タンザナイト
閃光の様なエネルギーが聖域を貫いたかと思うと、ズゥゥゥン…という地響きが遅れてやってきた。雷光に続く雷鳴と同じ原理だ。
小宇宙を感じる事の出来るレベルにあるものは、それが女神の小宇宙であることと、それに対抗し受け止めている別の小宇宙のあることに気づき愕然とする。
間をおかず第二の衝撃音が響いた。呼応する小宇宙もひときわ大きく強くなっている。聖域中の空気が女神の気に同調してふるえている。すわ敵襲かと聖闘士たちは一様に色めきたった。
聖闘士のなかでも最高位の黄金聖闘士たちは、信じられぬというように立ちすくんだ。感じられるどちらの小宇宙も、彼らにはとても馴染み深いものであったからである。
女神に相対する小宇宙は、同胞のはずの双子座のものだった。
聖戦後のサガの忠誠心に偽りがあるとは思えない。しかし、何事にも絶対は無い。
二人の小宇宙は、闘技場を少し外れた訓練エリアのあたりから発せられている。
皆は瞬時に聖衣をまとい、その場を目指した。
光速で真っ先に駆けつけたのは黄金聖闘士たちだ。そして、彼らの目に映ったのは、女神の聖衣を纏った沙織と、双子座の聖衣を纏った黒サガの対峙する姿であった。
二人の間に横たわる大地は無残に裂けている。しかし周りには一定範囲に結界が張られており、あれほどの小宇宙の衝突があったにもかかわらず、結界の外側に被害は見られない。
真っ先に反応したのはアイオリアだ。
「サガ、貴様!」
だが、ライトニングボルトが繰り出されようとする寸前、沙織の制止が響く。
「待って、彼に手を出してはなりません」
「畏れながら、庇い立ては無用です!」
アイオリアはあえて聞き流した。大切な女神の危険を目の前にして、黙っていられるような彼ではない。まして相手はサガだ。聖戦後、アイオリアは複雑な想いを抱えながらも、サガのことは認め始めていた。それだけに、彼が再び女神へ反逆を企てたなどという事であれば、とても許せそうになかったのだ。
けれども、放たれた獅子の牙は黒サガによって方向を変えられ弾かれた。沙織の制止が入ったぶん遅れたタイミングを、百戦錬磨の黒サガが見逃す筈はない。
彼は周囲を聖闘士たちによって取り囲まれたにも関わらず、平然としていた。その様子は倣岸とすらいえた。
彼へ向けて第二撃を繰り出そうとしているアイオリアを見て、沙織が身体ごと割って入る。
「いけません!彼は悪くないのです」
「お引きください。奴はもはや、貴女がお庇いになる価値などない」
「話を聞いて、アイオリア。誤解なのです」
沙織はサガを背にしながら懸命に食い下がった。
「私が頼んで相手をしてもらっていたのです」
殺気立っていた聖闘士たちの小宇宙が、その一言で揺らぐ。
「どういうことなのですか?」
黄金聖闘士たちの中でも、比較的冷静なムウが尋ねた。
「それは…その…」
珍しく沙織は言いよどむ。
それでも顔を上げて話し出そうとしたところを、黒サガの声が被さった。
「戦闘訓練をしていた」
「互いに聖衣を着てまでか?」
納得のいかぬアイオリアが横から指摘するも、黒サガは肩をすくめるのみだ。
「女神の聖衣を着用すれば、わたしが弾いた力の余波でアテナが傷つく心配もまずなかろう。安全のためだ」
「それならば、お前が聖衣を着る必要はあるまい」
「聖衣を着用した女神の全力を生身で受けたら、わたしが死ぬ」
「………」
どうやら、先の地を揺るがすほどの小宇宙の応酬は、単なる訓練だと言いたいらしい。
訓練というのは無理があるとしても、沙織の様子からして、害意あってのもので無いことは確かなようだ。
流石のアイオリアもあっけにとられた。
アイオリアだけではない。他の面々も緊張していた分、安堵混じりの脱力を起こしている。
そんな中、シオンだけは流石に教皇の貫禄をもって黒サガを叱り付けた。
「馬鹿者!訓練であろうが、女神の願いであろうが、黄金聖闘士としてお主の側が配慮すべであろう!秘密裏にこのような訓練とやらを行えば、どのような騒ぎになるか予測できぬお前ではあるまい。そもそも、万が一にも女神のお体に傷1つでも付いたのならばなんとする。それこそ万死に値しよう。女神を諭しお止めするのが貴様の役目!反省せよ!」
「…フン」
肩をすくめる黒サガの様子は不遜なもので、とても反省をするようには思われないが、それは一応彼なりの了承の形らしい。
シオンの一喝とともに、集まった聖闘士たちも解散してゆく。
そのシオンも『ほどほどにな』の一言で去っていき、その場にはアイオリアだけがが残った。
アイオリアが気まずそうに勘違いゆえの発言を黒サガへ詫びると、黒サガは鼻で笑った。
「紛らわしかったのは確かだ。謝罪の必要はない」
「しかし」
「むしろお前に訓練が必要ではないか?様子見の初撃だったとはいえ、あのように簡単に攻撃を弾かれるなど」
「何だと…!」
真面目な詫びをはぐらかすなと言いかけて、アイオリアは黒サガがアイコンタクトをしていることに気づいた。移動した視線を追って横を見れば、沙織がしゅんとしている。
考えてみれば、自分が無理に謝罪を重ねた場合、その原因であるらしい彼女が自分以上に気にやむのは判りきった事だ。
慌ててアイオリアは黒サガに話を合わせた。
「な、なれば明日にでも手合わせを願おうか、獅子の本当の実力を見せてやる」
「それは楽しみなことだ」
「お前こそ、明日負けてから年のせいにするなよ」
「…ほお、若造が言うようになったな」
二人の軽口の応酬をみて、ようやく沙織がほっとした表情に戻る。
それを確認してから、アイオリアも己の守護宮へ帰っていった。
「ごめんなさい、サガ。貴方に嘘を付かせてしまいました」
皆が去り二人だけになったあと、沙織は申し訳なさそうにペコリと頭を下げた。
黒サガはちらりとそれを見やり、呆れたように零す。
「アイオリアといい、お前といい、謝る必要もないのに何故頭を下げる」
「でも…!」
確かに沙織はサガに相手を頼んだ。それは、女神の小宇宙の発散を受け止め流すのには、サガの持つ能力が丁度良いと思われたからだ。シャカでもよかったが、あいにく彼は勅命で留守だった。
お願いをしに行った双児宮で、サガが黒化状態だった時には、まさか付き合ってくれるとは思わなかったけれども。
彼女の狙いどおり、黒サガはこの周囲へ迷宮を応用した結界を張り、破壊力抜群の女神の小宇宙の発露をアナザーディメンションで部分的に異界へと流すという、離れ業をやってのけた。お陰で沙織はかなり本気で力を振るうことが出来た。もちろんサガが傷つかないように気をつかった上でのものだが。
しかし、それは戦闘訓練のためなどではない。
はばかりながら、ダイエットのためだった。
女神聖誕祭にむけての衣装の仮縫いとして、サイズを測られたのが昨日の事。
聖戦後の平和期間によって、本当にほんのちょっぴりではあるが、彼女はサイズアップしていた。
ショックを受け、急遽考えたのが小宇宙を燃やすことによる脂肪燃焼だ。覆面積の多い女神の聖衣をまとえばサウナスーツさながらの効果も期待できるはず。
それはとても良い考えのように思われた。
サガにハッキリ目的を伝えたわけではないが、聡いサガのことだ、おおよその見当はつけている筈だった。
神は嘘をつくことが出来ない。
だからといって、もしも本当の事を言えば、シオンの雷はもっと大きなものとなっただろう。当然だ、私情で皆にいらぬ心配をかけた上、そのような理由で女神の聖衣を使用したのだから。
だが、彼女は叱責を受けたくなくて言い澱んだのではない。
一人の少女として、人の子沙織として、そんな事を皆の前で言えなかったのだ。
そして、黒サガはそんな彼女を庇った。
「わたしは嘘などついておらぬ。先ほどのあれは良い訓練となった」
「サガ…」
「個人的に言わせてもらえば、無理をせずともそのまままで、充分お前は美しいと思うがな」
「えっ」
やはり気づかれていたのだと思うより前に、思わぬ賛辞に沙織の目が丸くなる。
「聖誕祭では華やかに装うのだろう?楽しみにしている。その聖衣姿も悪くないが、先ほどの連中に目の保養をさせてやるといい」
「まあ。貴方に女性を褒める口があるとは思いませんでした」
思わず正直に呟いてしまい、赤くなった沙織へ黒サガも別に反論するでもない。
二人は顔を見合わせ、それからどちらからともなく楽しそうに噴出した。
(2009/9/5)
[2009EVENT]