アクマイザー

雪解け


双児宮から巨蟹宮を抜けて、さらに上を目指していた黒サガは、獅子宮の前で足を止めた。
宮全体に押し殺した憤懣が満ちている。

(飽きもせぬことだ)

黒サガは思った。怒りの主はアイオリアだ。そしてこの感情は、サガが己の守護する宮を通ることに対してのものだろう。最初の頃のように一触即発とまではいかないが、何かあれば攻撃をしかけてくるのに躊躇いはないと思われる。光を受け持つもう一人のサガの事はともかく、黒サガのことは未だに認めていないのだ。
通行を許しているのは、とりあえず女神に示した恭順の姿勢と、彼の兄アイオロスのとりなしがあるからに過ぎない。アイオリアからすれば、黒のサガのほうに反省の意思があるようには見えていないのだろう。
実際、黒サガは謝るつもりはなかった。自分に従って命を落とした者たちのことを思えば頭を下げるわけにはいかないと思っていたし、何よりやり方を間違っていたとは思っていない。謝るとすれば自分の力の至らなさについてであって、女神に負けたことが彼にとっての悪だった。女神は力でもって世界を守り抜いたからこそ正義と呼ばれているのだ。
足を宮内へ踏み入れると、アイオリアが宮の柱に背をあずけて寄りかかっていた。腕を組んで黒サガの一挙一動を眺めている。自然と目が合い、黒サガは再び立ち止まった。

「通したくないのであれば、力で排除してみせればどうだ」
乾いた石畳へ、低く静かな黒サガの声が染みこむ。常であれば無視して通り過ぎるものを、声をかけたのは、変わらぬ膠着の関係に飽いたからかもしれない。
言葉に反応したアイオリアの青の瞳が凄みを増し、小宇宙は高まりをみせる。
「影のサガよ、お前は何でも力づくなのだな」
だが、返された言葉は静かなものだ。そのことが一層深い彼の怒りを感じさせた。
「判りやすかろう。力とは何も暴力だけを指すのではない。権力、知力、統率力…力に優れたものが他者を圧する。アテナとて、そうしてわたしを退けたのだ」
サガも淡々と答える。アイオリアに判ってもらおうとは思っていない。ただ、自分の思うところを差し出した。どう受け止めるかは相手の自由だ。
けれども、更に怒りを増すだろうと思われたアイオリアは、意外なことに小宇宙を沈めて溜息をついた。

「サガ。お前はアテナよりも力において勝っていたならば、己の行為が正当化されたと思っているのではないか」
思わぬ反応に、黒サガは戸惑った。

「正義とまでは思っておらん。しかし、力のないアテナではこの地上を守ることなど出来ない。容易く他の神々に侵略を許してしまっただろう。だからわたしは」
「侵略は悪いことか?」
想定外の問いを持ち出された黒サガは、今度こそ言葉に詰まる。アイオリアは真っ直ぐに黒サガを見つめている。
「…当たり前だ」
「そう思うのなら何故」
その声には、怒りよりも哀しみが多く含まれているように聞こえた。

「神の基準で人間を裁き、蹂躙されることに異議を唱えたかったのだろう?しかし、お前が地上を支配して、目的のための弱者の犠牲を正当化したならば、神の支配とどう違う。天上の神々に代わってお前が地上の神となり、侵略を行うのと変わらないではないか」

黒サガは声もなくアイオリアの顔を見た。静かながら雄大な感情の流れが獅子座の小宇宙にも表れ、チリチリと輝く黄金のカケラとなって弾けている。突如、この男は獣の形をした太陽なのだとサガは思った。逆賊の弟として13年間にわたり続いた不遇も、兄への不信によって産み出された影も、結局アイオリアの光を覆うことは出来なかったのだ。
強い光の影に闇を持つ、自分の同類だと思っていたのに。
紅の視線を伏せて、黒サガは沈黙した。
「……」
己のなした全てを否定するつもりはなかったが、真っ直ぐな糾弾に対して返す言葉がない。確かに自分は神になろうとした。それは間違っていたのだろうか。


「お前の言うとおりかもしれん」
暫しの間を置いたあと、ようやくそれだけ呟く。
アイオリアの言い分は、聖戦が終わったあとになって机上で検証し断罪する者の安全な正義に似ていた。けれども似ているのは言葉上だけのことで、根本においても重みにおいても全く非なるもののように思えた。
アイオリアは1度たりとも自身の過去の不遇については、サガを責めない。いや、アイオリアだけではない。黄金聖闘士たちの誰もが、他人のために怒りはしても、己の被った災禍については愚痴すら零さない。それらについての恨みを受ける覚悟はサガの中にあるというのに、彼らは黙って過去を流す。その無言に篭められた信頼と、今のアイオリアの憤懣は同質のものだ。

黒サガは深く息を吐いた。完敗だった。

「すまなかった」
闇のサガは俯いたまま、初めて非を認めた。
力が必要であったことは事実だ。だが自分はその力を己のみに求めた。目的のために妨げとなる他者は切り捨て、協力を求めようとしなかった。犠牲となる者たちの死には目を瞑った。それは『必要なリスク』であるというのが己の考えだった。
だが、本当にそれが最善だったろうか。
女神にも己にも力が足りないというのであれば、補い合えば犠牲はもっと少なくなったのではないだろうか。そして当時子供であったとはいえ、黄金聖闘士たちと力を合わせていたならば。
大儀を理由にヒトを間引き滅ぼそうとする神と、己はいかほどに違ったというのだろう。

謝罪を聞いたアイオリアは、くしゃりと顔を歪めた。横へ向き、腕に巻いたサポーターでぐいと目元をこすっている。黒サガは何とはなしにそれを覗き込む。
「何故、お前が泣くのだ」
「貴様の馬鹿さ加減に涙が出ているのだ!」
「…そうか」
確かに自分は馬鹿なのかもしれないと黒サガは思った。
「すまん」
アイオリアの涙を見て見ぬ振りも出来なかったことに対して、黒サガはもう1度小さく呟いた。

(2009/11/3)


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