マリンスノーに祝福を | ナノ


▼ 疑似体験

 玄関のドアを勢いよく閉める。
 家の中は薄暗かった。荒い息のまま靴を脱ぎ捨て、食卓にスーパーの袋をどさりと置く。早く中身を冷蔵庫にしまわなくちゃいけない。そうは思うけれど、体がダメだった。おれは椅子を引いて座り、テーブルに片肘をつき重い頭をそれで支える。

「……──はあっ、」

 やってしまった。今日はやけに精神が不安定だと思っていたが、まさかここまでだったとは。自身の金髪を強く握りしめる。
 次の瞬間、ガチャリと玄関の開く音が鼓膜を振るわせた。心臓が、ドクドクと音を立てた。

「こんちはー!」

 聞こえてきたのは武の声だった。予想を良い意味で裏切られ、胸を撫で下ろす。
 しかし疑問が浮かび上がった。どうしてここにいるんだ? まさか、さっきの現場を見られたのだろうか。

「いるの分かってっから勝手に上がらせてもらうぜ」

 そう言って靴を脱ぎ、廊下を進む。彼は台所へと迷うことなく歩いてきた。

「千星見っけ」
「どうして……」
「お前が走ってるのが見えてよ。気になって追いかけてきた」

 追いつく自信あったんだけどなと言う武。顔を上げると、そこにはいつも通りの明るい笑顔があった。

「そういやツナ達は?」
「全員で旅行。懸賞でチケットが当たったんだって」

 これは表の理由。本当は、マフィアランドという行楽地へ出かけた。ツナが本当のことを知ったらきっと驚くだろう。なんせリボーンはわざわざポストに偽物のチケットを入れるほど用意周到だった。

「だからおれは留守番」
「なるほどな。……あと」
「なに?」
「顔色が悪い理由、聞かせてくんねぇ?」

 武が笑顔を消し、真剣な表情でおれの顔を覗き込む。それに耐えきれなくて目を泳がせた。

「千星」
「………」
「言えない事なのか?」

 その瞳は澄んでいて、引き込まれそうになる。いや、既に引き込まれてしまったのかも知れない。だって気付いた時には、口から音を紡ぎ出していたから。

「……今から」
「ん?」
「今から言うことは、他の人には言わないでほしい」
「わかった。絶対言わねぇ」
「ありがと」

 彼の揺るぎない言動に、少しだけ笑みがこぼれる。
 そして再び口を動かした。

「おれさ、どうしてもそこに居なきゃいけないって状況になると、変になるんだ」
「変に?」
「うん。留守番って家に縛り付けられるだろ? そういうの苦手で。そのせいで、さっき絡んできた不良を……」

 そこまで言って、言葉が詰まる。
 商店街へ買い物に行った帰り道、近くにいた数人の不良に外見のことで絡まれた。いつもなら全く気にせずにスルーするか、自己防衛として軽く懲らしめる程度で終わるはずだった。
 でも留守番という形で束縛され、不安定になった心にはストッパーが存在しなかった。

「……さっき、外で絡まれたんだ。外見のことで。いつもは適当にあしらう程度で終わるんだけど、今日はそれができなくて」
「……珍しいな」
「おれ、奴らをたくさん殴ったし、蹴った。止まんなかったんだ。相手がどんなに謝っても。無視して一方的に、殴った」

 そこまで言うと、頭上にふとあたたかなものが触れる。武が、おれの頭を撫でていた。
 まるで小さな子供をあやすように、ゆっくりと。そのせいで目頭が熱くなって、言葉がどんどん頭の中に溢れていく。今は『千星』なのに心が決壊して、『わたし』を止めることができない。

「あれは、疑似体験なの」
「疑似体験?」
「そう。相手を痛めつけることで、自分がされているような錯覚を起こしてる」
「なんでそんな事……」
「自分が許せなくなると、そういう衝動が走る。酷い時期は呼吸をすることさえ苦しかった。今は平気になったけど……ただ本当に久しぶりだったから、すごく動揺してて」

 気持ちが不安定だと自分をどんどん追い込んでいって、どうしても自分が許せなくなって、誰かを痛めつける。それに自分の姿を重ねて安心するんだ。

 そろそろ並盛を離れなくちゃいけない。目的のために。そう考えれば考えるほど頭が痛くなった。そこに縛り付けられる不安が混ざり合って、ぐちゃぐちゃになった。今日の行為の根元はそれだ。
 ──おれは、ここに長く居すぎたのかもしれない。

「ごめんね。変なことばっか言って」
「……オレには難しいことはわかんねーけどさ」

 ふと武の顔に視線を送る。そこには笑顔があった。

「何かあったらいつでもオレんとこに来いよ。頭撫でることしかできねーかもだけど」

 その言葉が本当に優しくて、おれの胸に響く。武に見られないようにテーブルに顔を伏せると、ぽたりと涙のしずくが落ちた。



20090203

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