山羊づくし
(白サガ→山羊←リア)
遠地での勅命から戻ってきたシュラは、麿羯宮へ戻る途中で双児宮を覗いてみた。
サガがいれば立ち寄って、挨拶をしてから通り抜けるつもりであったのだが、どこかへ出かけているようで人の気配が無い。
多少残念な気持ちになりながら十二宮の一本道を登っていくと、すぐ上の巨蟹宮では、デスマスクが何やら気の毒そうな表情を浮かべて「がんばれよ」などと言ってきた。「いや、仕事はもう済んだ」と返しても、友人はひらりと手を振るばかりだ。
首を傾げてさらに宮を登っていく。ギリシア在住のはずのアイオリアも留守で、次に声をかけられたのは人馬宮だった。
「お前はいいなあ…」
聖域の英雄が、珍しく溜息なんぞをついている。何が良いのか判らなかったが、羨ましそうな視線が微妙に突き刺さって痛い。とりあえずシュラは先輩に頭を下げその宮も通り抜けた。
人馬宮を出た辺りから、奇妙なケモノ臭が漂い始めた気がして、シュラは眉を顰めた。階段を上がっていくにつれ、それはハッキリとした異臭として鼻に付いた。
見上げれば麿羯宮の窓から、煙が立ち上っている。異臭の発生源もどうやらそこらしい。
シュラは慌てて自分の守護宮へむけて走り出した。
光速で駆け込んだ自宮のなかで彼が最初に見たものは、にこやかなアイオリアとサガの共同作業だった。
「おかえりシュラ。早かったのだな」
アイオリアがさわやかに振り向けば
「疲れたろう、お前のためにささやかながら夕食を用意しておいた」
とサガも神のような笑顔で出迎える。
しかし、シュラは動けない。
出迎えてくれた二人の笑顔と裏腹に、麿羯宮内は惨状としか呼べない状態だった。
「こ、これは一体…」
青い顔で呟くシュラへ、アイオリアが多少はにかみながら答える。
「シュラはもうすぐ誕生日だろう?」
「ああ」
「その、シュラの誕生日を山羊尽くしで祝おうと思ってさ」
ギリシアには誕生日を祝う習慣はない。そのため、ギリシア人であるアイオリアとサガは自力で祝い方を考えたのだった。
「ま、まさか、この匂いは…」
「山羊だ」
にこにことサガが言い添える。アイオリアも付け足した。
「チーイリチーといって、山羊の血と内臓を煮込んだものだそうだ。サガが調理してくれた」
「山羊を掴まえてきてくれたのは、アイオリアだろう」
「……」
ただでさえ壮絶に臭い野生の山羊肉を、匂い抜き処理なんぞ知らなさそうなサガが調理したのでは、下手なテロの工作よりも異臭が発生するはずだとシュラは眩暈を起こした。
「山羊のチーズに山羊刺しも用意したんだ。チーズケーキも山羊のチーズの特注なんだぞ。山羊のミルクを飲むのにはこの角杯な」
アイオリアに手渡された、おそらく山羊製であろう角杯を受け取りながら、シュラは「ありがとう」と言うほか無い。
宮の壁に目を向ければ、これまた山羊製であろう毛皮の掛け物と、立派な角をもつ雄山羊の首の剥製が飾られている。良く見ればこまこまと山羊のオーナメントも飾られている(これはクリスマスツリーの使いまわしだろう)。二人で飾り付けをしたのであろう場面を想像すると微笑ましいが、生憎サガもアイオリアも装飾センスはあまり持っていない。
宮の裏ではおそらく二人が捌いたであろう山羊の血が飛散し、肉の残りが干してあるのだろうなとシュラは予測した。
(異教のサバトのようだ…)
シュラがちょっぴり涙ぐんだのは、強烈なヤギ臭と煙が目に染みたせいだけでもなかった。
「少し早いが」
「ハッピーバースデー、シュラ」
それでも二人から祝われると、シュラの胸に温かいものが流れる。
有難い事にアンゴラヤギのセーターというまともなプレゼントもあり(山羊煮の匂いが染み付いていたが)、シュラは勅命帰りの体力を、全部このあとの食事会で使い果たす決意をした。
(2009/1/9)
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