。ナミに言ったらきっと、じれったいとかそこまで言ったならさっさとハッキリさせろだとかキスくらいしとけと怒られそうだけど……もう告白したようなもので、両思い、ってことなんだよね……といった具合の思考が永遠に脳内をループしているのだ。
 
「シュロロロロ……ユメ、少し疲れてるのか?」
「そんなことは!」
「あらら、そういやクマができてるなァ」
「クマ、できてますか」
「寝不足か」

 せっかくの練習なのに、集中できていない上に心配までかけてしまっているじゃないか。私は一体何をやってるんだ。私は、ローさんと同じ景色を見るんじゃなかったのか。世の中には色んな形の繋がりがある。無理にこの今の関係に名前を付けようとしなくたって、型にはめなくたっていいじゃないか。

「大丈夫です! もう一回お願いします!!」
「ユメがそう言うなら、おれ達ゃやるだけよ」
「あァ。そうだな」
「こっちもいつでもいけるぞ」
「シャボフェスに出るぞー!!」
「ええ!」

 こうしてみっちり2時間の練習を終えた。気合を入れ直した後は集中できていたと思う。でもそれで満足している場合ではない。新たな課題に向けてそれぞれ宿題を設け、次回の定期練の日までにしっかり仕上げなければならない。

「じゃ、また来週です!」
「ぼんやりしてねェで気ィつけて帰るんだぞ」
「忙しいのもほどほどに、店にも来いよ」
「はい、もちろん!! マスターさんこそあまり無理しないでくださいね!」

 マスターさんに比べたら私の忙しさなどかわいいものだ。ギターを背負い、家路に着こうと歩き出そうとした私に異変が起こる。正確に言えば私のギターに、だ。ずしりと重さを感じて何かにひっかかりでもしたのかと振り向くと、そこには私のギターケースにのし掛かるようにして体重をかけているモネさんの姿があった。

「モネさん! どうしたんです!?」
「ねぇ、ユメさん」
「えーと、何でしょう」
「私ね、勘は鋭いほうだと思うんだけど」
「勘、と言いますと」
「ローと何かあったでしょ」

 ぽそりと耳元で呟かれたその言葉。的確すぎる。何か、ならあったし、今日のぼんやりの原因はそれだ。だけどまさか、そこまで気づいてるなんて……あの時のモネさんの視線はそういうことだったのだ。

「あ、いえ、それはそのですね……」

 モネさんの目を一瞬だけ見てすぐに斜め上の、雑居ビルの看板へと視線をそらす。こういう時、私は上手にごまかせた試しがない。今後、例えば人の人生を変えてしまうほどの秘密を知ってしまったり、守秘義務のあるプロジェクトに関わったりした場合に私は完璧に立ち回ることができるのだろうか。
 まぁ、自分のことはしょうがない。今回のこれはもう、ローさんのことを知っているモネさんだからこそ隠し通すことも不可能に近い。目の前のモネさんはやっぱりそうでしょうとでも言いたげに含み笑いを浮かべながら、私が何か言うのを待っている。

「……もうモネさんてば! いじわる!」
「うふふ。私でよければ相談に乗るわよ……と言うよりも、私が話を聞きたいの」
「えっ」
「あっちにおすすめのお店があるんだけど」
「も、モネさんのおすすめのお店なんて……くっ」



 こうして私は「モネさんおすすめ」という誘惑に勝てず、看板からしておしゃれな居酒屋へと連れられるままに足を踏み入れた。ギターを持ったままなのでどうかと思ったけれど、居酒屋にしては広くてカジュアルな雰囲気、半個室がほとんどの店内に少しだけホッとした。
 ビールは注文するとして……メニューを見ているとどれもこれも美味しそうなものばかりだ。うっかり最初から飛ばしそうになったけどそこは踏みとどまった。ひとまずおつまみはモネさんのチョイスでお任せしてみた。

「それで、喧嘩でもしたの?」
「あ、いえ、喧嘩とかじゃなくてその……」

 これはどこから、何を説明すればいいんだろうか。頭の中で何から話すかを整理しているとまずビールとお通し、美味しそうな海鮮サラダが届いた。

「と、とりあえず乾杯を……」
「そうね」

 カツンとジョッキを合わせる。打ち上げで一緒に飲むことはあったけれど、こうして2人で飲むというのは初めてで少し新鮮だ。そして思うのは、やはり誰かと飲むお酒は、練習後のお酒は美味しいということだ。

「あのですね、話すとながくなるんでめちゃくちゃ端的に悩みを申し上げますと、もしかしなくても両思いなんじゃないか、っていう出来事が昨晩ありまして」
「ふぅん……って!? ちょっと待って、あなた達まだ付き合ってなかったの!?」

 モネさんが勢いよくテーブルに手をつきガタンと音を立てながら立ち上がった。予想以上に音が出てしまったのか「あっ、ごめんなさい」と言いながらはずかしそうにゆっくりと座り直した。

「それが付き合ってないんです……」
「……それは、驚きだわ」
「えっ、そんなに驚くところですか?」

 確かにモネさんは私とローさんが付き合っていないという事実に驚いているようだ。手にしたお箸が上下逆さまである。いや待ってほしい、つまり周りから見ると私達はそう見えていたということ……なんですか?

「だって、てっきりもう付き合ってるものだと。マスターともその見解で一致していたわ」
「それは逆にびっくりなんですけど……」
「あんな距離感で?」

 あんな距離感。色々と振り返ってみるけど、主にローさんのことのような気がする。私もすんなりと受け入れていたけど、まさか付き合ってると思われているとは。

「まぁ仲良しではあるなぁって自覚はありましたけど……最近の私の人生の中では一番時間を共にしている人物なので」
「仕事にライブ、プライベートでも。確かにそうね」

 モネさんはようやくお箸を正しい向きに持ち直してサラダを食べ始めた。私もお通しを食す。うんまい。美味すぎる。何だこれ、悩みが吹っ飛ぶくらい柔らかくてジューシーで美味しいねぎチャーシューである。
 思わず瞬殺してしまった。モネさんがニコニコとビールをあおりながらこちらを見ている。

「美味しいでしょう?」
「はい、とても!!」
「それで、何があったのかしら」

 少し無言のままサラダを取り皿に盛っていると、無言の圧というか、モネさんの視線が鋭いものになったような気がして、そんなモネさんも素敵なんですけどとか思いつつもこれ以上引っ張ると私に時間を割いてくれているモネさんに申し訳ないので素直に話すことにした。
 
「3行でまとめると告白紛いなことがあったんですが、兄のせいで台無しになりまして、でもたぶん夢じゃなかったんで混乱しています」
「へぇ? 何かしらその告白紛いって」

 私は突然の豪雨に見舞われた結果ローさんを自分の家にあげたこと、会話の流れでキスしそうな雰囲気になったところで兄が来たこと、その後3人で飲むことになって結局ローさんが朝まで家にいたことなどを説明した。

「ユメさんって見た目によらず、って言ったら失礼だけど行動力の塊よね。バンドの話をしに来た時も思ったけれど」
「そんなことは決してなく……いえ、なくないですね。時々考えなしに突っ走るのはわかってます」
「それにしてもローったらキスのひとつもしてなかったなんて」
「キスも〜って、付き合ってないんですもん!! してないですよ!」

 うーん、別に付き合ってなくてもキスするのはありなのかな? っていうか兄さんが来なかったら、付き合う付き合わないってなる前にしたことになるな……キスのひとつやふたつ大人なら、バンドマンならするのか……?

「っていうか、ここまで来てもどうしても私がローさんと付き合うってビジョンが浮かばないんです!! 練習中も、無理にこの今の私達の関係に名前を付けなくってもって考えもしました。お互いがいて当たり前みたいな毎日って、それだけですごく幸せなことだなって。でもどこかで、もっとお似合いの人がいるんじゃないか……って」
「でも! ユメさんはローが好きなんでしょ?」
「はい……」
「それなら、自信を持ちなさいよ!」

 モネさんが口調と同じようにジョッキを強めにテーブルに置いた。お酒が入っているとはいえこんなモネさんは初めて見る。私は少しだけびっくりしてビールを手から滑らせそうになったけれどどうにか持ち直した。

「世の中には数え切れない、星の数ほどの人がいて、知り合いになるだけでもすごい縁だと思わない?」
「それは、そうです」
「そんな中で、お互いが生活の一部になってるってことでしょう?」
「みたい、です」
「生活の一部って、欠けたらどう?」
「悲しかったり、辛かったり、ぽっかり穴が開いたみたいな……」
「お互いにそう思ってるってことは、ユメさんがローのことを好きなように、形はどうであれローだってユメさんのことを思ってるってことでしょう?」

 モネさんが全部はっきり言ってくれた。どうしても信じられなくて、私でいいのかという思いばかりが募っていって……だけど、ずっとローさんから感じていた優しさ、温かさの記憶が一気にあふれてきた。

「ね、だから何も悩むことはないと思うわよ」

 グッとビールを飲み切ったモネさんは「おかわり、ユメさんは?」と呼び出しボタンを押す。

「お願いします! 私……自分に素直に、正直に……向き合って、みますっ」

 なんだか急に涙腺が緩んでぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。モネさんが慌てた様子でペーパーナプキンを取って私の手に押しつける。天使が目の前にいる。けれどその天使の表情が陰ったかと思えば「もしローから付き合う付き合わないの話が一生出なくてもまぁ、あなた達仲良しだしそれはそれでいいんじゃないかしら」と少し恐ろしい言葉が聞こえてきてスッと涙も引っ込んだ。
 ずっと仲良しでいられたらいい。でもいつまでもバイトしてバンドしてライブハウスに行って、なんて生活を続けられるだろうかとも思うこともある。私もローさんも自由すぎるところがあるし、普通の彼氏彼女のお付き合いが想像……できない。

「それ、ちょっと可能性としてありそうなんですよね。バンドマンですし特定の彼女を作らなそうな、いやでもローさんって案外天然ロマンチストなんでそういうことはちゃんと言ってきそうな……」

 届いたおかわりのビールを受け取って飲もうとするとモネさんが身を乗り出して「えっ、天然ロマンチストって何?? ちょっと聞かせてもらえないかしら」と先程の不穏な雰囲気から一転して目を輝かせ始めた。
 ナミ以外の人とこんな恋バナをするなんて……サンジさんには少ししたけど、とにかくモネさんとお酒を交わしながら音楽以外の話をするとは思ってなくて、私はローさんのロマンチストエピソードを少しだけ紹介することにした。



 気づけば2時間弱話し込んでいた。モネさんも実は長く思いを寄せている人がいるそうで、詳しく聞きたかったけれどすでに深夜2時を過ぎていた。これがPHの定休日じゃなかったら朝になっていたに違いない。今日のところはお開きということになった。
 別れ際にモネさんは背中をこれでもかという強さで叩いてくれて……痛かったけど、酔ってるからしょうがないしモネさんなりの私への激励みたいなものとして受け取った。
 モネさんと別れて帰路につく。酔ってる自覚はあるけれど、頭は思っているよりはスッキリとしている。そうと決まれば、一刻も早くローさんと会おう、会ってこの気持ちを伝えよう。この時間はローさんはまだ起きている。歩きながら私はバッグからスマホを取り出した。
 少し震える手で履歴を表示してローさんの名前が表示された画面で通話ボタンを押す。呼び出し音が耳を伝って全身に響き渡ってるみたいだった。きっと初めてのライブの時より緊張してる。けれどずっと鳴りっぱなしの呼び出し音。私は深く息を吐き出して終了ボタンを押した。
 なんとなく空を見上げて、ローさんと立ち寄った公園を思い出して進路を変更する。「……星でも見て帰ろうかな」と、独り言をつぶやいてギターを背負ったまま、まだ賑わいが消えない夜道を歩いた。
 次第に時間に見合った静けさがあたりを包んでいった。次にローさんとシフトがかぶるのは明後日だったかな、とスケジュールを確認する。踏みしめる感覚がアスファルトから、公園の土へと変わって……空を見上げたらここまで歩いてきた疲れが少しだけ和らいだ気がした。
 あの時の秘密の絶景のスポットに腰を下ろす。こんな素敵な場所を知っているなんて、本当にローさんてばロマンチストだなぁなんて思ったところで一つの可能性が頭を掠めた。もしかして、元カノとの思い出の場所だったりするのでは。いやいや、考えすぎだ。
 私はローさんのそばにいたい、ずっとローさんのことを、ローさんの音楽を一番近くで見ていたいんだ。ローさんの一番は音楽だとしても、私が一番の人でありたい。するとチカっと、小さな流れ星が瞬いた。思わず「あっ」と声が出た。しんとした空気に響いた私の声はずいぶんと弱々しく感じた。

「……うん。私は、ローさんが好きです!」
 
 小さく、でも力強くそう呟いた。めそめそするのはやめよう。私を思ってくれているであろうローさんのためにも、自分のためにも、もっとかっこいい人にならなきゃ。



 帰宅してからすっかり忘れていたスマホの存在を思い出して確認すると、ローさんからの着信とメッセージが入っていた。思わず「うわうわうわぁ!!」と声を上げてしまって勢いでスマホを落とすもソファの上だったのでセーフ。
 慌ててアプリを開く。電話に出れなかったことへの謝罪と、何かあったのではないかという心配と、明日時間があったら会えないか、といった内容だ。ってそれよりも電話の後に何か一言入れておけばよかった。後先を考えないポンコツな頭を自分でポコポコと数回叩いた。

『何か入れておけばよかったです! ごめんなさい! 大した用事ではなかったので……夜中にすみません』
『明日、午後からとかどうですか!?』

 絶対に、伝えるんだ。そう自分に言い聞かせながら返信する。ちょっと会うだけか、どこか出かけるかわからないけど、昨日も帰り際にお詫びにどこかに出かけるかとも言っていたし……気合い入れろよ自分。鼓舞するように両頬をバチンと叩くと同時にもうローさんから返事が来た。

『ならよかった、べつに気にするな。とりあえず13時に迎えに行く。おやすみ』

 たったそれだけだけど、ローさんはそんなこと思ってないかもしれないけれど……たくさんの優しさが込められているように感じた。私は何度もその一文を見返して、眠気が訪れるのを待った。

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