マリンスノーに祝福を | ナノ


▼ メランコリー


「悲鳴が聞こえたから上がったぜ」
「さっきから何してるの……」

「山本ぉ!千星くんっ!  助かったーっ!」

 平和だった夕暮れ時、隣の部屋から断末魔が聞こえた。
 ツナの元へ向かうと誰かの階段を上がる音が聞こえ、現れた武と一緒にドアを開けた。そして冒頭に戻る。
 部屋には美味しそうなラーメンの香りが広がり、獄寺少年がツナに土下座をしている。状況が今一つ理解できなかった。
 山本はリボーンとツナの元へ向かい、逆に獄寺はその場から静かに離れていく。それに気付かない三人。おれの選択は一つだった。



「ねぇ」
「……お前か」

 玄関先で彼を呼び止めるが、いつもの覇気が感じられない。振り向いたその表情には影が差していた。

「どうしたの?」
「ついて来んな」
「……そう」

 一言で蹴られ、これ以上会話が続かないことを悟った。
 おれは、いつも相手の問題には深入りしないように心掛けている。だから今回も無闇に心の中へ踏み込もうと思わない。苛立つ獄寺には考える時間が必要なのだろう。そう判断し、おれは踵を返した。
 しかしそれは未遂に終わった。何故なら獄寺少年に、胸倉を掴まれたから。

「っ、そういう態度がむかつくんだよ!」
「え」
「いっつも飄々として、リボーンさんや十代目に認められてるのにそんなのどうでもいいみたいな態度とって」
「獄寺……?」
「オレが欲しいもん全部持ってるくせに、なのにそれをドブに捨てるような真似して。見ていてイライラすんだよ! もうオレの前に現れんなっ!」

 獄寺は、おれを突き飛ばして走り去っていった。煙草の香りが遠退いていく。どうやら地雷を踏んでしまったらしい。正確には、おれの存在自体が彼の地雷だったようだ。
 獄寺のことを宥めることができず、しかも怒らせてしまった事実が心を覆っていく。ツナの部屋に戻る気力がなくなり、おれはゆっくり歩き始めた。



「はぁ……」

 土手に寝そべりながら空を見上げる。冬独特の乾燥した空は、もうオレンジから群青色に移り変わっていた。チクチクする草の感触にも慣れ、どれくらいここにいるのかわからない。携帯を忘れてきてしまった。

「現れんな、ね」

 世界の誰からも好かれようなんて思っていない。ただ、一方的な敵意をぶつけられるのは久々だったから動揺している。『わたし』になら大丈夫だけど、今、自分は『千星』だ。大好きなあの人に向かってそんな言葉を吐かれたら、

「……っ、」

 空の群青が歪んだ。泣いてはいけないという思いに反して、視界が徐々にぼやける。どうにかならないものだろうか、この涙腺は。

「……キミ、どうして泣いてるの? 男にでもフラられた?」
「へぇー、あんたなかなかイイ顔してんじゃん。フッた奴はよほど見る目がなかったんだな」

 突然声が聞こえて振り返る。土手の上の道から、チャラい男二名がこっちに降りてきていた。気配に気付かないくらい、思考の深みにはまっていたらしい。

「……そういう訳じゃ、ありません」

 起き上がって歩み寄るお兄さん二人と向き合う。品の感じられない下衆な笑みは、ケンカや金目当てで絡んでくる連中のものとは違った。この眼差にはいつも不快感ばかりが募る。

「ありゃ、違った?」
「理由なんてどうでもいいだろ。泣いてないで俺達と一緒に遊ぼうぜ。楽しいことでもしてさ」
「お誘いのところ悪いんですけど、おれ男です」
「は? マジで?」
「はい。なので失礼します」

 さり気無く場を離れようとするが、相手の一人に腕を掴まれて未遂に終わる。

「じゃあ確かめさせてくんない?」
「は、」

 予想外の言葉に思考が停まった。

「それいいな。お前そのまま押さえてろよ」
「おう。今日は青姦だな」
「っ! いい加減に、」

 してください。そう言った筈が、爆発音によってかき消される。聞き慣れた音と、火薬の香りがした。



 爆発を起こしたのは、獄寺隼人だった。彼はナンパ男二名をダイナマイトによって追い払い、現在はおれの片腕を無造作に掴む。
 そして無表情のままスタスタと来た道を歩き始めた。

「よく分かんないけど……ありがと。助けてくれて」
「………」
「………」

 沈黙が訪れる。
 どうしようかと頭を悩ませていると、獄寺のきつく結ばれた口が動きを見せた。

「おい、」
「え?」
「言い過ぎて、悪かった」

 それだけ言うと、また沈黙が訪れる。しかしさっきのように居心地の悪さはなかった。
 ゆっくりとは言い難いスピードについていきながら、おれは掴まれた腕から伝わる獄寺の温もりを静かに感じていた。



20090110

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