アクマイザー

嫁の弟


カノンが海界任務帰りに双児宮ではなく、エリシオンへ向かうようになって1年がたつ。カノンにとってマイホームとは聖域ではなく『サガの居る場所』であるため、そこが新婚家庭であろうと関係はない。
それでも一応ミジンコほどの遠慮はみせ、寝室だけは別離宮に用意してもらっている。
足繁くエリシオンに通うということは、その回数だけエイトセンシズを発動させるということでもあり、意図せずしてそれは日常的な小宇宙の鍛錬ともなっていた。
ちなみに、聖戦後のエリシオンは復興中の冥界の片隅に仮作成されているものであるため、神の道を超える必要はなく、そのせいもあってカノンに限らず来訪者が絶えないのだった。

今ではすっかり聖衣なしで阿頼耶識を発動できるようになったカノンが、相変わらずのスニオン服で長椅子に寛いでいる。サガから何度エリシオンに相応しい服装をと促されても馬耳東風で、今ではもう格好については諦められていた。
彼の目の前のテーブルへ、サガが珈琲カップを置く。そのカップを手に取り、ひとくち口に含んだカノンがほんの少しだけ眉をひそめた。中身は先日アイオロスが手土産として持ってきたギリシア珈琲だ。
「なあ、サガ」
溜息を隠すように、カノンが問いかける。
「なんだ?」
「お前はいつまでこの生活を続けるつもりなのだ」
カノンの表情はいつもと変わらないものであったが、その声色には冗談で返す事を許さぬ響きがあった。
それでもサガはやんわりとした微笑でその問いを流した。
「タナトスが飽きるまで、ずっとだ」
気まぐれなタナトスがこの生活に飽きてしまえば、望まずともサガは捨てられるだろう。だがサガは自分から結婚という約定を反故にするつもりはなかった。輪廻の輪に乗り転生を果たして、また女神へ刃を向けるような業と罪を繰り返すよりは、ここで存在を磨耗しているほうが有意義に思えたのだ。
それに、特定の誰かに愛情を向けて生きると言うのは、思いのほか楽しい。

サガの返事を聞いたカノンは、ますます顔を顰めた。
相手は永遠を生きる神なのだ。タナトスにとって『ほんのわずかな期間の戯れ』であろうとも、人間の寿命くらいの刻はあるかもしれない。
そう考えると、ふつふつと怒りのようなものが沸く。
カノンは真っ直ぐにサガを見つめた。
「それなら、あの馬鹿は、次期教皇はオレが貰っても構わないな」
「え?」
サガには珍しく一瞬反応が遅れた。何を言っているのか判らないという顔をしたあと、表情が消える。その状態で視線をうけたカノンは、ぶわっと鳥肌が立つのを感じた。通常、サガとカノンは魂の底で繋がっている。少なくともカノンはそう思っている。しかし、ガラス玉のような瞳で見つめてきた今のサガは、意志の通じないエイリアンに思えた。黒サガでもなく、統合している状態でもない、普段は隠されたサガの虚がそこに垣間見えている。

その気持ちの悪い感覚は直ぐに消えた。サガが視線を逸らしたのだ。
「カノン。教皇は誰のものにもならない。敢えて言うのであればアテナと聖闘士すべてのために生きる存在だ」
そう呟いて黙り込む。なるほどな、とカノンは思った。
(だから無意識に安心しているわけか。自分は他人のものになったくせに)
その安堵が自分にむけられたものか、アイオロスへ向けられたものか、もしかしたら両方であったにせよ、サガはずるいとカノンは思った。

「サガ、鈍感もほどほどにしないとそのうち振られるぞ」
「いつでも離縁の覚悟は出来ている」
そう答えたサガへ、カノンは呆れて肩をすくめる。
(ばーか。タナトスじゃあないっての)
しかし、本当のところを言うつもりはなかった。
サガが鎧のごとくいつもの空気を身に纏い、穏やかな声で呟く。
「それにしても、お前がアイオロスを好きだとは知らなかった」
「お前は馬鹿か」
心の底から本気で、カノンはその台詞を口にした。

(2010/4/1)


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