ねた

** 死にたがる花宮
そう、それは本当に意味のない行為で。
自分でも理解ができていなくて。

たまたま、何度か不快なことがあったとか。
たまたま、誰もいなかったとか。
たまたま、ぼんやりする時間があったとか。

たまたま、手にカッターを握りしめていたとか。

そう、それだけのこと。

それだけのことなのに、なんだか、無性に苦しくなって。
自分の身体が気持ち悪くなって。

カッターの刃を、ゆっくりと出して行く。
ちきちきちき、と音を立てて、刃はゆっくりと現れる。
そのことになぜか高揚感を覚えた。
口は普段からは想像出来ないような笑みを浮かべていた。

最初はゆっくり、ゆっくりとカッターの刃を、己の手首に滑らせる。
ぴっ、と皮が引き裂かれていき、少しだけ血がにじむ。
それがなんだか楽しくて、嬉しくて。
何度も何度も手首に刃を滑らせ、皮だけでなく肉まで引き裂いていく。
それは一部にとどまらず、段々と下がっていった。
段々と腕から滴り落ちる己の血。
ぐちゃぐちゃになっていく腕。
高揚していく精神。

しかし、それは唐突に終わりを迎える。
いきなり後ろから腕を掴まれたのだ。
突然止まった腕にきょとんとしていると、後ろから声がかかった。

「な、にしてるんだ…花宮」

ぎちり、握り締められた腕が痛む。
振り向くとそこには木吉がいた。

「…なんでこんなことを」

苦しそうに顔を歪める木吉をみて、それからゆっくりと己の腕をみる。
血まみれで、ぐちゃぐちゃな腕が、ぼたぼたと血を流しながら存在していた。

「…な、に、なんだ、これ」

理解できずにいると、段々と目の前が白く染まっていく。
大きくぐらりと揺れて、意識が保てなくなっていく。
木吉の叫び声と、鳴り響く電話の音を聴きながら、ゆっくりと目を閉じた。




水底から浮上していくような感覚と共に、目が覚めた。
ぱちり、目を開いてみると、そこは真っ白な空間だった。
時折香る消毒液のにおい、点滴の垂れる音。
口に付けられた酸素マスク。
じくじく痛む己の左腕。
これらの情報から、ようやく病院にいるのだと理解できた。

「……いてえ」

ぽつりとこぼす。
左腕は包帯で包まれており、どうなっているかわからない。
しばらくぼんやりと左腕を見つめていると、扉が開く音がした。

「…花宮?」

扉の向こうには、心配そうに顔を歪める木吉がいた。
その顔がなんだかおかしくて、思わず笑ってしまった。

「…間抜け面だな」

なんて笑ってやれば、ぽかんとした顔をして、それから、笑った。
ゆっくりと扉をしめて、こちらに近づいてくる。
木吉から、目が離せなかった。
側にあった椅子を引き寄せ、点滴の横に座る。

「…なんで、あんなことしたんだ」

苦しそうな顔をして、掌を俺の頬に滑らせる。
それが心地よくて、擦り寄った。
そうすれば少しだけ、木吉が笑うから。

「……痛くないか」

頬の手はそのままに、空いている手で俺の左腕に触れてくる。
触れられた部分が痛くて、熱くて、思わず顔をしかめた。

「……いてえ、けど」

目を逸らしたまま、ぽつり、ぽつりとこぼして行く。

「……なんか、わかんねえけど、たまーに、本当にたまにやりたくなる」

包帯で真っ白な己の左腕を見つめる。
力を込めたかったが、痛みにより叶わなかった。

「……死にたいわけじゃねえ、けど、やりたくなる。なんでしたか、なんざ、おれがしりてえよ」

ぼやけてくる視界が煩わしく感じた。
ぱちりと瞬きをしたら、頬に水が伝う感じがした。
木吉はそれをぬぐい、両手で俺の顔を包み込む。

「……やめろって、言いたいよ。リスカなんてするなって言いたい。けど、そんなの無理だって知っている」

悲しそうな、辛そうな目をする木吉。
嗚呼、そんな顔させたくなかったのに。
いっそ、こんな姿を知られぬまま死ねたらよかったのに。
木吉は更に言葉を続ける。

「……けれど、切ることで花宮が安らぐなら。やめろなんて、言えないんだ。だからな、ひとつだけ約束してくれないか」

「次から切るときは、俺の近くにしてくれ。そうしたら、花宮が死なないから。花宮が死なないように、俺がとめるから」

決意を込めた、しかし苦しさが混ざった瞳。
きっと、木吉なりの妥協。

「…ひでえやつ」

右腕を木吉の手の甲に重ねる。

「それじゃ、きれねえじゃねえか」

目を閉じて、木吉の暖かい掌に擦り寄る。
木吉がいる、それだけのことで満たされて行く感じがした。

「…ゆっくりでいいから、切らないようにしよう。俺は花宮に生きていてほしい」

瞼に、かさついたぬくもりが落ちてくる。
必要とされている、そう思うと、なんだか泣きそうになった。


きっとこの先、また耐えきれずに腕を切るだろう。
腕だけとは限らない。足だって切るかもしれない。
しかし、それでも。
駄目だと叱るあいつが側にいるだろうから。

そんな遠い未来に思いを馳せながら、意識を沈ませた。



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