アクマイザー

捩れたカルマ5



教皇の間に座したアイオロスは、黙したまま斥候たちの報告に耳を傾けていた。
数刻前には三巨頭のうち二勢…ミーノスとアイアコスの拠点を突き止めたとの連絡が入っている。しかし、報告に違和感を覚えたアイオロスが、情報を最初に得たという者から話を聞こうとしたところ、聖戦中の緊急報告で伝達経路に混乱があるとはいえ、発見者の名前が特定出来ない。明らかに怪しい。
それでも、罠を覚悟でニ方面へ黄金聖闘士二名ずつと、白銀・青銅聖闘士数名をセットにして向かわせたところ、意外なことにその報告は紛れもない事実であり、体勢の整っていない冥界軍へ先制をかけることが出来たという。そうなると、万全を期して更に黄金聖闘士を1名ずつそれぞれへ向かわせるしかない。
その結果、聖域から離れた二箇所で集団交戦中という現状だ。

その後にもたらされたのが「聖域付近にタナトスらしき敵出現」という報だ。
これも罠、または囮情報である確率が高いとアイオロスは思うのだが、危険度を考えると黄金聖闘士クラスを差し向けるしかない。
そこで、前聖戦を通して冥界の神に詳しい老師〜今はミソペサミノスを解いた童虎〜へと情報確認の任を振った。ただし、あくまで真偽の調査だ。
戦闘となると、神に対して童虎一人では荷が重いため、タナトス本人であった場合には、もう二人ほど黄金聖闘士が割り振られる事になる。

そして、たった今もたらされた報告は次のようなものだ。
『黒い牡羊座の冥衣を纏った者が、聖域の西の森に侵入した』

アイオロスは眉を顰めた。
斥候の挙げた敵の特徴は、亡くなった前教皇シオンに酷似している。いや、死者を蘇らせるハーデス軍のこれまでのやり方を思えば、シオンそのものである可能性が高い。
生前のシオンの性格を思えば、死した後であれ寝返るような事があるとは思えないが、サガの例もあり、自由意志を奪われている可能性もある。
聖域の防衛システムを知り尽くしている元教皇が敵側についたとなると、かなりやっかいだ。早めに潰しておかなければならない。
さりとて、教皇というのは代々黄金聖闘士最強の実力者が任じられる地位であり、対等に闘えるのは同じ黄金聖闘士しかない。といって、女神の護りにも人員を割かねばならない現状では、これ以上黄金聖闘士を十二宮から離すのも危険だ。
「俺が出るしかないか」
アイオロスは呟いて肩をすくめた。
仮に本物の前教皇であった場合、現教皇の自分が対峙するのが礼儀であろうとも思う。
決意したあとのアイオロスの行動は早い。すぐさま指揮系統を一時的にカノンへと委譲し、自分は射手座の聖衣を呼び寄せて装着した。
指揮権を任せられたカノンは何か言いたそうな顔をしていたが、教皇の決定にいち聖闘士であるカノンが口を挟めるはずもない。そんなカノンを見て、アイオロスの方が恋人としての柔らかい表情を向けた。
「戻ったら慰労のキスの1つも頼むよ」
言い終わる前に、アイオロスへ教皇のマスクが投げつけられた。



「やれやれ、とんだ『死の神様』じゃのう」
童虎は、足元へぶざまに転がる冥界勢の雑兵を見下ろしながら、大儀そうに零した。アイオロスの命により調査に来たものの、それは冥闘士にタナトスの幻影を被せただけの偽者であった。
このような雑兵にタナトスの真似事をさせるなど、死の神の怒りを買うのではないかと思われるほどだが、偽装自体は良く出来ていて、童虎を欺くことは出来なくても斥候が騙されたのは無理もない。
しかし、そうなると敵の目的が気になる。
「この幻影のクセ、雑兵に残留する覚えのある小宇宙…これはサガの仕業か」
流石に童虎の洞察は早かった。
「サガめ、何を企んでおる」
まずは教皇宮へ報告をと思念を飛ばすと、カノンが応答に出た。
『何故お主がそこにいる。アイオロス…教皇はどうしたのじゃ?』
カノンが状況を説明すると、童虎は目を見開いた。
『それが目的であったか』
『どういうことですか』
口の悪いカノンも、童虎に対しては敬意を払う。
『サガによる陽動の目的が、アイオロスの誘い出しであるということじゃ。教皇宮の方が現場に近い。直ぐに後を追え!聖域の方はワシが指揮権を預かる』
『サガが…?』
兄の名が出たことによる動揺は一瞬だった。カノンは童虎に了承のいらえを返して小宇宙通信を切る。罠と判った以上、一刻も無駄には出来ない。現在カノンは右肩負傷の治療中であったが、黄金聖闘士レベルであれば、片腕でも充分に戦闘力を持つ。それに、カノンの利き腕は左だ。トップレベルにある敵とサシで戦闘するには確かに不利といえるが、アイオロスのサポートをする分には問題ない。
「ジェミニよ、今すぐ来い」
女神の結界によりテレポーテーションの出来ぬ十二宮を、光速で駆け下りるためカノンは即座に双子座の聖衣を喚んだ。
だが、聖衣が召喚に応じなかった。
「どうした、ジェミニ!」
怒鳴るも、聖衣は戸惑っているかのように反応が鈍い。
聖衣の置かれた双児宮へと飛ばした小宇宙で様子を探ったカノンは、そこに漂う覚えある小宇宙を感じ、その戸惑いの理由を理解する。
「これもサガの仕業か!」
元聖衣保持者であったサガの小宇宙が、ジェミニの聖衣に干渉しているのだった。そのため、聖衣がカノンの元へ飛ぶことなく、どうしたものか迷っているのだ。
常のカノンであれば、聖衣の迷いを前にして、サガの影であった過去への卑屈な思いを浮かばせたかもしれない。だが、今は良くも悪くも、そのような些事に悩む余裕などなかった。
「お前の今の主人はこのオレだ!オレに従え、ジェミニ!」
カノンは全霊で再度叫んだ。



「何故、ハーデス軍などに与されたのです、シオン様」
前教皇を目の前にして、アイオロスは呻いた。
かつてサガに殺された前教皇は、やや苛烈な性格ではあったものの、人格も高潔であり全ての聖闘士たちの尊敬を集めていた。アイオロスもその例に洩れない。
その問いかけにシオンは答えなかった。
代わりに帰って来たのは冷たい視線と宣戦布告の言葉だった。
「次期教皇と見込んだお主ではあるが、まだまだひよっ子。一瞬でカタをつけてやろう」
シオンの周囲に、何か透明な蝶が飛んでいるのに気づいたが、構う余力などない。
それほどシオンの小宇宙は凄まじかった。老いていたとはいえ、この人物をサガが倒せたということが信じられぬほどだ。
だが、そこで却ってやる気の増すアイオロスもまた只者ではない。
「引退した方には、ゆっくりお休みいただきます」
口元に笑みを浮かべ、全力で小宇宙を高めていく。現聖域の長として、負けてやる気は全くなかった。
射手座は中長距離型のファイターだ。翼を持つため跳躍時の滞空時間も長く、空中からの攻撃も得意としている。対人への武器の使用は禁じられているので、シオンへ弓引くわけにはいかないが、小宇宙を矢のごとく圧縮して放つ技の数々で代用出来る。
まずは距離をとり、自身に有利な体勢を整えるため後ろへ飛ぼうとするも、シオンの技が先に炸裂した。
「クリスタルウォール!」
「な…」
透明な壁がアイオロスの背後に現われ、移動路を塞いだ。先制されたからには攻撃が来るものとばかり前面へ防御壁を展開したアイオロスは、裏をかかれた形になる。
シオンは距離を詰めながら、間をおかず技を連続で放った。アイオロスと自分を中心に天地左右、四方を正方形の箱のようにクリスタルウォールで包み込む。その密閉空間を、更にシオンの強大な結界が覆う。
クリスタルウォールはあらゆるものを遮断する。使い方によっては敵の攻撃だけでなく、小宇宙や超能力、念話すらも弾くことが出来るのだ。
(しまった、閉じ込められたか)
狭い空間では、射手座の力を存分に発揮しにくい。
険しい顔になったアイオロスへ、シオンが厳しい言葉を向けた。
「やはりまだお主は未熟…いや、苦言を零す時間などないわ」
攻撃するつもりのなさそうな前教皇の様子に、アイオロスが怪訝な顔を向ける。
「シオン様…?」
「聞け、アイオロス。儂の行動は冥衣や死蝶を通じて冥界側に筒抜けだが、この空間でなら洩れる事がない。しかし、遮断出来るのはわずかな時間。その間に儂の教皇としての知識を全てお主に複写する」
そう言われてもアイオロスは簡単には警戒を解かない。
単純に他者の言葉を信ずるようでは教皇は務まらない。
「この状況で、私が貴方を信用出来るとお思いですか」
「この状況で、お主に拒否権など無い!」
傲慢ともいえる一喝で、初めてアイオロスは苦笑しながらも納得した。この乱暴さはアイオロスのよく知るシオンそのままだ。予知レベルとまで評される己の直観も、シオンの言葉が是であると告げている。
念話の応用で、シオンが意識をリンクさせてきた。
精神を繋いだ途端、溢れるように知識がダウンロードされてくる。
シオンは結界を張りつつアイオロスに精神を繋ぐという離れ業をやってのけながら、更に言葉でも語りかけた。
「一つ。今渡しておるのは、本来であれば時間をかけてお主に伝授する筈であった秘儀の数々。教皇にしか適わぬ女神の聖衣の封印解除をおぬしに任せる」
アテナの聖衣。その場所と封印解除法。
知識が注ぎ込まれるにつれ、その重要性にアイオロスは驚愕した。もしもこの事を知らぬまま神同士の激突になっていた場合、女神の敗北は免れなかったろう。
頭上ではシオンと共に空間に閉じ込められた死蝶が、出口を探して羽ばたいている。
アイオロスは指弾の衝撃波でそれを撃ち落した。
「シオン様、貴方はこの事を知らせるために冥界軍に…」
「二つ。今までは死界へ逃げた冥界軍を追う手段がなかったが、生きながらにして冥府へ降りる法がある」
返事をする時間すら惜しいのか、シオンはひたすら必要事項のみを語っていく。
「琴座のオルフェが存命のまま冥府へと降りておる。その法を得て冥界へと下り、可能であればエリシオンまで渡ってハーデスと双子神の肉体を直接叩け」
一気にそこまで言ったところで、ピシリとクリスタルウォールにひびの入る音がした。
それと同時に、シオンの顔色が蒼白になる。一瞬を置いて、口元から一筋の血が零れた。
「フン…かりそめの命もここまでか…」
「シオン様!?」
「気にするでない。儂が不穏な動きを見せれば、即座に命を取り上げられることになっておっただけだ…それゆえ結界で時間を稼いだが…」
言っている側から、クリスタルの箱が砕け、ガラスのように壁が剥がれ落ちていく。
「ア…オロスよ…の寄越した情報…無駄にするでないぞ」
「シオン様!」
最後の言葉は半分も音声になることはなく、完全には聞き取れない。
名を呼ぶアイオロスの目の前でシオンは塵と化し、砕けたクリスタルと共にきらきらと零れ散っていった。


サガは少し離れた場所で、クリスタルの箱が壊れていくのを見守っていた。その瞳をしかと見開いたまま、ひとかけらも見逃さぬように、強く見据える。
「シオン様、申し訳ありません」
誰にも聞かれる事のない謝罪が、サガの唇から零れたのを知る者はいない。
シオンの結界が完全に崩落した後には、ただ一人立つアイオロスが残っていた。
サガに気づいたアイオロスが、同じだけ強く睨み返す。
先に口を開いたのはサガの方だった。
「シオンも役に立たんな。尖兵として幾ばくかの働きを期待していたものを」
「…サガ」
「もっとも、お前を倒すのはこのわたし。老兵に頼る事などなかったか」
シオンへの暴言を吐くサガへ、不思議と冷静に対することの出来る自分を、アイオロスはどこか客観的に感じていた。
「シオン様をここへ差し向けたのは君か。サガ、君は一体何を考えているんだ」
「お前と戦う事だけを」
対して、サガの言葉は切り返す刀のようだ。
挑発に乗り、シオンのカタキを討つという道もある。
しかし、アイオロスはその道を選ばなかった。
「そうか。だが、俺”達”を相手にするのは、分が悪いんじゃないかな」
顎をしゃくり、視線でサガの背後を示す。
振り返ったサガの視界に飛び込んできたのは、黄金聖衣を纏ったカノンの姿だった。
十二宮を駆け抜けたあと、カノンはアイオロスの小宇宙を頼りに、一気にこの場まで瞬間移動してきたのだ。
一瞬、子供のように目を丸くしたサガだったが、すぐに冷たい微笑を面に浮かばせる。
「成る程…そのようだ。勝算のない猛戦は愚か者のすること」
そして、その氷の笑みのまま、カノンの方を向く。
「わたしの聖衣が良く似合っているぞ、カノン」
「お前のじゃない。今は俺のだ、サガ」
きっぱりと返すカノンの瞳には、なんの迷いもない。
サガは暫し黙っていた。
その沈黙が、小宇宙の溜めであると気づいた時には既に遅く、サガは二人の間へ煙幕代わりの小規模ギャラクシアンエクスプロージョンを放つ。そして同時に、アナザーディメンションで強引に冥府への扉を開いた。
撤退と攻撃を同時に行なうという、シオンに負けず劣らずの力技だ。
アイオロスとカノンが、サガを挟み込むように防御壁を展開した時には、既にサガは冥界へと身を引いた後だった。
アイオロスにしてみれば、サガと死闘を始めるよりも、シオンからの情報を確実に聖域の女神へ届けることの方が重要な使命であり、三巨頭たちとの交戦の結果も気になる。今はサガの撤退が願ったりというところだ。というより、そのように会話で誘導した。
サガが簡単にそれに乗って引いたことは気になるが、無理に追う事はしない。
アイオロスは深呼吸をしたのち、カノンの方を向くとニコリと笑いかけた。

「カノン。待ちきれないで、俺にキスのお届け?」

折角無傷で済んだというのに、アイオロスはカノンからのギャラクシアンエクスプロージョンを食らう羽目になった。

2008/8/26


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