カリカチュア
開け放たれた窓から部屋に流れこむ初夏の風が肌に心地よい。
一堂に会して円卓に座る黄金聖闘士たちは、場所が教皇宮であるにも関わらず寛いでいた。
それというのも、今回の召集は緊急時における黄金結合ではなく、単なる親睦会だからだ。
聖戦後、月に一度このようにして黄金聖闘士が集まり、情報交換や交流を兼ねての会議が開かれる事になった。過去の反省から、横の連絡を密にすべきだという声が上がったためだ。
かつての黄金聖闘士は個による活動が多く、それぞれがどこで何をしているのかを把握しているのは教皇のみだった。そのことが偽教皇の専横を許す土壌にもなり、相互不信の温床ともなった。
聖闘士同士の風通しを良くして、戦い以外の場でも信頼関係を築く…名目としては会議だが、実質はお茶会と言って良いだろう。飲み会にしようと言う数名の希望があったが、それは未成年のアイオロスがいるため却下されていた。
毎月、その月の星座にあたる者が茶会の準備をする。出身や修行地によって持ち寄る飲み物が異なるのも楽しみの一つだ。
ムウのバター茶、アルデバランのブラジル珈琲と続いて、今月の当番であるサガが用意したのはギリシア珈琲だ。これは、粉状の珈琲を煮立てて濾さずにそのままカップへと入れ、上澄みを飲むというトルコスタイルのもので、この地では伝統的な嗜好飲料である。
飲んだ後の滓で占いも出来るという優れものだが、皆は珈琲ではなくその隣へ置かれた黒紫色の物体へ目をやった。小皿に乗っているということは食べ物なのだろう。
料理に関しては探究心の強いデスマスクが、早速サガに聞いた。
「なあサガ、これ見たことねーが、なんて食い物だ?」
準備を整え終えて自分も席についているサガが、横席に座るデスマスクへ笑顔を向ける。
「これはメロマカロナというギリシアの焼菓子で、蜂蜜やスパイスが入っている。わたしが焼いてみたのだ」
デスマスクより一つ向こうの席で、同じギリシア出身のアイオリアが『えっ』という顔で皿の上を見直しているが、幸か不幸か誰もそれに気づかない。
アイオロスなどはサガの手作り菓子が食えるということの方に大喜びだ。
「サガのお手製なんて久しぶりだな。早速食っていいか?」
「ああ、珈琲も粉が底に溜まったら冷めぬうちに飲んでくれ」
その言葉を合図にして、皆がカップや菓子を手にする。アイオロスは真っ先にサガお手製の菓子に手を伸ばして口へと放り込んだ。
「うんうん、昔と変わらない味だよサガ」
にこにこ菓子を頬張る親友の姿に、サガの顔もつられて綻ぶ。
「良かった。わたしはあまり調理が得意ではないので不安だったのだが…」
「サガの作るものは何でも美味いよ、なあシュラ」
突然話を振られた山羊座の青年が、食べ始めた焼き菓子で咳き込んだ。
「あ、ああ、その…すっぱくてなかなか美味い……と思う」
「ハチミツ入りだから甘い筈ではないのか、シュラ」
遠くでミロが呟いているが、その言葉へ被せるようにアイオロスがサガに攻勢をかける。
「サガが人馬宮へ来て毎日料理してくれればいいのになあ」
あからさまなアイオロスのアピールに負けじとばかり、カノンも対抗し始めた。
「良く出来てるぞサガ、この固まった粉とハチミツの焦げ具合がなんともいえない」
「そうか、ハチミツはヒュメトス山のエラト松のものを取り寄せたのだ。スパイスもこの日の為に独自に厳選したものを入れてみた」
「兄さんは素材にはこだわるからな」
スパイスにも詳しいデスマスクが、一口齧ったあとやけに神妙な顔でサガに尋ねた。
「胡椒が入っているな。あとはクミンにシナモンにバジル、紫蘇とゴマと梅干粉末と青唐辛子…?」
「そのとおりだ。あとは隠し味で抹茶も入れている」
「……ちなみにどういう基準でブレンドしたんだ」
「食欲増進の効果があり、消化を助け、かつ香りの良いものを選んだのだ」
「それでこの斬新な味…しかし普通はそれ混ぜてもこんな味にはならねえ…流石だサガ」
「ありがとう、デスマスクに褒められると図に乗ってしまうよ」
別に褒めては居ないのだが、素直に喜ぶサガを前にしてデスマスクも訂正しない。
常ならばこのあたりから順次報告などが始まる。しかし、最初に発表するはずのカミュが、何故か俯いて口を押さえ固まったままだ。まともに食した残りの大半の者も同様に口を押さえ、顔を青くしている。
冷静なムウなどは齧った後にそっとそれを小皿へ戻し、珈琲を一気に飲み干すと二杯目を控えの従者に頼んでいた。
そんな中でアイオロスとカノンだけは平気な顔で食っては褒め、子供のようにサガを取り合っている。
そしてそれを止めないデスマスクとシュラ。食わずに傍観のアフロディーテ。
(サガの料理の腕がちっとも進歩しないとしたら、原因はお前たちにあるぞ!)
年少組の黄金聖闘士は揃って心の中で突っ込んだが、そんな彼らの視線に気づいているのかいないのか、年長組ふたりと年中組はサガを中心に独自空間を展開していた。
職務のため茶会へ遅れてやってきたシオンは、部屋へ入るなりその光景を見て遠い目になる。
(13年前の人間関係そのままだの)
かつて聖域を揺るがした凶事の背景をとてつもなく矮小化したカリカチュア…風刺戯画を見ているような気がして、シオンは苦笑を零す。しかし、そのように過去を客観視できるようになったのも平和の賜物なのかもしれない。
(女神殺害がマズイ菓子に代わるならば、結構なことではないか)
シオンの為に用意されている上席へ付き、底の焦げた焼き菓子らしきものを指先で摘む。
だがそれを食べたシオンは即座に感想を撤回し、口に入れた事を激しく後悔したのだった。
(2007/6/5)