アクマイザー

薔薇の系譜
キリリク御礼/川添はるか様へ


教皇宮から十二宮の白い階段を降りていくと、双魚宮の手前に美しい花園が見える。
そこは、戦時ともなれば魔宮薔薇が敷き詰められることになる通路から少し離れた場所で、小さいながらもよく手入れのされた庭園だった。
アテナ神殿近くということもあり、その花園は代々の女神に愛され、そこで育てられる季節の花は式典で神殿を飾り、また女神の居室に置かれたりと様々な用途に使われてきた。
風に乗って、ほのかに花の芳香が漂ってくる。花には疎いアイオロスも、教皇の間を出てすぐの階段から見下ろせる風景には心を和ませた。ここは聖戦後も昔と変わらない。
彼は目を細めて階段を下りていき、通行の許可を得ようと双魚宮の主の気配を探る。直ぐに目的の小宇宙が感じられた。
相手もまたアイオロスに気づいたようで、双魚宮の結界が柔らかな空気に変わる。
(たまには念話ではなく、直接挨拶でもするか)
アイオロスは双魚宮の主であるアフロディーテの小宇宙を辿って、宮の内部へと足を踏み入れた。

射手座の彼は基本的に人懐こい。ベタベタするというのではなく、気を遣わせない自然さで相手に近づいていく。相手が聖闘士であっても、神官であっても、ただの村人であっても、元反逆者であってもだ。
彼は自分の護るべき世界の側であると認めている人間に対しては、立場などを気にもせずに、変わらぬ自然体のままで付き合うのだった。
立場など気にせず、誰にでも平等に振舞うのはサガも同じだったが、サガが相手の目線の高さに合わせて話すのとは対照的だ。
そして、その二人に比べるとこの双魚宮の主は人を寄せ付けぬタイプだ。
人間が嫌いであるわけではない。芯から人嫌いでは星に選ばれない。
毒薔薇を扱うピスケスの聖闘士は、その体質が毒と同化することもあり、自身や薔薇の毒で他者を傷つけぬよう孤高を通す者が多く、今生のアフロディーテもそうした流れの中にいるのかもしれなかった。

アイオロスが居住区を覗き込むと、摘まれたばかりの薔薇の束が、テーブルの上へ山を作っているのが見えた。そしてそのテーブルを前に、優雅に椅子へと寛ぐ麗人の姿。
13年前よりも更に美しく成長した魚座の主に、アイオロスは改めて感嘆の賛美を漏らした。アフロディーテが居るだけで部屋の空気が違う。質素であるはずの双魚宮の部屋を、その存在が華やかに変えてしまっているのだ。
「こんにちは、アフロディーテ。相変わらず美人だな」
他の人間が言えば怒りを買いそうな台詞でアイオロスは手を振った。アフロディーテが肩をすくめて会釈を返す。アイオロスは近づくと、テーブルの上へと目を向けた。
「何をしているんだろう。作業の邪魔をしてしまったかな」
「気にしないでいい。単なる暇つぶしの余技だ。貴方こそ私に何か用だろうか」
アフロディーテが優美な手つきで客用の椅子を勧めたので、アイオロスは頭をポリ…とかきながら腰を下ろした。
「親睦を深めたいというのは、用に入るかな?」
女神降臨時に反逆者の汚名を着せられて殺されたアイオロスは、その当時にはまだ幼かった黄金聖闘士仲間の顔しか知らない。聖戦後に蘇生を受けて交流を取り戻したとはいえ、まだまだ失われた年月を取り戻すのには時間がかかっていた。
目の前の麗人は、穏やかな表情でアイオロスを見ていたが、茶を出すこともなく卓上の薔薇を指し示した。
「貴方も暇だということか。ならば親睦ついでに手伝ってもらおう」
「えっ、何を?」
「花束を作るのを」
アフロディーテの言葉に射手座の男は目をぱちくりとさせた。
「手伝うのは吝かではないが、私はそういうのを作るような美的センスは無いぞ」
「そんな事は普段の服装を見れば判る」
「…今、何気なく酷いことを言わなかったか?」
「根元の方の棘と葉だけ取ってまとめれば良い。簡単だろう」
「流したな。まあいい、では見せてやろうではないか。このアイオロスのセンスを」
さっそく色とりどりの薔薇に手を伸ばした彼へ、アフロディーテが口元だけで笑った。
「ああ、見せてもらおうか。黒髪のサガの為に貴方がどのような花束を作るのかを」
アイオロスの指先が一瞬止まった。

「どの薔薇も綺麗だろう?人の目を潤わせるために、改良をされてきた品種の最高峰だ」
構わずアフロディーテは続ける。言いながら、自身もしなやかな指先を伸ばして、サーモンピンクの一輪を手に取る。
「聖域では、別の目的で品種改良が重ねられてきたけれどね…いかに毒の効果を高めるかという観点で、殺傷の為に。言い換えれば人を護るために」
アイオロスは、どう答えていいのか判らず、曖昧な返事を返した。
「『花を殺しの道具にするなんて』系のヒューマニズムは、此処にはないな、そう言えば」
「毒を造るも美を造るも、変えられていく薔薇からすれば同じこと。もっとも聖域には『花という自然を人間の都合で捻じ曲げるなんて』という自然愛護者もいない。過ごしやすいよ、私のような人間には」
アフロディーテは手の中の薔薇の棘を丁寧に折り取っていく。
アイオロスは真紅の薔薇を選び取ると、同じように根元の葉を毟りながら話を聞いた。
「私は…美しく強く毒まで持てることを誇りに思える薔薇だった。必要なのは力なのだし、倫理なんぞ毒を持ってしまってから考えても仕方が無い。この力をいかに平和の為に使うか考えることが大事だった。もっとも、聖域ではそれ以外の考え方のありようは無いのだが」
「君は花ではない。受身でもない」
「さあ、どうだろう」
会話の意図が判らず、困ったような顔をしているアイオロスに魚座は微笑んで、早くも二本目の薔薇を手にしていた。
「私は自分で思っていたほどには強くなかった。孤独などなんとも思わなかったというのに、サガの中に居るもう一人のあの人の事を知った時、この人は仲間だと思ったのだ…身のうちに毒をもち、生涯独りでゆくことを定められた同類なのだと」
アフロディーテが摘んだのは、先ほどよりは色合いを濃くしたオレンジの薔薇だった。
「黒いサガは私と違って聖域の理屈から自由だった。神であれ自分を歪める存在を許さず、仕方が無いという考え方をしない人だった。神の為ではなく自分の好きなように咲こうとする人だった」
アイオロスは、この場には居ない黒髪の男を思い浮かべた。アイオロスにとっては自分を殺した相手でもある。親友であったサガとは違い、覇王の人格を持つもう一人のサガのことは殆ど知らない。その相手について、魚座の主の口から聞く事が出来ると言うのは得がたい機会に思えた。
「あの人は神を否定しつつ、そのくせ、その毒も歪みも平和の為に必要なのだと、まるで聖域の言い分のように私を肯定してくれた。フフ…神の為でも人の為でも、薔薇からすれば同じことだがね。リアリストでありながら理想家の…優しい人だった。私は今でも、護るべき女神よりあの人が好きだよ」
アフロディーテは二本の薔薇を目の前で重ねて色合いを確認する。そうしてその薔薇をスっとアイオロスに突きつけた。
「…と言う魚座の戯言を、次期教皇候補の貴方はどう聞くだろう?」

漸くアフロディーテの本音が見えて、アイオロスは安心しながらも苦笑いをした。
自分は試されているのだった。今までのアフロディーテの言葉は、自戒の体裁をとって告げられた進言に他ならない。教皇の座を継ぐ者として、黒いサガの処遇や彼を代表とする聖域の歪みを背負う覚悟、また歪みの変革への期待、ヒューマニズムのみで善悪を問わぬバランス、女神絶対視への拒否、それら全てにどう向き合うのかを言外に問われたのだった。
「…私は、女神もサガも、この聖域も好きだ」
「そうか」
「だから、手は抜かない。変革が必要な部分は変えていくつもりだし、サガへの説得が必要な部分は引き受ける。頼れる仲間もいるしな」
「13年前に頼って欲しかったがね」
「ごめん。あの時はもう夢中で」
アイオロスは素直に頭をさげた。アフロディーテも突きつけていた薔薇をひく。
「品種改良には時間のかかるもの…次期教皇に変革の心構えがあるのならば、気長に待つことにしよう」
双魚宮の薔薇の守人は、今度こそ柔らかく笑った。
「その花束は、完成したら双児宮のあの人へ持って行ってくれないか。私は他の花束を完成させなければいけないのでね」
最初からそのつもりで、アイオロスに花束を作らせたのだろう。その心遣いにアイオロスは内心で礼を言った。
「私が持って行って、受け取ってくれるかなあ」
「このアフロディーテの薔薇であれば、あの人は必ず受け取る」
断言したアフロディーテを、アイオロスは少し羨ましそうな目で見る。
「いいなあ、両方のサガに愛されてて」
途端に攻撃用の薔薇が飛んできたので、慌ててアイオロスはそれを避けた。
「わあ、危ないだろう」
「アイオロス…あれだけサガの心を占めている貴方に言われたくないのだが」
「ええっ?そうかなあ。とてもそうは思えないんだけど」
「その言葉、あの人の弟の前で言ってみるのだな。最初から必殺技が飛んでくるだろう」
「カノンもサガと兄弟仲いいよね。羨ましいよ」
「…あれを兄弟仲というのかは……」
言いかけて、アイオロスの手元で不恰好な形になっている花束が目に映り、アフロディーテは溜息を吐いた。
「本当に貴方は花をまとめるセンスは無いのだな。人をまとめる力は見事なものなのに」
「だから最初に言ったろう」
「その花束を届けるついでに、黒サガとも親睦を深めてくるといい。言っておくが、あの人を泣かせたら、私はまた叛逆するのでそのつもりで」

(…いつも黒サガに泣かされているのは、俺の方だと思うんですけど)
アイオロスはそう思いながら、花束の形を整えるべく、眉を寄せて手元に集中した。

(2007/2/3)


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