- ナノ -
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 予想どおりロビンさんからの指示は時間もかからず終わるものがほとんどだった。客足もそう多くなく……つまり色々と考える余地が生まれてしまった。途中で課題曲を絞るのを忘れていたことに気付けたのはよかったけど、人目の少ないときはやっぱりローさんの距離感が近いように感じてしまう。気のせいだ、気のせいにしておかないと私の身が持たない。
 そんなこんなでどうにか今日の仕事を終えた。いつもより謎にカロリーを消費した感がある。そのおかげか、ありがたいことに私の脳は完全に美味しいご飯食べるぞモードに移行している。これならきっと、大丈夫。
 私達は約束通り晩ご飯を食べるべく商店街へと向かう。足取りはもう、それはもう羽のように軽い。気分は気持ちよく空を羽ばたく鳥である。なぜなら仕事のあとのご飯は最高に美味しいからだ。

「明日、早朝のバイトは?」
「ありませんよ、明日は休みです〜」
「なら飯食ったあと……ちょっと付き合え」
「へ、ご飯のあとですか? 何にです?」
「……まァ食ってからのお楽しみだ」

 ローさんとご飯に行くことはもはや定番化しているけど、そのあとがあるというのは初めてのことだ。仕事前のアレもだし、一体何に付き合うのか気になりすぎてしんどい。でも食べてからのお楽しみだというのをここで聞くのもヤボなのでひたすらご飯のことを考える。無理矢理にでも考えるのだ、私よ。

「で、今日は何食べます?」
「何って、まさか決めてねェのか」
「私は何でも」
「何でもいい、はナシだ」

 そう言うとローさんは私の頭をゴスッとチョップしてきた。私はすぐさま貴重な脳細胞が死滅したことを大袈裟にアピールするも「大して変わらねェよ」と一掃されてしまった。減る脳細胞もないということなのだろうか。悲しみ。

「もう、私は今日は和食がいいです。和食。魚。ドコサヘキサエン酸」
「フッ、じゃあソコの定食屋でいいか」

 ローさんが静かに微笑む。笑顔を見るたびに、あの時の電話やらなんやらを思い出してしまう。ご飯モードとときめきモードが行ったり来たりでもうぐちゃぐちゃである。いつもどおりってどうしたらいいんだろうかと思いながら、私はローさんと近くに見えた定食屋へと入った。



「よっしゃ〜〜〜! カツ煮! 私はカツ煮定食を食べるのですよ!」
「……おい、魚はどこにいった」
「むしろ仕事中はパスタ食べたかったんですよね、トマト系」
「……そうかよ。おれは……北海ちらしセットだな」
「むむ、ちらしも捨てがたいですな……どうしよう……ミニちらしを頼もかな、いやさすがに多いかなぁ」
「じゃあおれの少し食うか?」
「えっ! いいんですか?」
「代わりにカツをよこせ」
「了解です、そうと決まればさっさと頼みましょう!」

 ちょっと呆れたような反応をされたところもあったけれど、流れるようにメニューを決めた私達はポチッとボタンを押して店員に注文を済ます。
 ホッとひと息、とはいかないけれど緑茶をごくりと流し込んだ。実はこう見えて緊張のせいか喉がカラカラなのだ。いつもどおり、いや、いつも以上にペラペラと喋っていないと色々意識してしまう。
 ダメだ、よく考えたらご飯シェアして食べるなんて普通に恥ずかしいやつ。あー、やっちまった。どうしたら良いかわからずテーブルの端にあるデザートメニューに集中していると「そんなに食いたいなら、頼めばいいだろう?」と言われてしまった。

「あっ、いや、そんなに食べたいかと聞かれたらべつにそうでもなくて」
「? ま、食いたくなったら遠慮なく頼めよ……そういやユースタス屋から送られてきたんだが」
「送られて?」
「お前、まだ10代でも全然いけるな」

 はて。思考が追い付かない。すでにやっちまっている私は必死に脳をフル回転させる。10代でもいける、とは何のことか。なぜローさんはちょっとニタニタと笑っているのか。キーワードは“ユースタス屋”。まさか……私は思わず立ち上がる。ローさんが「これだ」と見せてきたのスマホの画面には、先日の、魔女っ子姿で演奏してるどう見ても私っぽい人が写っていた。うん。私だ。

「な! なぜにローさんが写真を!? ユースタスさんが!? なぜっっっ!?」
「……さっきこの話をしようとしたらサボの奴が入って来たからな、あいつに見られたらお前大騒ぎだろうよ」
「誰に! 見られても! おおおおおおおおぅ!!」

 仕事前に途切れた会話はこれだったのか……もっと、何か違う話だと思っていた。まさかローさんにコスプレ姿を見られてしまうとは。絶望。某アニメでいうと魔女になっちゃうやつ。いや、すでにローさんの画面の中の私は魔女だ。泣きたい。

「……ユースタスさんに、次に会ったらタダじゃ済まないですと今すぐ伝えてください!!」
「アイツにしてはいい仕事をした」
「ローさん! すぐにそれを!! 消去! 消してください〜!」
「ハイハイ」

 やけに素直に消すことを承諾してくれたと思ったのも束の間、すぐに「気が向いたらな」と聞こえてきた。辛い、辛すぎる……私は一旦心を落ち着けるべく、注文したメニューが届く前にお手洗いに行くことにした。

 悶々とした、何とも言えない気持ちを消化しきれないままなぜ私はコスプレでライブをしたのだろうかと考えた。けれど、それはライブに出る上での決定事項だったので逃れようがなかった。何よりライブ自体の手応えというか、あの感覚は忘れられそうにないのだ。

 ふてくされ気味でお手洗いから戻った私は「……まぁ、そのライブのおかげで私のやる気に火がついたんですよね」とぼやきながらイスによいしょと腰を下ろした。
 そんな私にローさんは「そういえば、バンドまで掛け持ちするのか?」と確認してきた。確かにその説明はしていなかった。バイトも掛け持ちしてバンドもとなるとなかなかヤバい奴である。私はバンド結成の経緯を簡単に説明することにした。

「それぞれ事情があって一旦活動休止になったんです。だけどバンドはこれからも続けたかったし、欲を言えばもっと趣味の近い人達とやりたくて……」
「それでマスター達と、か」
「はい! すぐにマスターさんが連絡を取ってくれて、その日のうちにメンバーが集まっちゃいました!」
「……マスターとモネと?」
「マスターさんの知り合いのヴェルゴさんという人と、お店の常連のクザンさんです」
「常連の青キジはともかく、ヴェルゴってもしかしてサングラスしてるパッと見ヤバそうな奴か?」
「ヤバいかはわかりませんが確かにサングラスでしたね……もしかして! ローさんのお知り合いですか!?」
「まァ、知り合いっつーか顔見知りなだけなんだが……えらいメンツだな」
「えー! まさか顔見知りだったとは……それにしても、私もこんなにすぐ集まるなんて思ってなかったので驚いてます!」

 ローさんはポケットからタバコを取り出しながら「どんなバンドになるか楽しみだな」と呟く。その手元で、いつものよく知ったソフトパックではない箱が見えたので視線が止まった。

「……あれ、ローさんタバコ変えたんですか?」
「あ、あァ」

 最近タバコが値上がりしたのだとニュースで流れていた。その銘柄の一覧にローさんの吸っていたものもあった記憶がある。「そういえば最近値上がりしましたもんね」とその見慣れないパッケージを眺めていると「いや、値段は関係ねェよ。これも前値上がったのと同じ値段だ」と返ってきた。

「あ、そうなんですか」

 値段が同じならばなぜ変わったんだろうか、と思ったけど、もらったら美味しかったとか気分で変えたとか理由はいくつでもありそうだし、それを私がどうしてか聞くのも変な感じがしたのでそれ以上は突っ込むことはしなかった。

「……ま、ただの気分転換だ」
「ほー」

 それでもローさんが自発的に答えてくれたのは嬉しい。気分転換だそうだ。「そういうもんなんですね」と相槌を打ったところで運ばれてくるカツ煮定食を視界に捕らえた私の思考はすぐにカツ煮に支配され、口元は自然と緩んだ。

「ああ、おいでませ、私のカツ煮……」
「だらしねェ顔になってるぞ」
「おおう、そんなハズは……」

「おまたせしましたー」と目の前に置かれたできたてホヤホヤの、湯気を放つ金色に輝くカツを包み込んだふわっふわのたまご。だらしない顔になっても仕方ないと思うけれどローさんに指摘されてしまったので私はカツ煮と真剣に向き合うという意味も込めて姿勢をピシっと正した。すると目の前のローさんがなぜか吹き出したかと思うと口元を手で押さえながら震えていた。

「……っ、お前……」
「な! なんですか! え、笑ってるんです? 私何か変なことしました?」
「ユメはいつもおかしい」
「もう、それはローさんもですよ!!」

 続いてローさんの注文した北海ちらしも届いた。私は「いただきます」と食事開始を宣言すると真っ先にローさんの北海ちらしのサーモンに箸を伸ばした。人のことを変だと笑うローさんへのささやかな仕返しである。

「ん〜!……やっぱサーモンですわぁ」
「てめェ、貴重なサーモンを!」
「まぁまぁ、海老はとってありますから! って! それ一番大きいカツ〜!」
「食い切れねェだろうと思ってな」

 ローさんは私のカツ煮のお皿から大きな一切れを素早く攫っていった。それにしてもだ。さっきのローさんの発言はちょっとかわいい。じわじわくるものがある。

「なんかローさん、こどもみたい……貴重なサーモンって!」
「うるせェ! さっさと食うぞ」

 照れくさそうにそっぽを向いたその一瞬の、やっぱりこどもみたいにむっとした表情は私の心にふんわりと明かりを灯したような、そんな気持ちにさせた。



「じゃあ行くか」
「どこに行くんです?」
「散歩」
「ほほう、散歩ですか?」

 しっかりとお腹と心も満たした食事を終えて店の外に出ると、ローさんが散歩だと言うので私は素直に着いていくことにした。
 しばらく歩いて飲食店で賑わっていた商店街から少し外れた所まで来ると、緑が広がる静かな公園が見えてきた。目的地はここみたいだ。
 遅い時間なので人の気配もない。暗いせいか遊具なども見えない、なんの変哲もない普通の公園、という印象。けれど、いつもより空も澄んでいるように感じる。

「ここより田舎に行きゃァ、もっと星が見えるんだがな」
「えっ、え……星が見たかったんですか? ローさん」

 予想外の発言に失礼かもしれないけど何だか似合わないというか、ロマンチストなのかなと思ってしまった。反芻するように「ほ、ほし」と小さく漏らすと、歩いていたローさんが立ち止まった。

「誰かさんを見てたらな」
「……? 誰かさん?」
「バーカ」

 聞き捨てならない言葉のあとに突然おでこに衝撃が走った。つまりもう何度目かのデコピンをされたわけでして、しかも今回はまぁまぁ痛くてちょっと涙目だ。反撃してやろうと目論んでいると私は腕を掴まれた。そして「まァ座れ」と声がして、そのまま引っ張られるように芝生にしゃがみこんだ格好になった。

「あれだ、たまに、こうして空を見てると落ち着くんだ」
「……?」

 よく見ればローさんは隣で仰向けに寝転がり空を見上げている。確かに天体観測で寝転がっているのをテレビで見たことがある。「それならそう言ってくださいよ! いきなりびっくりしたじゃないですか」とぼやきながら私もローさんに習って、芝生だけども気にせずバッグを枕にそのまま寝転がってみた。人工の明かりが少ないからか、いつもより星が多く見える。キラキラ、している。

「……この町に、こんな綺麗な夜空を見れる場所があったんですね」
「案外、人も来ない穴場だ」
「いいんですか? 穴場を私なんかに教えちゃって」

 風が気持ちいいな、と思いながら話しているとちょこんと、ローさんの手と私の手がぶつかった気がした。これはまずい。空よりも星よりも、一気に手に意識が集中してしまうやつ。そう思ってたらなにやら視線を感じたのでちらりと横を向くと、なぜか星を見ているはずのローさんとバッチリと目が合ってしまった。

「……って! 何コッチ見てるんですか! 星を!! 見てたんじゃないんですか!!」
「誰かさんと共有するのも悪くねェと思ってな。ま、誰にも教えるなよ」

「……ひゃい、あ、はい。」
「っ、まさか噛んだのか? たった、二文字だぞっ……」

 色々と混乱していた私は思わず声が裏返ってしまってしまい、いつものようにクスクスと笑われる。こっちは心臓がいくつあっても足りなさそうなのに。これはもうちょっと切り込んでいくしかないのではないか、そう思った私は常日頃から感じていた疑問をぶつけてみることにした。

「笑いすぎです! それにしても、ローさんってもしかしなくても天然なんですか?」
「は? んなわけあるかよ」

 天然の自覚はないらしい。「……だって、これじゃあ」と、呟いた言葉は声にならずに公園の空気に溶けていく。いくらなんでも、こんな私だって自惚れてしまう。穴場だという他の人には内緒だと言うような場所に、私だったら気を許した人じゃないと……好きな人とじゃないと来ないと思う。
 好きじゃなかったら星を見に来て、星よりも一緒にいる相手を眺めたりなんてしない。何より私の心はもう嘘をつけない、誤魔化せない。
 好きだから、なんだ。追いつきたいと思うのも、同じ世界を見たいと思うのも全部、ローさんが好きだからなんだ。

「……ロー、ローさん!」
「ん?」
「私ですね……」

 星を見に来た男女が寝そべって星ではなく、お互いを見つめ合う。しんとした空気の中で、私達を見ているのはこの星空だけ。マンガのような、ドラマのような二度と体験できないであろう甘ったるいシチュエーション。死んじゃう、私の心臓止まっちゃうと思いながら振り絞る。絞りだせ! ユメ!!

「私! ローさんのこっ……あの、ローさんみたいに、バンド頑張り、ますっ!」
「……ん」

 私の頭をポスポスと叩きながら「頑張れよ」と微笑んだローさん。嬉しい、でも言いたかったことは違うのに……己のチキン具合に小さな小さなため息を吐き出しながら、もう一度チカチカと星が瞬く空を見上げた。

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