11


 マスターさん率いるバンド、その名もCOUNTER HAZARD。なかなかカッコいい名前に決まったと思う。そんな私達の記念すべき第1回目のスタジオ入りの日。目の前にはローさんやユースタスさん達も利用しているこの近辺のバンドマンの間では信頼の厚いスタジオ・ニューワールド。嬉しい。それだけで私もローさん達の仲間入りをしたような気分になってくる。
 一見普通のシンプルなビルに見えるけれど、正面に立つと見えるネオンピンクの看板が眩しい。何年も何人ものバンドマン達の歴史をただ静かに見てきたのであろう年季の入った外壁との差が激しい。看板だけ最近新調されたのかな……とにかく存在感が半端ない。ごくりと唾を飲み込む。ギターを背負い、掃除はされているもののキレイとは言えない階段を踏みしめながら一段ずつ上っていく。
 初めての場所というものはライブハウスでもスタジオでもちょっぴり緊張するものだなぁと思いながらマスターさんが受付をする姿を少し後ろからモネさん達と眺める。いつもと変わらないマスターさんの白い、ちょっとしわくちゃのまるで実験衣のようなジャケット。それをお店以外で見ているという不思議。本当に始まるんだというこの気持ちをどう形容すればいいだろうか……そうか、この気持ちをギターにぶつければいいのかもしれない。
 この前の私史上最大のチキン事件は一度しまっておくことにした。固く、きつく。今はそれよりも、ローさんと同じ景色を目指すため、マスターさん達とシャボフェスのルーキー枠への応募という目標に向けて目の前のことに集中だ。

 部屋に入ってまずはそれぞれの現在のレベル、熟練度を披露することになった。私はついこの前まで毎日のように弾いていた破戒僧の中でも一番ミスの発生頻度が少ない曲「ENPITSU」を。それでもこのメンバーの前では初めて演奏するという変な緊張感もあってサビ前あたりから間違えが多発。一度起こるともう誰にも止められない。あっという間にペースが崩れてしまったのでやむなく中断。
「ひぃ、申し訳ないです」と頭をペコリと下げる。あの気持ちをギターに乗せるんじゃなかったのか、私よ。そうはいってもまだまだ初心者だから、ソウルで演奏するなんて百年も千年も早いんじゃないか。基礎をしっかりとマスターした人がやるからすごいんだよ、などと私の中で色んな私がせめぎ合っている。

「もう少し単調なコード進行なら多少マシな感じに弾けるんですけど……あっ、アニソン! これならみなさんもご存知かと」

 そう言ってこれまたマルコさん達と演奏した「はじめてのハグ」を弾き始めた。するとメジャーな曲だけあってか少ししてからドラムが、さらにはベースが私の演奏に合わせて入り始める。おおお、即興で合わせて弾いてくれるなんてカッコいいし、リズム隊のどっしりとした安定感、安心感がやばい。ビリビリとくる感じ、これこそまさにバンドしてるって感じだ。感動。

「なかなかいい感じだと思うがどうだ、モネ」
「ええマスター、経験者がいるのは頼りになるわね。ユメさん、あんなに初心者だって主張してたけど十分弾けてるじゃない」

 マスターとモネさんが1曲弾き終えた私とクザンさん、ヴェルゴさんに向けて「おれ達が足を引っ張りそうだな」と呟く。いやいや、そんなまさか。リズムギターに慣れてきつつあるだけで、このバンドメンバーだと私がソロをぶち込まなきゃいけない場面もあるだろう。そこに関しては私だってスタートラインにいるようなものだ。

「そんなことないです! マスターさんがリズムギターするとなると、私がリードギターすることもあると思うんですけど、ギターソロはまだなかなかうまく弾けなくてですね、今家でトムズとかの曲で練習したりしてるんですけど……」
「へェ、トムズも聴くのか。いいねェ。あいつらのドラムは遊び心満載だからなァ。ドラマー泣かせとも言えるが」
「トムズか……どの曲だ?」

 トムズがマスターさんの何かにヒットしたのだろう、すぐにモネさんに音源を検索して流すように指示をする。足を引っ張りそうだ、と言っていたその表情はもうどこかへ消えていて、流しながらタブ譜や楽譜の情報を調べ始めている。経験者2人はすでに流れる曲を聞きつつちょこちょこと部分的に演奏をはじめた。過去にやったことがあるのか、それとも耳コピなのか、大体雰囲気でなのかはわからないけれど、私からしたら「え、やば、スゴい」という語彙力ゼロの感情しか出てこない。クザンさんにいたってはついさっき「ドラマー泣かせ」と言ったばかりだというのに。
 私はそこにへなちょこソロを乗せる。1人で練習しているときよりはまともに聞こえるのはしっかりとしたリズム隊がいるからだろう……いや、私だって上達してるんだ、まだまだ上達するんだ。やってやる。
 そんなこんなで流れで1曲は私の一言から始まったトムズに決まり、他の曲はマスターさんとモネさんが提案したものでひとまず3曲をコピーすることに決まった。そして言わずもがな、課題はマスターさんと私のギター、モネさんの歌だ。まずこの3曲をみっちり仕上げて、そしてオリジナルにも挑戦しようということで話はまとまった。
 良くも悪くも音楽好きが集まっているので、いつものお店のノリみたいになって話が脱線したりしながらも初めての練習は濃度の濃い、充実したものになったのではないだろうか。私は疲労と共に確かな手応えを感じていた。



 さて、次のスタジオ入りの日までひたすら練習するぞと気合を入れている私に、いずれはオリジナル曲に手を出すわけですし……ともうひとりの私が口を出した。1曲は私が作曲をする話になっていて、もう1曲はマスターさん。確かに練習も必要だけれど、そうとなれば新たな刺激を求めずにはいられないのがこの私だ。
 手っ取り早くその欲求を満たせるのはライブだ。だけどもHeartのライブはまだ先だし、まったく知らないバンドだらけの所へ乗り込むのもハードルが高い。どうしたものかと何件かライブハウスの予定表を眺めていると、ユースタスさんのバンドを含む6バンドが出演する日がちょうど、ビビのシフト交換に応じた結果の休日であることに気がついた。明後日、すぐじゃないか。
 ユースタスさん達のバンドには最近新たにキーボードが加わったのだとローさんが言っていた。王道ロックがどんな進化を遂げていくのか大変楽しみなところなので私はもうこの日にライブハウスに乗り込むことを決めた。
 ナミやクザンさん、ヴェルゴさんに一緒にどうかと予定を聞いてみたけれど仕事で忙しいと返事があった。ローさんはその日は出勤日なのでそもそも聞いていない。休みだとしても今は……体内に飼っているチキンが胃から逆流して出てきそうになるので聞かないし、聞けない。とりあえずバンドのサイトからチケットの予約をした私。課題も山積みだけれど、絶対にローさんと同じ景色を見るのだ。



 ライブ当日。今日もおいしいお酒を飲むぞと……いや、何か少しでも、インスピレーションを得て帰るぞと私は意気込む。何度か来たことのあるライブハウスなので特に緊張することなく料金を払い、中へと進んでいった。
 いつもならHeartのメンバーが誰かしらいて声をかけてくれるか、私が声をかける。でも今日はそれはない。新たな扉を開いた感がある。ちょっとそわそわしつつも、お酒があれば大丈夫だと言い聞かせて、ビールを交換すべくカウンターの方へと視線を向けた。するとあの、薄暗い中でもひときわ目立つ鮮やかな髪色が視界に飛び込んできた。

「よう! ユメ」
「ユースタスさん! こんばんは」

 ローさんとはまた違った意味で存在感のあるユースタスさんが私に向けて手を上げる。私はぺこりと頭をさげて歩いてくるユースタスさんの所へと向かった。

「つーか予約入ってたの結構ガチでビビったわ。珍しいな、あいつら出ないのに来るなんて、ひとりで」
「無性にライブハウスに行きたくて、シフト変わって休みだったので来ちゃいました! 新曲やるんですよね?」
「だぜ、期待してろよ! それにしても丁度よかったわ」
「ちょうど?」
「打ち上げちょっと顔出してけよ、折角だし! それに今日の対バンの奴らもなかなか面白ェの揃いだからな。ま、とりあえずビールでも飲もうぜ!」

 今日は残りの5バンドは知らないバンドだけど全部見る意気込みでオープンから来た。打ち上げかぁ、よくHeartの打ち上げには参加させてもらってるけど、普段とは違う、色んな人の話が聞ければ何か得られるものもあるかもしれない。
 私はぐっと握り拳を作って「はい、では打ち上げまで存分に満喫させてもらいますよ!」と宣言し、カウンターでチケットとビールを交換したところでもやもやっとしたものが脳裏をかすめていった。そう、私はユースタスさんに不満を抱いていたのだということを思い出した。

「そうだ! ちょっとユースタスさん!」
「あ、なんだ?」
「何ローさんにライブの写真送ってくれちゃってるんですか!?」

 そう、あの日のライブの写真をローさんに送るという大罪。許すまじ。正直ユースタスさんとはライブハウスだけの付き合いだけに強く言いづらいところがあるけれど、逆に言えばライブハウスのお酒の入った付き合いだし、この前の打ち上げでも音楽以外の話も結構した。きっと大丈夫だ、っていうか大丈夫じゃなくたってこれは言っておきたい。

「おかげで話弾んだだろ? グッジョブだろ?」
「どこがですか! 恥ずか死するところでしたよ!?」
「いやー、おれカメラマンの才能っつーかセンスあると思うわ、特に打ち上げ中のやつ」

 はて。打ち上げ中のとは? 私が知っているのはライブ中の、演奏しているあの写真だけだ。それは? つまり……?「今なんて? 打ち上げ中? もしかして写真って1枚ではなく……?」とユースタスさんに詰め寄る。今言ったことが真実であるなら、ローさんは私の知らない私の写真を所持しているということになる。
 そもそも、ユースタスさんも私の写真を何枚か所持しているということだ。由々しき事態である。「ユースタスさん?」と眉間に力を込めて、飛ばせてるかはわからないけどありったけの眼力を飛ばす。

「あ……そうだ、せっかく来たんだし! ビールおごるぞ? ほら、いつもみてェにさっさとそれ飲んじまえよ」
「打ち上げ中の写真って何です?」
「アイツ全部見せてなかったのかよ……」
「ユースタスさん?」

 ユースタスさんはガクッと肩を落としたような仕草をしてから観念したように「まァ落ち着けって」と両手を上げた。そして本当にカウンターに向けて「ビールもう2つくれ」とビールを購入してそのうちのひとつを私へと押し付けてきた。

「勝手に写真をトラファルガーに送ったのは謝るけどよ、アイツ本当にあの日ライブに行けなかったこと気にしてたからよ」
「そっ、そう言われてしまったらもう強く言えないじゃないですか〜!」
「ってことで、今後そんな機会があったら送ったら報告するわ」
「なんかもう! そういうことじゃないんですって!」

 それじゃ事後報告じゃないですか。でも私だってライブ中の写真を撮ったりもするわけですし、私もローさんが非常に残念がっていたことは知っている……うん。これ以上ユースタスさんに言ってもしょうがない気がしてきた。よし、私も写真たくさん撮ろう。それで今回の件は良しとしようじゃないか。



 初めてのバンドを様々な角度から楽しみつつ、お酒を飲んであっという間に時間が過ぎていく。本当に色んな音楽があるなぁ。人の数だけ、バンドの数だけ無限に音楽の可能性はあるんだなぁなんて、当たり前のことをあらためて思ったりして。これだ! っていう何かはまだ得ていないけど、モチベだけはめちゃくちゃ上がってる。早くスタジオに入りたい。
 そして今日のトリ、ユースタスさん達は今日も熱い演奏だった。いや、めっちゃパワーアップして燃え上がっていた。かっこいいな。私もまたステージに立ちたいな、なんて思いながら打ち上げ待機をしているとメンバー全員が揃って私の方へと歩いてきた。眩しい……Heartとはまた違う存在感を放っている。私も駆け寄ってペコリと会釈をすると、ユースタスさんが新メンバーさんの肩を叩きながら「紹介するぜ」と笑った。

「こいつがHeartのおっかけの音楽オタクのユメ、で、こっちはうちに最近入ったヒートってんだ」

 なるほど、わざわざ紹介していただいて光栄です。そんなことを思いながらヒートさんに深々と頭を下げる。

「ど、どうもユメと申します。本日の演奏も大変すばらしく特に3曲目、今までのようなアッパーなロックチューン、そこに混じり合う主張しすぎないのに存在感のある電子音。まるでコーヒーに加えたクリーミングパウダーのような……」
「なるほど」
「だろ」

 いつもどおりに感想を述べると、ユースタスさんとヒートさんが何やら視線を合わせて何度か頷いた。とりあえずお伝えしたいことはまだまだあったので私はそのまま続けて喋ることにした。

「あ〜っと、それと4曲目ですね! いやーやっぱりこの曲のギターソロが至高。ヒートさんが加入したことで音に広がりも生まれて体内すべての血液が……」
「???」
「こいつはいつもこんな感じだ」

 ヒートさんが少しだけきょとんとしたような表情を浮かべた気がした。そんなヒートさんにユースタスさんが「耐性がつきゃァなんとなくわかるようになるはずだ。どうしてもってときはトラファルガーに通訳を頼め」と説明している。
 つまりユースタスさんは私の感想をなんとなく雰囲気で把握しているようで、ローさんは理解してるという認識、と解釈できなくもない。それはそれでなんだかむず痒いというか、まるでローさんと私がニコイチみたいな、なんて考えているとユースタスさんが「そーだ! お前にちょっと話があるんだが」と私の肩にがっしりと腕を乗せてきた。他のメンバーは思い思いにカウンターへ向かったり、対バン相手やお客さんの所へと散っていった。身長差のせいか、かなり屈んでいるユースタスさんの体重がとても肩に、乗ってます。重いです、はい。

「月末のHeart主催のイベントあんだろ、あれにおれらも出るんだけどよ」
「存じ上げておりますよー」
「ちょっと1曲、一緒に弾かねェか?」
「へっ!?」

 脳内で情報を整理する。来月末のHeart主催のライブイベントには、よくHeartが対バンすることが多いバンドが出演する。もちろんユースタスさん達のバンド、supernova explosionの名前があったことも確認済みだ。1曲弾かないかとは、私が参加するということで合っているのだろうか。

「私が、ですか?」
「折角だしどうだ?」
「それはなんと言いますか、とても嬉しいお話ですけど私でいいんでしょうか」
「つーか、お前がいいんだ。あいつら何だかんだ言ってお前のこと気に入ってるからな。サプライズで出たら喜ぶだろうよ」

 ユースタスさんの言うあいつらとはHeartのメンバー達のことだと思われる。確かにローさん達を喜ばせることができるなら、イベントが盛り上がるのなら私は協力したい。お前がいいんだ、なんて言われ慣れてない。私以外ではダメなんだって嬉しく思う反面、本当に私がサプライズしたところで喜んでくれるだろうか、というネガティブな面も顔を出す。

「そ、そうですかね……」
「あんだけ毎回欠かさず来てもらえりゃな」

 悪巧みをしているみたいにユースタスさんがニヤリと微笑む。まるで成功しかしないと言っているような、そう思わせてくれるその表情。あっという間に私も釣られて口元が緩んだ。

「それなら……ユースタスさんがそこまで言うなら! やったりましょう!」
「決まりだな! 言っておくが、当日まではあいつらに内緒だからな」
「任せてください!」

 気合をいれてグッとガッツポーズを取ったところで打ち上げの準備ができたので私は料金を払う。そして今日何杯目かちょっとわからないビールを手にユースタスさんに連れられて近くのイスに腰を下ろした。

「これがコピーする曲だ」
「おお! この曲好きですよ! 私も」
「悪ィが期間は3週間しかねェ。来週の月曜、スタジオに入るからお前も来い」
「来週の月曜日ですね……何時からですか?」
「0時からなんだが、お前なら来れるよな」
「おまかせあれ、それなら仕事後でも間に合いますし!」

 グビっとビールを半分近く飲んだところでこんな酔いの回った頭でもあることに、重大なことに気がついた。そう、私がユースタスさん達と演奏をする、ということだ。

「ユユユユ、ユースタスさん、そういえばこの曲をユースタスさん達と一緒に弾くってことですよね? ちょっと冷静に考えたらなかなかヤバいなって感じなんですけど」
「破戒僧やった奴がよく言うよ……全部で6コードの組み合わせだから流石に弾けるだろ? ソロはキラーが弾くから心配すんな」
「おお、それならなんとかなりそう……了解です! みっちり練習しときます!」

 確かにリズムギターなら難所はなさそうだと、脳内で曲を再生する。うん、大丈夫そう、まだ練習していないのにもう弾けている感覚だ。うん、バッチリだ。本当に素敵なこと考えてくれちゃって。私はなんだか楽しくなってきてユースタスさんの腕をバシバシと何度か叩いた。

「わかった、わかったから……お前、くれぐれもトラファルガーに言うなよ」
「大丈夫ですって! 口の堅さには定評があるんですよ」

 口止めがなければその時の状況でペラペラと話したりもします。でも、言うなと言われたら誰にも言わない。それが私のポリシー。酔っ払ってたって、記憶を無くさない限りは絶対。それだけは自分で自分を誇れるところだったりもする。
 ふふふと笑いながらそれを主張するように少しだけふんぞり返るとユースタスさんは「ハハッ、やっぱ変な奴だな」と笑いながらビールを呷った。

「ええ、自負しております」
「自負するな、そこは」

 自分のバンドの練習もあるし、ますます忙しくなる。そう思いつつも私の胸はワクワクで満ちていた。好きなことに関しての新たなチャレンジはいくらあってもいい。こうしてローさん達には秘密のスペシャルな計画がひっそりと進行するのだった。

prev/back/next
しおりを挟む