▼ ささやかな平和
鍋の中身が焦げないようにぐるぐるとかき混ぜる。その中を優雅に泳いでいる具に十分火が通った事を確認して、コンロのスイッチを切った。カレーの完成だ。フライパンの中のもう一つのメインは既に出来上がっている。サラダは小分けにしてあるので、後はみんなの帰りを待つのみ。
「μτζηχ!」
「あ、イーちゃん」
「γειθαΩφχλ?」
「ごめんね。ちょっとわかんないや……。でももうすぐ帰ってくると思うから、みんなで一緒にご飯食べよ?」
そう言うとイーちゃんはにぱっと笑ってくれた。おれもつられて笑顔になる。イメージ的にはお花畑だ。しかしおれの笑みにそんな効果は期待できないので、お花畑の成分は九割イーちゃんメインだけど。おれは木とか葉っぱだ。花ではない。なら蝶々は誰だ。
どこかに逝きつつある思考にストップをかけられた。玄関から物音がしたのだ。耳をすましてみるとツナやリボーン達の声が聞こえる。どうやら帰宅したらしく、そのまま足音はこちらに向かってきた。
「おかえり」
「えっ、千星くん? 母さんは?」
「用事があるみたいで出掛けたよ。夕飯までには帰れそうにないって言ってたからおれが作っちゃった」
そこまで言うとツナはへぇ、とやる気の抜けた声を上げた。こういう事は今までに何度かあったのでツナは特別驚いていないらしい。
「あら、カレーかしら?」
「もうランボさんペコペコだもんね!」
「二人ともおかえり。そうだよ。でもただのカレーではないけど」
「え?」
「まあ座って」
おれは人数分のご飯を皿の上に乗せるとその上にカレーを乗せ、更にその上にフライパンの中身を重ねる。
「麻婆豆腐?」
「うん。カレーと合わせると美味い、らしい。誰かはこれをマーボカレーって呼んでた」
「ん……。うまい!」
一口食べて目を輝かせたツナ。それを見てリボーンやビアンキが手を動かす。ツナが毒味させたように見えるのは、きっと気のせいではない。確かにおれも初チャレンジだったから美味いか自信なかったけど、いささかそれは失礼じゃないだろうか。
「δρμτ!」
「ん……ありがと?」
「確かに美味しいわ。でも私が作ったらもっと美味しくなるわね」
そう言いつつもスプーンを持つ手が止まらないビアンキが可愛く見える。ランボさんとリボーンも黙々と食べているので不味くはないらしい。そんな彼らの元へサラダを配る。
「ところで今日は何してたの?」
「千星くん聞いてよ! なんかまたハルの変なことに巻き込まれて」
「ハルちゃん?」
「そう。あいつ公園でナマハゲの着ぐるみ姿で子どもに囲まれててさ。何故か包丁まで持ってたから警察に捕まったんだよ。一緒にいたオレもまきぞえくらって連れて行かれたし」
「そうだったんだ……」
「それだけじゃないのよツナ」
「へ?」
「ハルはツナの前にわざわざ百円を置いたり、特殊メイクでおばあさんに化けてツナの前に現れたりしていたわ」
「あれもハルだったのか! ホント意味わかんない……」
「愛を試す為よ」
「は?」
「ハルはツナを好きでいていいのか迷っていたの。だから私はこう言ったわ。『愛する人を信じられなくなったら、納得いくまで試すのよ』って」
なんだかよく分からないがビアンキが元凶ってことだけは理解できた。でも警察沙汰になったなんて、ハルちゃんの行動力は脱帽ものだ。
「しっかし歩道橋の上から落ちた時はホント死ぬかと思ったよ。あやうく車にぶつかる所だったし」
その言葉に、思考が凍る。背筋に冷たいものが流れた。歩道橋から落ちた? 車にぶつかる所だった?
「死ぬ気を弾撃たれたからなんとかなったけど……」
「ほんと?」
「うん」
「……」
「千星くん?」
「っ、大丈夫? どこか打った? ケガとか、どこか……」
「えっ、落ち着いて! 見ての通りケガとかしてないから!」
ツナの肩を抱いて肌の部分を視診する。確かに怪我はしていなく、安堵の息がこぼれた。
改めてツナの顔に視線を戻す。すると、彼の頬がほんのり赤かった。距離が近すぎたから驚いているのだろうか。手を離して元の位置に戻る。
「そういえばゼリーも作ったんだけど、食べる?」
すぐに返ってきた予想通りの反応におれはくすりと笑う。
高鳴る心臓は、もう大丈夫。
20080221
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