アクマイザー

交差する光


次元技を使いすぎると、周囲の空間が不安定になることがある。
そんなとき、時折サガの前に現れる幻影があった。岩ばかりの不毛の大地に噴煙がまき上がるのが見え、火山地帯のように思われたが、どこかなのかは全く判らない。
さらに稀な確率で、その風景にただひとり男の映ることがある。
生活出来るような場所には思えないのに、彼はそこで暮らしているようだった。褐色の肌を持つその男は大層カノンに似ていた。とくにその目。何もかも見透かすような、諦めているような、そして誰の事も信じていない目。13年前のカノンのあの目を思い起こさせる。

だからだろうか、その男のことが気になったのは。

サガはその幻影空間を固定しようと試みた。
小宇宙を高めてその世界へ触れてみると、そこは案外とこちらの時空に近い形で構成されていた。アナザーディメンションで別次元を開放するときなど、物理条件の全く異なる世界に繋がる事もあるのだが、それに比べれば介入は容易い。それだけでなく、意外なことに男はサガとの何らかの縁を持っているようだった。自分と関係性を持つものが存在すると、道を繋ぐとき飛躍的に空間の安定値が高まる。
サガはエイトセンシズまで小宇宙を高めると、するりとその風景の中へ身を投じた。


デフテロスは突然降ってきた男に警戒の色を露わにする。即座に攻撃をしかけなかったのは、相手から敵意を感じなかった事もあるが、まずは状況を確認すべきだという冷静な判断が働いたからだ。
相手が自分と同じ次元技を使い、界を渡ってきたことは直ぐに気づいた。しかも凄まじく小宇宙のレベルが高い。
現れた男は界渡りでほつれた前髪をかきあげている。顔立ちは彼の兄アスプロスに恐ろしく似通っているように思われた。その事が警戒心だけでなく拒絶の気持ちまで高めた。
何者だと問おうとする前に、相手のほうが口を開いた。
「このような場所に、どうしてひとりで?」
デフテロスの眉間に縦じわが寄る。どうやら一方的に相手は自分を知っているらしい。
相手は立ち込める噴煙を手で払い、それでもおっつかないと判ると自分の周りに空気清浄機代わりの結界を展開した。簡単にこなしているが、それとて高度な技術なのだ。
「粉塵が凄いな。これでは洗濯が大変だろう」
「…用件を言え」
デフテロスは他人と話すのに慣れていない。黄金聖闘士となって以降は話す機会も増えたものの、それまでは兄の影として人との接触は制限されてきたからだ。そのこととは別に無駄な会話も嫌いだった。他人とやりとりする会話など最小限でよかった。むしろ拒絶したい。だからこそこの地を選び、人を避けているというのに。

自分の領域を侵犯してきた相手を、デフテロスは強く睨む。

相手の男は動じもせぬ様子でふわりと微笑んだ。
「わたしはサガという。用は君と話をすることだったのだが…ああ、君からジェミニの気配がする。どうりで界を繋げやすかったはずだ」
そういう男からも双子座の気配がする。サガと名乗る男は、異界での双子座の主だと主張した。
「勝手に現れて勝手な事を言うな。会話が用ならば目的は終えたろう。さっさと去れ」
にべもなくデフテロスは切り捨てた。サガはきらきらした気配までかつての兄に似ていて、逆に否応もなく兄の裏の顔をも思い起こさせた。それはデフテロスの傷を深く抉った。
しかし、初対面の相手に心の動揺を悟られるつもりなどなく、表情は変えずに拒否の言葉だけを伝える。
意外なことに、サガは素直に謝罪した。
「わたしはお前に似た目をしていた者を知っている。だから気になってしまったのだが、たしかに突然そのようなことを言われても困るだろうな。すまない」
下手に出られると、デフテロスも強くは言いにくい。
それでも、気を許すつもりは全く無かった。
「フン、殊勝なことを言ったところで、貴様もどうせ裏を持っているのだろう」
サガは目をぱちりと瞬かせている。
言葉にしてしまってからデフテロスも気が付いた。自分は本当に他人と関わりたくないのだ。『あのこと』以来、どうしても人を心の底からは信用できない。あれだけ優しかった兄ですら心の中に悪魔を飼っていた。表面上どんなに取り澄ました者だとて、いつ何時豹変するか知れたものではない。そんなものは見たくない。
そんなデフテロスの心を見透かしたかのように、サガは目を伏せて静かに尋ねた
「名を聞いても?」
「この島のものは鬼と呼ぶ」
「鬼には見えないが…異界のジェミニよ、裏のない人間などいるのだろうか」
思わぬ切り替えしに言葉が詰まる。
サガは優しそうに見えて、言葉に遠慮はなかった。
「君は他人を信じたいのに出来ないという目をしている。誰かに裏切られた事があるのか」
「黙れ」
「単なる他人であれば、差し出がましいことを言うつもりはなかった。しかし君はジェミニだ。人を信じぬ者は人を信じる者に敵わない。聖衣の真髄を発揮することが出来ないのだ」
「黙れと言った!」
空気を極限まで圧縮して球となし叩きつける。サガの張っていた結界がパリンと割れた。
無神経にもほどがある。一体何の権利があってそこまで踏み込もうとするのだ。
しかしサガは避けなかった。額から一筋の血が流れ落ちるのを拭いもせず、周囲へと目をやっている。そして納得したように呟いた。
「そうか、ここはこちらの世界での癒しの地か」
岩と不毛の大地ばかりのカノン島を、癒しの地とは普通の人間ならば思わぬだろう。灼熱の溶岩のなか、傷ついた聖闘士は身を癒すのだ。
「だが、ここでも心の傷は癒せまい」
サガは真っ直ぐにデフテロスを見た。その真っ直ぐさが昔のアスプロスを思わせて、知らずデフテロスは俯いてしまう。無様だと思う。初対面の男にここまで揺さぶられる自分が。
兄を思い起こさせる目の前の男がひどく憎かった。
「…また来るよ、鬼を名乗るジェミニ」
暫く一方的に話しかけたあと、サガは消えて行った。
自分が鬼なら、サガとやらは悪魔に違いないとデフテロスは思った。

(2009/10/26)


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