アクマイザー

墜落する星6


女神とアイオロスの注視する中、黒サガは身のうちから湧き上がる光に抵抗せず目を閉ざした。
冥府から戻らぬままであった魂の半身が、初めて自から望んで、黒サガと1つに交わることを許したのだ。
白サガと呼ばれる彼の半分は、黒サガの伸ばした意識の触手を辿り、元来の身体へと収まってくる。
半身が精神を満たすにつれ、黒サガは己がいかに乾いていたか知った。

砂へ水がしみこむように、欠けていた黒サガの魂はいくらでも光を受け入れた。白サガもまた、惜しみなく闇を飲み込んだ。自身の中の異なる価値観を拒絶することなく、肯定するでもなく、練りあわせて同居させる。白と黒の意識は混ざり合うにつれ、どちらがどちらなのか判らなくなっていった。それでいて、互いを許容することによって、それぞれの相反する性質は確固たるものとなっていったのだった。
ソファーの上へと広がっていた黒髪が、ゆっくりと青みをもった鈍い銀色に変わっていく。それは白サガの淡い空色めいた軽い銀髪ともまた違うものだった。

やがてサガは静かに目を開けた。
目を開けて辺りを一瞥し、凛とした佇まいで微笑んでいる女神を見た。すぐに立ち上がって臣下の礼を取ろうとするが、自分の手をアイオロスが握ったままで居る事に気づいて動きが止まる。
アイオロスがその接触を通して冥府にいる白サガへ語りかけてくれたお陰で、死のくびきから解き放たれることが出来たのだと、今更ながらサガは思い出した。
(この男はいつでも、最後の最後でわたしを救ってくれる)
サガの視線が、手元からアイオロスの顔へと移動していった。
(罪をかぶせ、死に追いやったのはわたしであるというのに、この男は何の躊躇いもなくわたしの手をとってくれた。それも、黒髪であったときのわたしの手を)
アイオロスのおもざしには、黒サガの目をとおして見たときとはまた違った表情が見え隠れしていた。その感情を読み取ろうとして、サガはまじまじとアイオロスの顔を見つめる。傍からは、まるでサガがアイオロスを睨んでいるかのように見えた。
サガの唇からは、なんの言葉も発せられない。まだ統合の混乱から意識が抜け出せていないのだ。謝罪の言葉が真っ先に出ないのがその証拠だった。

そんなサガから先に手を放したのはアイオロスのほうだった。その手はゆっくりと振り上げられ、思いっきりサガの頬をひっぱたく。ぱぁんと小気味よい音が双児宮に響いた。
何が起こったのか直ぐに把握できないでいるサガが、赤くなった頬に手を当てる。手のひらの下で、サガの白磁の肌は真っ赤に腫れあがった。音に遅れてじんじんと熱い痛みが訪れる。
さらに手を振り上げたアイオロスを見て、慌てて女神が止めに入った。
「アイオロス!彼はまだ病み上がり(?)ですよ!」
「判っています。だから拳で殴らないで手加減しています」
ああ、自分は叩かれたのかと、ようやくサガは気が付いた。
(そういえばお前は、先ほど『その場に居たら殴っている』と宣言していたか)
暫く無言が続いたのちに出たのは笑い声だった。熱を持って痛む頬の腫れなど気にならなかった。ただ楽しかった。ひとしきり笑い終わって、サガはようやく自分のすべき事に思考をめぐらせた。
今度こそソファーから起き上がり、アイオロスと女神の前に膝をつく。
「女神…わたしの愚かな軽挙のせいで、ご迷惑をおかけしました」
サガの謝罪に対して、女神はやわらかく首を横に振った。アイオロスも振り上げていた手をいったん下ろして、サガの様子を眺めている。サガはアイオロスを見上げた。
「アイオロス、わたしはずっと」
(お前を殺したかった)
(お前に殺されたかった)
同時に浮かんだ想いはどちらも事実だが、真実ではなかった。
黒でもあり白でもあるサガは、少し迷ったあと、どちらでもない第三の言葉を口にした。

「…ずっとお前に、感謝していた」

アイオロスの顔がくしゃっと歪む。そこにあるのは歓喜と、とまどい。アイオロスもまた、かつての友であった白サガとは微妙に異なるサガに対して、どう接していいのか本当は距離を測りかねていた。
それでも、そんな事はどうでもよくなるほどサガの帰還が嬉しくて、拒絶されなかったことが嬉しくて。
気が付くと、アイオロスの瞳から、収集の付かない気持ちが言葉の代わりに涙となって溢れ出ていた。
アイオロスの涙を初めて間近で見たサガは驚いた表情をしたが、そこは流石に十三年ぶん年上となったサガの側がフォローする。

「ただいま、アイオロス」

サガから伸ばされた手がアイオロスを引き寄せ、その頭を胸に抱きとめて涙を隠す。白サガであれば、己の罪に遠慮して、彼に触れることを辞しただろう。黒サガであれば嘲笑で返しただけかもしれない。良くも悪くも今のサガは白黒両者の面を併せ持っており、また、どちらのサガでも無かった。
アイオロスは抱きしめられながら、黒サガの手の感触を思いおこしてみた。そして、はるか遠く昔に触れた、自分と同い年であった頃の白サガの手の感触を思い出してみた。
触れたときの体温と感触だけは、どのサガも変わらない。そのことがアイオロスを少し安心させた。
「…お前は周囲に心配と迷惑をかけすぎだ、サガ」
英雄と呼ばれる少年がやっとの思いで口にした言葉へ、サガはその背中を撫でる事で答えた。



二人を残して、そっと双児宮の部屋から抜け出した女神の前に、シャカとデスマスクが姿を現した。
女神はにこりと笑って彼らに礼を述べる。
「ありがとう、貴方達の協力のお陰で助かりました」
シャカとデスマスクの力添えがなくば、女神とアイオロスといえど、これほどスムーズにサガを呼び戻す事は出来なかっただろう。異界を現世につなぐ技に長けた彼らがいたからこそ、冥府のサガに強く干渉する事が可能であったのだ。
デスマスクが肩を竦める。
「別に礼を言われる筋合いはねえが…しかし、あれでいいのか?何でも併せ持てばいいってもんじゃないとオレは思うぜ」
統合したサガのことを指しているのだろう。
「善と悪の境がないなんて、そっちの方がオレはおっかねえが」
「あらデスマスク、貴方は黒髪のサガのことを悪だなんて思っていないのでしょう?」
女神がにこにこと切り返す。やりにくそうな顔をしたデスマスクの横で、シャカがのんびりと口を挟んだ。
「彼もサガだ。本質が変わらなければ、外枠など問題なかろう」
ものごとの本質を見通すシャカにとって、核が変わらなければ多少の人格変動などは問題ではないらしい。
デスマスクは苦笑しながらも否定した。
「普通の人間にとっちゃ、その外枠だって大事な一要素なんだがな。黒いのも白いのも、どっちのサガもオレは好きだったんでね…まあ、生きてるだけでも良しとしなけりゃ贅沢ってものか」
統合したことによって吸収された人格はどこへいくのか。
今のサガにはどちらの人格も含まれていると正論を説かれたところで、デスマスクからしてみれば、やっぱり白サガや黒サガと今のサガは違う。両サガの間に生まれた和解を悲しむわけではないが、過去のサガを思うと寂しさも拭えない。
「はっ、こんな感傷、オレらしくねえな」
冗談めかして歩き出したデスマスクの背中を、女神は呼び止めた。
「今のサガは嫌い?」
「好きも嫌いも、あのサガの事は知らねえ」
「ひょっとして、拗ねているの?」
「あのなあ」
「白い魂のサガも黒い魂のサガも、消えてはおりません」
言った途端、振り返らずに足をとめたデスマスクへ、女神は悪戯っぽい目を向けた。
「サガは真面目ですから、黒も白もひっくるめた立場で、私とアイオロスに謝罪したかったのでしょうね。結局、私には謝罪でアイオロスにはお礼でしたが…あの統合状態は一時的なもので、固定されたものでは無いのです。ですから、黒サガにも白サガにもまた会えますよ」
デスマスクは黙ったまま背を向けている。女神はころころと口元を押さえて笑った。
「貴方にも殊勝なところがあるのですね」
デスマスクの顔は見えずとも、その背中に不覚と書いてあるのがシャカには見えた。彼の性分からして、先ほどの自分の台詞を死ぬほど羞恥で後悔しているだろう。妙なところで巨蟹宮の主が照れ屋であることを、シャカは知っていた。
知ってはいたが、それを会話に活かせるかは別問題だった。
「女神、こうみえて蟹は昔から一途なところのある男なのですよ」
「やめろ、お前はオレに喧嘩売ってるのか」
「純情だと褒めているのに、何故怒るのかね君は」
「やかましい!」
振り向いて殴りかけたデスマスクの拳を、シャカの手が受け止める。もっともデスマスクの拳も本気ではない。シャカの挑発がデスマスクの照れの発散を手伝うためであると気づいた上でじゃれているだけだ。
女神はささやかな千日戦争を見逃すと、十二宮の階段を上っていった。
十三年前に自分の未熟で救えなかった聖闘士たちが、今度こそ幸せになってくれることを祈りながら。

女神に出来る事は蘇生まで。
神であろうと、人を幸福にする術などは持っていない。あとは本人達が幸せを掴もうとするか否かだ。
「戻ってきてくれてありがとう、サガ」
女神は呟く。
(貴方は私に謝罪したけれど、貴方は戦女神である私にも希望をくれた)
正しき聖闘士たちとはまた別の形で。
たとえ闇を持つ魂であっても、人はきっと光を目指す。サガはそのことを再確認させてくれたから。
地に堕ちて泥にまみれても、何度でも高みを目指して昇る星がサガであり、人間という種の本質なのだと女神は思う。
愚かでも罪を繰り返しても、女神はそんな人間たちが好きだった。
「貴方たちが人を信じさせてくれる限り、私はこれからも人と共に戦える」
少女神は聖域の空を見上げて微笑んだ。

(2007/10/20)


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