アクマイザー

捩れたカルマ6



その時のわたしは、黒く濁った水の中を沈んでいくような感覚の中にあった。
意識(と呼んで良いのかわからないが)は混濁としており、彼我の区別は失われていた。
薄れゆく感覚のなか、己が死に向かっている事だけは理解していた。
女神に手をかけようとして果たせず、逆賊としてアイオロスに撃ちぬかれた心臓はとうに止まっている。
ゆるやかに拡散していく命が、闇に溶けていく心地よさ。
このままわたしは眠るのだ。
そう思っていたのに、何かがわたしへ話しかけた。
『お前はそれで満足か』
眠りの邪魔をしないで欲しいと思ったが、その声は強制的にわたしの魂のなかで響いた。
最初はわたしの闇を受け持つ半身の声かと思ったが、その声はこともあろうにハーデスを名乗った。
『混沌の子よ。お前はその生に納得しておるまい』
何を言っているのだろう。納得しようがしまいが、死は平等に訪れるものだろうに。
声を無視して眠ろうとした。だが、ハーデスは声と共にわたしの中へ入り込んできて、わたしの中をゆっくり暴いていった。
『可哀想なサガ。お前は私の眷属であるというのに、女神に名を縛られ、狂わされた』
ハーデスがわたしの中からわたしの名を呼ぶ。冥王の小宇宙が身のうちから波動となって広がる。
周囲の濁った水が、いつのまにか透きとおっていて、温かく感じられた。
多分、変わったのは周囲ではなく、わたしの感覚だ。ハーデスによって、穢れたものを美しいと思うように、捻じ曲げられたのだ。
『お前は大きな未練を持っている』
ほとんど優しいと言ってよいほどの神の嘲笑が、わたしを包む。
『その心残りと未練が、お前を永眠させはしないだろう。私が手を出さずとも』
だからどうしたというのだ。気づかせるな。
そう思っていたというのに、わたしの手は勝手に動いて、身に纏っていた黄金聖衣を剥ぎ落としていった。
その時まで、わたしは自分が聖衣を着たままでいることにも気づかなかった。
いや、わたしが聖衣を着ているはずがない。
死んだときだって、わたしは教皇の法衣を着ていたのだ。シオン様を殺して成り代わっていたのだから。
『それは死した後まで、お前が聖闘士などというものに縛られていた証し』
それを今、捨てさせてやったのだと声は言う。
『お前は認めていない。女神のことも、弟の処遇も、己の運命も。そしてなにより…』
最後まで言わず、声は笑った。対照的にわたしは唇を噛みしめる。
言われずともそれが何を指しているのか判る。わたしの一番の未練。聖衣以上にわたしを縛る生前の楔。
確かにわたしは乾いている。飢えている。納得なんてしていない。
しかし、それを望むのは許されない事なのだ。
『お前の未練、晴らせばよい』
ハーデスの声が優しく響く。
『その願い、許されぬと思うのは、聖闘士などというお前に植え付けられた女神の戒めのせいであろう。本来のお前であれば、なんら禁忌ではない望みであるというのに…むしろ、当然の願いであるというのに』
冥王の小宇宙がわたしを強く包んだ。
その小宇宙は黒く輝く鎧となって、聖衣の代わりにわたしを覆っていく。
これは、わたしの冥衣だ。
誰に教えられたわけでもないのに、わたしはそれが自分のものだと言う事を知っていた。
『思い出すが良い。お前は私が選んだ魔星のひとつ』

その声に頷いたのは、わたしがハーデスの言葉を受け入れたからではない。
ただ1つの未練である己の望みを、叶えてみようと思ってしまったからだ。
その為には聖闘士であることを捨て、冥王の僕として仮初の命も受け入れよう。
あらゆる虚言を駆使して、聖域も冥界の同胞も利用してやろう。

そのように望むわたしは、既に聖闘士であるはずがなく、魔星そのものではないだろうか?

わたしは己の冥衣の羽を広げた。冥衣は深淵の闇を吸い込んで一層輝きを増した。
冥衣の中で、いつの間にかわたしには肉体が備わっていた。
水の中だと思っていた空間にも足場が出来ている。ここはカイーナ城の近くだと思われた。
ハーデスの魂が目の前にふわりと浮かんでいる。
わたしは冥王に膝をつき、新たなる生を与えてくれた事へ感謝の念を述べた。

2008/8/29


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