走っても、走っても追いつけない背中。私が何度呼んでも振り向かないその背中は、手を伸ばせば届きそうで届かない距離。待って。置いて行かないで、一人にしないで。
「せ……いち」
開けた目には涙が溜まっていて視界が霞んで見える。「精市、」ともう一度呼ぶと、低過ぎない柔らかい声が頭の上から降る。
「俺はここにいるよ」
「ん、」
「大丈夫、なまえを一人になんかしないから」
流れていた涙を指で掬い、いつもみたいに頭を撫でてくれる。細くてもテニスをしているその手は、私よりも大きくて、優しい手。何度この大きな手に救われたんだろう。
「精市、」
「何だい?」
「ぎゅっ、てして」
「ふふっ、いいよ」
「おいで」といつもの優しい笑顔で手を広げて呼ぶ精市。私が手を伸ばすと、その手を引っ張って抱きしめる。精市の胸に顔を埋めると、トクン、トクンって規則正しく鳴る心臓の音。
「……私っていつも精市の後ばかり付いて行って、頼って甘えて……色んなものを精市からもらってるのに、私は何もしてあげれてないね」
「急にどうしたの?」
「何と無く…だよ」
「…なまえ、」
「なぁに?」
「俺はなまえが思ってるよりも、沢山のものをもらってるよ?」
「私から…?」
「なまえが気づいてないだけで、俺も色んなものをもらってるから。だから、俺は十分それで幸せなんだよ。なまえは俺と居て幸せ?」
「当たり前だよ。私、精市無しじゃ、生けていけないと思うもの」
「ふふっ、嬉しいな。俺もなまえ無しじゃ、死んじゃうかも」
ぎゅうっと強く抱きしめられる温もりに安心する。精市は私にとって、きっと精神安定剤みたいなもの。さっき言ったことは冗談なんかじゃなくて、本当に精市が居ないと生きていけなくなると思ったんだ。
「精市、大好き」
「今日は随分素直だね」
「うん」
「ふふっ」
「…ねぇ、精市は?」
「勿論、なまえのことを愛してるよ。これからもなまえだけ。ずっと一緒だよ」
融解する僕らの存在
◎幸村に「おいで」を言わせたかっただけ。
title:Aコース