バレンタイン
黒サガは白サガにも増して世間知らずだった。
いや、知らないと言うのは正確ではない。彼は情報としての知識は得ているものの、どうでも良い内容と判断すると、それらを片端から切り捨ててしまうのだ。
世界情勢や政治軍事状況に関しては、恐ろしいほどの情報収集力と介入操作能力を発揮するくせに、市井の娯楽や風俗などに関しては興味を持たない。
脳が一定量の記憶しか保てないように出来ていることを考えると、莫大な処理能力を必要とする教皇を装うには、それくらい極端な取捨選択をしなければならなかったのかもしれない。
しかし、黒サガは聖戦後の平和な日常生活を送る上でも、同じようなスタイルを貫いた。
おかげで彼が街に出るときには、常識知らずの元偽教皇が一般市民に迷惑をかけぬように、目付け役として黄金聖闘士が必ず一人は付き添う慣例となった。
今日の当番はシュラだった。
ギリシアの街中は、バレンタインが近いこともあり、花屋台や小物を扱う店が活気を見せていた。大通りから分かれた枝道の石畳を歩きつつ、黒サガは肩をすくめる。
「花にあれだけの金を払う者の気が知れん。そのあたりで摘んでくれば良かろうに」
シュラは黒サガらしい率直さに苦笑しつつ、市民サイドからの擁護をした。
「貴方とてアフロディーテの薔薇に潤いを得ているでしょう。自然の中にある花も美しいですが、手をかけた花は、それだけの価値があっていいと思いますよ」
「だが、あれほどまでに、街の者が花好きとは知らなかったぞ」
「ああ、花屋が賑わっているのはバレンタインが近いからでしょう。ギリシアでは、恋人相手にだけではなく、世話になっている方に持っていったりする…のでしたか?」
そこまで話して、スペイン人の自分がギリシア人へ説明している事態に気づき、シュラは途中でくすりと笑った。黒サガが面白く無さそうにそっぽを向く。
「アレならともかく、私に聞くな」
アレというのは白サガのことを指しているのだろう。言葉とともに黒サガの歩みが速まった。怒らせたかとシュラが歩調を合わせると、黒サガは道角の花屋台の1つの前で立ち止まる。
彼はその場で考え込むように口元に手を当てていたが、すぐに白の薔薇を数本ほど選んで売り子に包ませた。
思いもよらぬ行動にシュラが口を差し挟みかねていると、黒サガがその花束をシュラに投げて寄越した。
「世話になった者には、渡すそうだな」
慌ててその花束をパシリと受け止めたものの、シュラは内心の動揺を押し隠すのに苦労していた。微塵も想定にないシチュエーションをとられて固まっている山羊座の主を無視し、黒サガはさらに近寄ると、街行く恋人の見よう見まねでシュラと腕を組む。
「なるほど、このようにすると冬も暖かいのか」
黒サガは納得したように呟いている。
(いいえ、男同士でふつう腕は組まないものなのです)
シュラは心のうちで答えたものの、それは言葉になることはなかった。
二人は黙ったまま寄り添って聖域への帰路についた。
(2007/2/11)
[ホワイトデー]