アクマイザー

ねじ巻きオルゴール2


「俺の黄金聖衣はどこにあるのだろう」
浮き立った様子でアスプロスが次に尋ねたのは、やはり双子座聖衣のことだった。
「普段は火山の溶岩のなかへ沈めてある」
「黄金聖衣をか?何故そのような場所に…ああ、みだりに使用しないためか」
本当は、聖衣を目に入る場所へ置いておきたくないからなのだが、アスプロスは勝手に解釈した。パンドラボックスを無闇に開けてはならぬように、黄金聖衣は普段厳重に封印しておくものだと、まだ見習いの頃の精神を持つアスプロスは考えたようだ。
「だが、少し呼ぶくらいならばいいだろう?」
アスプロスは小宇宙を高めた。己のものであるはずの双子座聖衣に働きかけようとしているのだ。
「やめろ」
思わずデフテロスは声を荒げた。驚いてアスプロスが弟を見る。
「どうしたのだ、デフテロス」
「いや…そんなことで聖衣を呼ばぬ方がよい」
「やはり、駄目か」
記憶のないアスプロスは、黄金聖衣に関する弟の判断を信じて、小宇宙の発露をとめた。弟の言葉を素直に信じるという反応もまた、かつての真っ直ぐな兄のものだ。
デフテロスは唇を噛み締める。
黄金聖衣は、おそらくアスプロスの呼びかけには応じない。応じても着用はできない。
なぜなら、現在、双子座聖衣の主はデフテロスであるからだ。
アスプロスは蘇生後に黄金聖衣よりは双子座の冥衣を選んだ。『双子座の黄金聖衣はお前が纏え、自分にはもう必要が無い』と言い放ったアスプロスは、それまでの混濁から開放されたかのように晴れ晴れとしていた。そしてデフテロスはそれを受け入れた。
それは双方納得した上でのことであり、互いに後悔も遠慮もない。
もちろん、今でも兄が最強の双子座聖闘士だと思っているし、自分に何かあれば代わりに動いてくれると信じている。けれども、アスプロスには高みが似合うと考えるのと、理想を押し付けるのは別のものだということも、デフテロスはもう理解していた。
アスプロスが聖闘士であろうとなかろうと自分の兄であることに変わりはないのだ。ならば、普段は兄らしく生きていってくれるのが1番だ。
しかし、闇の一滴を落とされていない頃の、一途に高みを目指していたアスプロスへ、そんな事は言えない。
(記憶が戻るまでのあいだだけ、黙っていればいいことだ)
デフテロスはそっとため息を零した。


数日間は何事もなく過ぎた。
生活するには不便の多いカノン島だが、訓練生時代と違って自由時間が山のようにある。
デフテロスは島内の狩場や温泉、食べられる野草やハーブの自生地などを次々に案内した。小さな畑をつくっていることや、鶏まで飼っていることを知るとアスプロスは驚き、それらの食材を使って簡素ながら立派な夕餉が用意されると、目を輝かせた。
「凄いな、聖域での食事よりも、よほどいい」
「カノン島は田舎だが、材料は新鮮なものを好きなように用意できる」
「なにより三食ともお前の手料理だ、デフテロス」
スープのお代わりを要求するアスプロスに屈託は無い。
このままでも良いのではないかと、少しだけデフテロスは考える。このまま本来の兄の心を伸ばしてやりたい、正しく聖闘士として生まれ変わったアスプロスになら、黄金聖衣をまた返してもいいのではないかとすら思う。
だが、そんな時間はふたたび杳馬が現れるまでのことだった。


「堪能してるかい?」
見た目だけは親密そうな笑顔で、杳馬はふらりと二人の小屋へやってきた。
ただし、小宇宙を抑えずに。
聖闘士とは異なる異質な気に、アスプロスは怪訝な顔をした。デフテロスはいつでも戦闘に入れるよう体勢を整えつつ、杳馬へ向かって低くうなる。
「何をしに来た」
「へーえ、お兄チャンを元に戻せ!が第一声じゃないんだねェ?」
「………貴様」
一発触発な雰囲気を読み取り、アスプロスがデフテロスへこそりと尋ねた。
「デフテロス、杳馬は何者なのだ。何故そんなにお前が敵意を向ける?」
「奴は、」
言いかけてデフテロスは口ごもった。どこまで話していいのかが分からない。
その言葉じりを奪うようにして、杳馬が嘲笑った。
「あれ、まだ紹介してくれてないのかい?オイラはメフィストフェレスの杳馬。天魁星の冥闘士さ!」
カイロスではなく、敢えて聖闘士の天敵である冥闘士を名乗ったのは、計算されてのことに違いなかった。さっと青ざめたアスプロスへ、へらへらと杳馬は続ける。
「おっどろいた?でもまあ、安心しな!敵対するつもりはないからさ」
「本当か?」
「アスプロス、その男の話を聞くな」
兄と杳馬に会話を続けさせるつもりのないデフテロスが、二人の間に身体ごと割り込む。
「ええー、何だよ弟くん。オニイチャンに本当の事を教えてやれよ」
「何のことだ?」
「ははっ、オイラとオニイチャンは同類だからさ!」
ひゅん、と杳馬に向かってデフテロスの光速拳が放たれた。
杳馬はその拳圧をかいくぐって逃げながら、高笑いする。
「オニイチャン、自分の闘衣を呼んでみな!冥闘士が目の前なんだ、呼んだって許されるさ!」
「言われずとも」
売り言葉に買い言葉のごとく、アスプロスが小宇宙を高める。
「やめろ、アスプロス!」
悲鳴のようなデフテロスの声が届く前に、アスプロスは身を守る闘衣を呼んだ。非常時にためらいはない。瞬時に飛来した闘衣が身体を覆う。
しかし、それは漆黒に輝く闇色をしたサープリス。
「な…んだ、これは」
何が起こったのかわからないという顔で、アスプロスが己の身体を見下ろしている。
杳馬はにやりとデフテロスを見た。
「弟君は呼ばないの?ジェミニの黄金聖衣を」
「デフテロスが、黄金聖衣を…呼ぶ?」
杳馬の言葉に導かれるように、呆然とアスプロスが弟の顔を見る。
「そうさあ、弟君は立派な黄金聖闘士だもんなァ!影なんかじゃないもんなァ!」
一瞬、ぽかんとした顔で聞いていたアスプロスの顔が、何かに気づいたかのように青ざめる。
「デフテロス、そうなのか?」
「……それは」
「お前が黄金聖闘士になって、俺が影になったから、お前は自由になったのか?」
「ちがう」
「なら、どうして俺は、こんなものを!」
引きつった顔でデフテロスを見る視線には、今までにはなかった疑惑と拒絶と絶望とが入り混じっている。
「アスプロス、話を聞いてくれ」
「…なあ凶星は、俺だったのか?」
震える声で問うアスプロスに、デフテロスの声は半分も届いていない。

「オルゴールは何度巻き戻したって、同じ曲を繰り返すのさ」
心底楽しそうに、となりで杳馬がケタケタと笑った。

(2011/9/16)


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