アクマイザー

サンタサングレ


目の前で静かに眠る尊き幼子を見下ろし、仮面の内側でアイオロスはにっこりと微笑んだ。
神であれ人であれ、赤子と言うのは可愛いものだ。大きくなったら艶やかな栗毛になるだろうと思われる髪。柔らかそうな頬。それに随分利発そうな顔をしている。
「きっと美人になるだろうに、ごめんね」
アイオロスは隠し持っていた黄金の短剣を振りかぶった。地上の覇権を持つ女神をこの短剣で貫き、オリンポスへと強制帰還させるのが天界の将であるアイオロスの役目だった。


天帝ゼウスの命を受けた彼は、聖闘士候補生の子供としてこの地へと潜り込んだ。まず、身元を怪しまれないために家族を作り上げる。ちょうど兄を亡くしたばかりの獅子の星を持つ子供がいたので、暗示をかけて自分を兄だと思いこませた。姿は自分の方が合わせたが、元々似ていた為か、育つにつれて本当の兄弟のようになった。
家族の真似事は案外面白くて、アイオロスはいつか自分の敵となる黄金の獅子を厳しくも優しく鍛え上げた。

聖域での修行は苛烈を極める。しかし、天界人の力を持つ彼にとって人間の闘士の真似事などは児戯に過ぎない。むしろ強大すぎる力をうっかり漏らさぬよう加減をする方が大変だった。訓練についてこれるのは彼が鍛えた弟のアイオリアくらいで、その弟もまだ実力の全てを発揮できる肉体年齢には達していない。
正式に射手座の黄金聖闘士として任命されたとき、彼は当然だという思いと共に、自分を選んだ守護星と聖域の節穴ぶりを気の毒に思ったものだ。
「女神の聖闘士というのは、この程度なのかなあ…」
張り合いもなく退屈な潜伏期間を嘆いていた頃、アイオロスはサガに出会った。

サガは射手座とほぼ同時期に選ばれた双子座の黄金聖闘士だ。
文句の付けようも無く整った相貌に、清らかな小宇宙。背に流れる麗らかな青みがかった銀髪。地上にもこのような美しい人が居るのかと、アイオロスは初めその見た目に感嘆した。けれども、サガの戦闘力を目の当たりにしてそれ以上に驚かされることになる。
優しげな雰囲気とは裏腹に、双子座はその実力も生半可なものではなかった。一度練習がてら手合わせをしてみたら、スピードといい、星をも砕く技の破壊力といい、とても人間の持つレベルのものではない。気を抜くと本来の加減の無い神気を発揮してしまいそうになる。
アイオロスはサガと手合わせをして初めて、聖闘士が神にも迫る小宇宙を持ち得る存在であるということを知ったのだった。物珍しい獣をみつけた子供のように、人馬宮の主は訓練を持ちかけるようになった。
嬉しいことに、話し相手としてのサガとも気が合った。サガは一を見て十を知る聡明さを持っていたが、どこか屈折していて、そのくせ単純で真っ直ぐなところがあった。その万華鏡のような複雑さと、浮世離れした気高さをアイオロスは好んだ。
サガのほうも同年代の黄金聖闘士であるアイオロスを身近に感じるようで、数回任務を共にすると、すっかり深い信頼を寄せるようになった。時には信頼以上の感情も。
サガから向けられる人間的な感情を、アイオロスは気に入ったし、サガ自身の事も気に入っていた。
(これは手に入れよう)
アイオロスはこっそり思う。退屈な任務なのだし、それくらいのオマケがあっても良いのではないか。

そして二人はいつしか聖域の双璧と呼ばれるようになり、残りの黄道十二星座が揃う頃に女神も降臨する。自分を慕う獅子座の弟と、神のようなと称される愛すべき友人、そして仲間たち。輝かしい履歴。退屈な暮らしも悪くはないなとアイオロスは思い始めた。

ところがある日、偽りの日々は唐突に終わりを告げる。
教皇であるシオンに呼び出されたアイオロスは、いつもの勅命かと高を括っていた。しかし、シオンは人払いをすると彼を真っ直ぐに見つめながら尋ねた。
「お主は人間ではあるまい。星は…女神は聖闘士としてお前を選んだ。それゆえ今まではお主を信じて素性は不問に伏していた。だが、女神の降臨されたいま敢えて聞く。お主は何者ぞ。何のために此処に在る」
シオンの言葉に、節穴であったのは自分かとアイオロスは苦笑する。この教皇も只者ではなかった。
これは使命を滞りなく行えと言う天の啓示かもしれない。そろそろ時期も良い。
覚悟を決めたアイオロスは、やはりいつものように笑った。
「すみません、目的を果たすまでは答える訳にはいかないんです。あまり血を流したくなかったんですが」
そうしてその日から射手座の姿は消え、仮面を被ったアイオロスが教皇となった。


アイオロスの振り下ろした短剣は、真っ直ぐな軌跡を描いて女神へと降りていく。
切先が赤子の胸元へ落ちるかと思われたその瞬間、疾風が捲き起こり赤子の姿が唐突に消えた。それが黄金聖闘士の光速移動により発生した真空のかまいたちであると言う事は直ぐに判った。
そうなると、此処へ忍び込める黄金聖闘士など限られている。邪魔をされたというのに、アイオロスの胸には高揚感が湧き上がった。祈るような期待で顔をあげる。
期待は裏切られなかった。向かいの壁を背に、真っ青な顔をして女神を庇い抱きしめる親友がいた。アイオロスの大好きな豊かな青銀の髪が、衝撃の余波に靡き揺れている。サガは驚愕の色を顔に浮かべながらも、出来るだけ冷静であろうとしているようだった。気配を断ってここまで入り込むとは大したものだ。
「教皇…女神に刃を向けるなど、許されません」
サガの玲瓏とした声が、震えながらも静かに響く。こんな時でもサガの優雅さは損なわれないのだなと、密かな満足感がアイオロスの胸を満たした。
彼はサガへ、緊迫した空気にそぐわぬ優しい声で労わるように声をかけた。
「アテナを渡してくれないか、サガ。これは神々の決めたことなんだよ」
自分を呼ぶ聞き覚えのある声に、サガの白い相貌から更に血の気がひいていった。アイオロスは自らの仮面に手をかけると、ゆっくりとそれを外していく。その時サガの瞳に浮かんだどこまでも透明な絶望を、彼はこの先忘れないだろうと思った。
「女神を渡してくれ。人としてのアテナはここで死に、地上はゼウスの統括地となる」
衝撃からいまだ醒めぬサガが、言葉も無く首を横に振って拒絶の色を見せる。アイオロスはもう1度だけ頼んだ。
「オレと共に来てほしい。君ほどの人間が女神の捨て駒として死ぬのは、勿体無い」
アイオロスは仮面を床に放り、歩を静かに進めながらその手をサガに差し伸べた。彼が進んだ分だけサガは後ずさる。けれども直ぐに背後の壁が退路を阻んだ。
あと僅かで届きそうになったその指の先で、閃光と共に双子座の必殺技であるギャラクシアンエクスプロージョンが炸裂した。

もうもうと立ちこめる粉塵の中でアイオロスが防御結界を解いた時には、壁には巨大な穴が開き、既に女神とサガの姿はなかった。女神に衝撃波が及ばぬよう加減をしたのだろう。教皇の間の損壊は思ったほどではない。アイオロスは結界の範囲内に落ちていた教皇の仮面を拾うと、ぱんぱんと砂塵を払った。
「あーあ、フラれてしまったなあ」
汚れを落とした仮面を顔に装着するのと同時に、巡回当番の従者や神官たちが飛び込んでくる。
何事があったのかと口々に叫ぶ雑兵たちへ、アイオロスはこともなげに告げたのだった。
「双子座のサガが、女神殺害を目論みて果たせず逃亡した。聖域を封鎖し、逆賊を抹殺せよ」

その後、討伐兵として送り出されたシュラがサガを倒したものの、不思議なことに女神の姿は消えていた。
主を失ったはずの双子座の聖衣も守護宮に戻らず、白羊宮の主もいつの間にか姿を消した。
そして、これはアイオロスでさえ知ることは無かったが、サガの命が消えて直ぐに双子宮から一つの影が抜けだし、混乱を利用して誰にも知られること無く静かに聖域を離れていったのだった。もう一人の双子座であったサガの弟は、13年の後に海界の力を用いてアイオロスの治める聖域に復讐の牙を向くことになる。
激動の時代が始まろうとしていた。

(−2007/1/22−)


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