使いどころ
海界の仕事から帰宅したカノンは、ちょうど入れ違いに外出しようとしているサガの姿を見て絶句した。
「お前、何でそんな格好を…」
サガが纏っているのは、漆黒に輝く冥府の闘衣・サープリス。
吸い込まれるような黒の鎧に、サガの青みがかった銀髪がよく映える。
そのサガは、弟の帰宅に気づいて振り向いた。
「おかえり、カノン。少し冥界へ出かけてくる。夕飯の材料は冷蔵庫に入っているので、適当に食べてくれ」
冥府と聞いて、カノンの眉間に縦じわが寄った。
「冥府へ行くのに冥衣か?他の者に見られでもしたら、また裏切るのかと思われるぞ」
しかしサガは、カノンの怒りに首を傾げる。
「隣宮の巨蟹宮から黄泉比良坂を通ってゆくのだ。すれ違う者もおるまい」
「だからと言って!」
憤るカノンを見ると、サガは戻ってきて子供に対するかのごとくカノンの頭を撫でた。
「ありがとう、心配してくれているのだな。だが、纏う鎧が何であれ私の忠誠先は変わらない。それに、公務でもないのに黄金聖衣で冥府へ降り立つのは目立ちすぎると言われたのだ。太陽の欠片を持ち込むようなものだと」
聖戦の折、十二の黄金聖衣はその光によって嘆きの壁を砕いた。冥界の者が危惧するのは無理ないことだろう。しかし。
「そのように、タナトスが言ったのだな?」
カノンの声に、やや棘が混じる。
サガはそれに気づかないのか流したのか、何事もないかのように答えた。
「ああ、そうだ。敗戦界の立場を思うと、その言い分にも一理あるかと思ってな…無用の波風を立てぬためにも、たまにはアチラの民族衣装で行こうかと」
「冥衣は民族衣装じゃない!そんな理由か!なら普通の服でいいだろ」
「冥衣を着用してやる丁度良い機会かと思ったのだ」
カノンはハッとしてサガを見た。
「お前が言っていたろう?闘衣は生きていると。使いもせずに飾るだけなのは可哀想だと」
確かに以前、冥衣を捨てずに手元へ置き、さりとて持て余しているサガに対して、カノンはそのような事を話した。
「覚えていたのか」
「お前の言葉を、私が忘れるはずもあるまい」
微笑みながらそう言われると、カノンとしてもこれ以上言い募りにくい。
サガは畳み掛けるように続けた。
「それに、久しぶりの着用で双子座の冥衣がとても喜んでいるのが判る…今更やっぱり脱いでいくなどと、そんな酷なことは出来ないぞ」
最後の方はぼそりと囁かれる。
確かにサガの纏う冥衣はいつもより煌きを増し、やる気にみなぎった気配を発している。
「そ、それもそうだな…」
ここでカノンが無理に冥衣を脱がせたら、十二宮に恨みの金属音が響き渡る羽目になりそうだ。留守で残るカノンとしては全くありがたくない。
仕方なく冥衣姿のサガを送り出したカノンだったが、代わりに双子座の黄金聖衣のいじけた金属音を聞くことになるということには、まだ気づいていなかった。
(2008/8/11)
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