アクマイザー

誘惑
※キリリク御礼ろくしょうるり様へ


戒厳令の敷かれていないときの十二宮は閑散としている。
それぞれの宮の守人である黄金聖闘士たちは各自の拠点や修行地へと戻り、聖域にはもともと地元ギリシアの出身者である数名と守護当番が残るのみだ。
その中にサガも含まれていた。

サガがこの十二宮に留まるのは、過去の罪状による観察処分が下されているためだ。落ち着いたとはいえ、未だに黒サガをその身のうちに抱える状態では、女神の監視の目の行き届く聖域に留めおくのが無難であろうという建前になっている。
表向きはそのような理由だが、実際にはサガの保護を前提としたアテナの配慮だった。
サガを外の世界に出せば、制裁を叫ぶ血気はやった聖闘士や、反聖域の旗印として利用しようとする勢力や、サガの内面の半身を取り込もうと食指を伸ばす異神たちの接触に晒されることとなるだろう。
もちろんそのような存在に惑わされるサガではないが、元反逆者というだけで痛くもない腹を探られ、疑惑の目を向けられる事は必定だ。
アテナはサガを出来るだけ静かな環境で、聖闘士の本分を全うさせたいと考えていた。

サガ以外で聖域に常駐として残った者といえばアイオロスがいる。
こちらは次期教皇として実務を継承し、聖域の現状を掌握するためにも現地在住は必須だった。もともと弟であるアイオリアとギリシアに居住を構えていたこともあり、兄弟揃って十二宮守護の任につくことに問題はなかった。
アイオリアの方は勅命によりしばしば世界各地へ飛ぶ事もあるが、英雄と次期教皇の肩書きを持つアイオロスは軽々しく任務を割り振られることはない。それよりも教皇教育が優先であるとして、日中はシオン直々に口伝秘伝を叩き込まれる毎日だ。

アイオロスは一日の修養が終わると、必ず双児宮へと立ち寄った。
特に用はない。たわいもない会話を交わし、ほんの半刻ほどの時間を共に過ごすだけの日課だった。蘇生したばかりの頃はアイオロスに対して遠慮がちだったサガも、この頃はようやく昔のような笑顔をみせるようになっていた。
その笑顔をみるとアイオロスもまた、心が暖かくなるのを覚える。次期教皇としての重圧を忘れ、肩から力を抜く事の出来るひとときは、アイオロスにとって日々の栄養剤だ。
13年間、この優しい親友が僭称とはいえ教皇をこなし、聖域を守り抜いてきたことを思うと、時間をかけて継承の手ほどきを受けている自分は恵まれていると思う。サガは全てを一人で学び、一人で決定しなければならなかったのだから。
サガの代わりに、サガの大切なこの世界を守る教皇になろうとアイオロスは決めていた。

双児宮にはサガだけではなく、その双子の弟であるカノンが姿を見せる事があった。カノンはポセイドンに従う海将軍であるため、本来であればアテナの神域である十二宮内に軽々しく足を踏み入れることの出来る立場ではないのだが、女神が双子座の守護者としても認めているので特例として自由な出入りが許されているのだった。
カノンは何故か最初からアイオロスに敵意のようなものを向けた。それは他界軍の将が女神の聖闘士へ向ける類の敵愾心とは別物のようで、それゆえに「〜のようなもの」と呼ぶしかなかった。
アイオロスにはそのような視線を向けられる覚えはなかったけれど、自分とサガの過去の確執を考えると、サガの弟が自分を疎むのは無理もないのだろうかと考え直した。
自分への強い拒絶をみせるカノンの瞳をみると、13年前のあの夜のサガを思い出す。そんな時に少しだけアイオロスの胸は痛んだ。


あるとき、双児宮を尋ねるとカノンだけが留守を預かっていることがあった。サガはと尋ねると、十二宮下の訓練生の居住区へ所用があって出かけているとの返事が返ってきた。声をかければ無視される事はないのだが、気詰まりな空気がその場を支配する。
何か世間話でもとアイオロスが口を開きかけたところへ、被せるようにカノンが言い放った。
「お前は何故サガに構う」
サガに聞くところによると随分兄弟仲が悪かったという話だが、カノンを見ると眉唾だと思う。
アイオロスは素知らぬ顔をして答えた。
「親友のところへ遊びに来るのは、普通の事だと思うけれど?」
「とぼけるな」
途端にキツめの一喝が返ってくる。カノンがキツいのは何時もの事なので、気にせずに来客用のソファーへ腰を下ろした。成人男性が横になっても余裕のある大きさのそれは、サガが長年大事に手入れして使っているもので、アイオロスのお気に入りの場所でもあった。

背もたれに寄りかかり、アイオロスは逆にカノンへ問いただした。
「私のことよりも、君はどうなんだ?サガはもう大人だ。彼の交遊関係に口を挟むのは、双子であってもどうかと思うのだけれど。サガのことがそんなに気になるのかな」
「お前には関係ないことだ」
「この際だから聞くが、私は何か君の気に障ることをしたのだろうか」
サガと同じ顔が、射殺しそうな瞳でアイオロスを見る。同じでありながら何処かが違う澄んだ青の双眸。
カノンはガタンと音を立てて椅子から立ち上がった。乱暴に払われた椅子が床に転がる。彼はソファーの前に立ちはだかると、冷たい視線でアイオロスを見下ろした。

「十三年前、サガにお前を殺すよう唆したのはオレだ」
「それは…また、年季の入った嫌われっぷりだね」
「いつでもお前はサガの邪魔をする」
「君の邪魔をする…の間違いじゃないのか」

穏やかに見上げるアイオロスの首を、カノンの右手がだしぬけに掴む。アイオロスはそれでも泰然としたままだ。海龍の性質も併せ持つカノンは、口元を僅かに吊り上げて哂った。

「この体勢でも余裕とは、それほど己の腕に自信があるのかアイオロス」
「次期教皇としても黄金聖闘士仲間としても、君を信用しているからだと思って欲しいなあ。私闘は禁じられているし、君がその禁を破るとは思っていない」
首へ掛けられた指に、ゆっくりと力が篭められてくるのが判る。カノンの顔から表情が抜け落ちた。
「私闘ならな」

カノンの指先がアイオロスの着用していた法衣の喉元を跳ねて、詰襟の留め金が吹き飛んだ。開いた隙間に指を突っ込んで広げ、喉元を顕わにさせる。意味の判らないアイオロスは、流石に疑問符を浮かべた顔でカノンを見た。
「ええと、状況がよくわからないんだけど」
「お前の理解などどうでもいい。お前が二度とサガの前に顔を出せないようにしてやるというだけだ」
何だかヤバイかもしれない、と思ったときには身体全体で圧し掛かられていた。

「ちょ、ちょっと待たないか。これってアレかな」
「小娘レベルに疎いのかお前は」
「私はサガは好きだが、君とこーいうことを別にしたいわけじゃ」
この場面で出した『サガ』の単語は、火に油を注いでしまったようだった。カノンの内面から今まで以上に濃い怒りの小宇宙が吹き上がる。
「…気が合うな。オレとて貴様など範疇外だ」
利き腕である右手首を、カノンの左手で押さえ込まれる。ゆっくりと蛇のように顔が近づいてきた。これは本気で抵抗しなければならないかと内心で溜息を付き、小宇宙で跳ね飛ばそうと集中を始めたときに、入り口から声がした。

「何をしている、カノン」

それは冥府の底から響くような、低い声だった。アイオロスの上にいたカノンの動きが止まる。
二人で侵入者の気配に気づかないとは間の抜けたことだが、カノンと自分の攻防は黄金聖闘士の千日戦争手前のようなもので、激しい集中力を要するために周囲への探索網の精度が落ちる。
それでも、彼らほどの戦士に対してこれほどの接近を可能とするのは相当の技量の持ち主だ。声のした方を見ると、静かに二人を睥睨したのは、カノンの兄でありアイオロスの待ち人であるサガだった。

ただし、髪が黒いほうの。

紅い邪眼を持つ黒髪のサガは、もう一度カノンに告げた。
「その男に手を出していいのは、私とシュラだけだ」
こちらのサガの意味する手出しとは、殺すと同義に他ならない。少しだけ複雑な顔をみせたアイオロスの身体の上から、カノンは「チッ」と舌打ちしてどいた。そして無言のまま、サガと入れ違いに表へと出て行く。
その姿を見送ってから、サガはアイオロスに冷たい視線を向けた。
「もう一人の私だけではなく、弟まで誘うとは良い度胸だなサジタリアス」
「ええ!?俺が誘った事になるのか!?ていうか、いつになったら君のほうも俺の名前を呼んでくれるのかなあ」
ソファーから身を起こしたアイオロスは胸元を整えた。何事も無かったかのように人の良い笑顔でサガを見る。その表情はいつものサガへ向けるものと何ら差異はなかった。
「貴様が教皇になったあかつきには、猊下と呼ばずに名前で呼び捨ててやろう」
「本当か!楽しみにしているよ」
「皮肉も通じんのか」
「皮肉でも嬉しいからさ。俺が教皇になったときには補佐に任命するので宜しく頼むよ」
黒髪のサガは、隠すことなく思いっきり嫌そうな顔をした。アイオロスはニコニコと続ける。
「実際、俺とサガが組んだら歴代最強の聖域になりそうな気がするんだよね」
「13年前にそう言っていれば、貴様を殺さずに済んだものを」
「いやいや、アテナを排除するのは無しだから」

そろそろ夕飯の時間だった。アイオリアが待っているであろう事を思い出してアイオロスは腰を上げた。先ほど出て行ったサガの弟も、自分が双児宮を離れればそのうち戻ってくるだろうと考えることにする。
帰りしな、アイオロスはこれだけは言っておかねばと振り返る。

「ああ、そうそう。俺が誘うのは君だけだから、サガ」

サガがどんな顔をしていたのかは、黒く長い前髪に隠れてよく見る事は出来なかった。


(−2007/4/14−)


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