アクマイザー

捩れたカルマ4



五老峰に座していた老師が魔星復活の兆しを報告して以降、聖域の守りは格段に強化されていた。
世界各地に散っていた黄金聖闘士も召集され、それぞれの宮に常駐している。
正規のジェミニとなって久しいカノンも例に洩れない。
双児宮を預かる黄金聖闘士として、聖域の軍を統括するアイオロスの補佐として、彼は己の守護宮だけでなく聖域の結界境への注意を常に怠らなかった。
その日、カノンは何らかの脅威を感じ取ったわけではない。空は天高く晴れ、のどかなほどの空気が聖闘士たちの気を緩めていた。異変があったとすれば、女神の結界がほんのわずか、聖域の片隅で揺れたという程度にすぎない。
だが、小さな異変であれ見過ごしてはならない…というのが、カノンの持論だ。正確には、カノンへ黄金聖闘士としての心構えを叩き込んだ、今は亡きサガの持論だが。

カノンが時をおかず足を運んだのは、白い墓石の立ち並ぶ嶺丘だった。
歴代の戦士たちが眠る静かな空間で、カノンは小宇宙を伸ばし、結界の確認をするとともに周囲の空間を探る。異次元や迷宮を操るカノンの空間把握能力は、シャカやムウに並ぶほど長けている。
「…?」
カノンは眉を顰めた。
現地で探査を行なうと違和感がはっきりする。感じる事の出来る結界の揺れと、予測される影響との差が小さすぎるのだ。それはあきらかに人為的な偽装だった。それも巧妙な。
カノンは瞬時に警戒態勢をとった。
「出て来い。侵入を隠そうとしたようだが、無駄な事だ」
そう言いながら小宇宙を溜める。相手が姿を現さずとも、カノンは構わず相手を探り出して攻撃を仕掛けるつもりでいた。聖域の中でも重要拠点とは言えぬ片隅の地域とはいえ、結界の弱い部分を的確に突いて来た敵を生かして返す気はない。
用心深く小宇宙の網を広げ、探査に引っかかった気配を捉えると、相手もこれ以上の潜伏は無駄と見たのか、姿を隠す事をやめた。
カノンは内心舌打ちした。現われた相手は思った以上に実力者のようだった。戦士としてのカノンの勘が、相手を只者ではないと判断する。だが、その判断とは別に、身体は先制攻撃をかける。戦場では瞬時であれ迷う余裕などない。
左脚による光速での蹴りは簡単に受け止められたが、それは敵の右背後へアナザーディメンションを展開するためのフェイントに過ぎない。しかし、相手は冥衣の翼を広げて異界が発動する前の空間を凪いだ。その動きから流れるように動作を繋げて右拳でカノンの顔面を狙ってくる。肉体移動では間に合わぬと判じたカノンは、瞬間移動で距離をとった。
冥闘士と対峙したのは初めてだが、敵は黄金聖闘士たる自分と同等の実力を持っている。
(スペクターの実力を甘く見ていたわけではないが、これは対冥王軍戦略を練り直さねばならないか)
相手の攻撃範囲を測りつつ、そのように思考をめぐらせていたカノンに対して、翼もつ冥闘士が思わぬ言葉を吐いた。
「なるほど、サガの弟だけあって、なかなか手強いな」
突然兄の名を出され、カノンの目が驚きで見開かれる。
「お前はサガを知っているのか」
「無論。お前の名も知っているぞ、カノン。栄えある冥闘士の弟が聖闘士などとは業腹だが」
何を言われたのか一瞬理解できず、戦士にあるまじきことに防御の空白が生まれる。相手はその隙を狙って距離をつめ、右肩へと拳を打ち込んできた。カノンの右腕から繰り出される攻撃を封じる狙いはあやまずに命中し、カノンは肩を抑えて更に距離をとる羽目になる。
カノンは精神系の技を操る戦士でもあり、相手の挑発があろうと滅多な事で気を逸らしたりすることなどない。しかし、サガの名前はカノンに対して、それだけの威力を持っていたのだ。
「お前は何者だ…何故サガとオレの名を知っている。しかも、死んだサガの事をまるで冥闘士のように言いやがって」
ひびが入ったと思われる肩甲骨の痛みを無視して、カノンは唸った。
対して相手は顔色も変えない。
「サガは『冥闘士のような』ではなく『冥闘士』だ。お前の名もサガから聞いたにすぎん。アレは双子の弟であるお前のことをよく話していたからな」
「馬鹿な…!」
今度こそカノンは驚愕で固まった。過去の聖戦の記録から、死者が冥闘士となる例があることも知っている。しかし、まさか己の兄であるサガが死後にまで女神に刃を向けることなど、考えもしなかったのだ。
「一方的に名を知られているのも気分が悪かろう。オレはワイバーンのラダマンティス」
絶句したままのカノンを、冥界の翼竜は哂った。
「サガは、お前の死を望んでいる」
「…嘘だ」
「お前が死ねば、冥府で共に暮らせると言って」
「嘘をつくな!サガがそんな事を言うはずがない!」
ラダマンティスの言葉を遮り、カノンは叫んだ。その叫びは敵に対する双子座のものではなく、ただサガの弟としての悲鳴だった。
冷静さを失い、激情から翼竜への攻撃を放とうとしたカノンを見て、ラダマンティスはほくそえんだ。戦いのさなか、頭に血をのぼらせるほど愚かな事はない。ジェミニに対してサガの名がここまで効くとは思ってもみなかったが、効果があると判れば利用しない手はなかった。聖闘士の実力をみてやろうと聖域に潜り込んでみたものの、現われたカノンの実力に内心舌を巻いていたのだが、これならば案外簡単に倒せるかもしれないと即時に計算する。
カノンの攻撃のエネルギーを利用したカウンターで息の根を止めようと身体を動かしかけた途端、しかしラダマンティスとカノンの間に割って入った影があった。ラダマンティスは攻撃の手を寸前で止め、警戒しつつ数メートルの後ろへと飛ぶ。
「ち…援軍か。時間を掛けすぎたな」
「アイオロス、邪魔すんな!」
二人の声は同時だった。
「一対一の戦闘を邪魔してすまない。だが、カノンをこんなところで失うわけにはいかないのでね」
涼やかに告げるその声は、射手座でもあり教皇でもある聖域の最高責任者だ。聖域隅での異変と、カノンの小宇宙の高まりを感じ取り、誰よりも早く駆けつけたのが彼だった。
流石に分が悪いと見て、ラダマンティスは退避に入る。二対一であれ自分が引けをとるとは思っていない。だが、もともとこの侵入は、聖闘士の実力や聖域の地形を知るための単なる様子見であり、万が一にも三巨頭である自分がこのような戦略もない軽挙で倒されるわけにはいかないのだ。
ここは、双子座を負傷させたという思わぬ実績だけでよしとするべきだった。

「ふん、次に会うときにはその首を落とす。サガと同じ顔が聖衣を纏っているだけで気分が悪い」
「黙れこの野郎!」
言葉とともにラダマンティスは姿を消した。なおも追おうとするカノンに対して、近づいたアイオロスがぺしと軽く頬を叩く。
「カノン、ちょっと頭を冷やせ」
「アイオロス!」
「今のお前では追って行っても怪我を増やすだけだ。帰ってその傷をまずは治療する」
「しかし」
「教皇命令だ。何があったかは治療がてら聞かせてもらおう」
有無を言わさぬ迫力で命じられて、カノンは不承不承ながら黙った。先ほど受けたダメージは、自分の失態によるものだと判っているだけに言い返す言葉も無い。
けれども、サガの名を当たり前のように出したラダマンティスの言葉を思い返すと、躯中の血が沸騰する。
(サガがオレの死を望んでいるだと…)
それはスニオン岬に幽閉された過去をもつカノンの、大きなトラウマだった。
サガが本当は自分の事を疎んでいたのではないか、正義を隠れ蓑にして自分を殺そうとしたのではないかと、どうしても心の片隅で考えてしまうのだ。自分の過去の素行の悪さを思えば、それは有りえることだと思う。
そして、その可能性を思うとカノンの心は震えた。
サガの正義によって罰せられたのならば、自分は耐えられる。
しかし、サガがあのとき自分の死を望んでいたとしたら。
「カノン」
アイオロスの呼ぶ声でカノンは我に返った。
「カノン、あいつが何を言ったのかは知らんが、引きずられるな。お前が信ずるところを信じろ」
アイオロスの手が、カノンの怪我のない側の拳をぎゅっと握る。
体温とともに、アイオロスの雄大で暖かな小宇宙がカノンへと流れ込んでくる。それを感じ、カノンはゆっくりと深呼吸をした。
「…悪ぃ、世話をかけたな」
教皇に対する部下の言葉使いとはとても言えないものの、それはカノンの最大級の礼の言葉だった。
次にカノンは黄金聖闘士として、即座に教皇へ報告すべき事由のため口調を改めた。
「猊下、サガが冥闘士として敵にまわりました」
淡々と告げられる双子座の言葉に、新米教皇もまた驚愕で言葉を無くす。

それはカノンが初めてラダマンティスと出会い、サガの冥闘士化を知った日の出来事だった。

2008/7/4


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