▼ 月光マーメイド4
リズは走り出しました。屋敷を抜け、バラ咲く中庭を駆けていきます。両足は刃で裂かれたように痛みますが、彼女は決して止まりませんでした。
何故なら、足よりも痛むものがあったから。
スパーダに見られてしまった。未遂だったとはいえ、それがリズの中で自己嫌悪となり、心をじわじわと押し潰していきました。
「リズ! 待てったら!」
後方から聞こえる主の声と足音。待てと言われても止まるわけにはいきません。
しかしリズは痛みという爆弾を抱える身。次第に二人の距離は縮まっていき、
「ンのやろ……っ!」
とうとうスパーダに腕を捕まれてしまいました。
「──ハッ……っ、はぁ……。やっっと、捕まえたぜ」
「……」
「ったく……なんで逃げんだよ」
スパーダの問いかけにリズは顔をうつむかせるだけで、後ろを振り向く気配がありません。
「オレん部屋にいたけど、なんかあったのか?」
「……」
「……って、喋れねーんだったっけな」
ため息を吐くスパーダにリズは小さく体を震わせます。呆れられている。そう思うと無性に悲しくなったのです。
「……」
反応を見せないリズの腕をスパーダは思いきり引っぱり、背を向けないよう彼女の両肩を掴みました。
「リズ」
名を呼ばれ、恐る恐る顔を上げるリズ。その不安げな表情が月光に照らされます。
「お前が何をしてたのかは、気になるけと別に大した話じゃねェ」
「……」
「オレが気になるのは、なんでリズが泣きそうな顔でオレから逃げたかだ」
真っ直ぐな眼差しで言い放った言葉には、心配の色が含まれていて。
「オレ、お前が嫌がることしちまったか……?」
眉を下げるスパーダに、リズは否定の意味を込めて首を横に振りました。
自業自得だったのです。我が身可愛さにスパーダを殺そうとして、でも出来なくて。スパーダに嫌がることなどされていないのですから。
「そっか。なら良かった……。あとお前に話しておきてェことがあってな」
スパーダの言葉に思わずリズは目線を逸らします。脳裏に『婚約』という単語が浮かびました。
「なんかオレが婚約するとかで色々騒いでるみてーだけど、リズに言っときたくて」
はっきりと聞こえているはずのスパーダの声が、リズの中で段々と透明になっていきます。
「……」
スパーダは当主の息子で、リズはただの使用人。主人の幸せは人一倍願っているつもりです。
結婚をしてスパーダが幸せになる。本来喜ぶべきことなのに、リズは聞きたくないと心の奥底で叫んでいました。
化けの皮が剥がれるように、メイドという立場に隠されてきた感情が溢れていきます。
「……っ」
ついに涙と共に沸き上がった恋心は、頬を伝ってポロポロと落ちていきました。
「な、なんで泣いてんだよ!」
スパーダの慌てる声にリズは答えられません。
月夜に出会い、心を奪われ、忘れろと言われても出来ず。リズはあの日からスパーダに恋い焦がれていたことに気付いてしまいました。
「ったく……。ほら、泣き止めって」
リズの目から零れ続ける涙を手のひらで拭い、スパーダは彼女の身体にゆっくりと腕を回します。
「婚約なんかしねぇよ。蹴っといた」
スパーダの腕の中でリズは目をパチリとさせます。予想外の言葉に涙が引っ込み、潤んだ瞳でスパーダを見つめました。
「……?」
「お前そういうとこ可愛いよな」
「……」
「いてっ、主人を叩くメイドがいるか! こりゃ教育し直しだ」
何故だか楽しげに呟く主人に、ますますわけがわからなくなるリズ。スパーダはぽりぽりと頬を掻き、婚約しなかった理由を話し始めます。
「アイツは綺麗だしイイ体してっけどよぉ。でも結婚とか、将来一緒にいるとこ想像してもピンと来なくてさ」
「……」
「オレ、海に落ちたことがあったんだけど……。真っ先に浮かんだのが、その時に見た、心配そうな顔で覗き込んでたヤツ」
「……」
「なんですぐ思い出さなかったんだろーな。オレンジがかったピンクの目なんて、そうそうあるもんじゃねェのに」
スパーダは真剣な表情で、過去のパーツを繋ぎ合わせていきます。
「オレを助けてくれたのは、リズ……お前だろ?」
そして導き出されたひとつの真実。
リズは涙を流しながらコクコクと頷きました。彼女の仕草を見たスパーダはニカッと明るい笑みを浮かべます。
「だよな! っつーことで婚約はしねェ。オレはお前と二人きりのティータイムが一番好きなんだ」
背中に回っている腕の力が強くなり、リズはその締め付けに身を委ねます。
「だから、これからもヨロシク頼むわ。オレだけの人魚姫」
瑠璃色の髪にキスを落とすスパーダ。
あまりの幸せに、リズはとろけるような笑みを浮かべました。
声を無くした人魚の結末。
それは愛する人と心を結ばれ、幸せなものとなったのです。
2013.02.22
『連載夢主で童話パロ人魚姫。ハッピーエンド』というリクエストを頂きました。
なかなかまとまらずに長文になってしまい申し訳ありません。ギャグか切甘ということでしたので、今回はこういうかたちになりました。
はるさま、リクエストありがとうございました!
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