アクマイザー

ミディアン(後編)
(キリリク御礼/仁科さまへ)


「微力ながら、冥界復興のための助力の押し売りに来た」

エリシオンに侵入してきた双子座の黄金聖闘士の言葉に、流石のタナトスも虚をつかれた。
「ここへ来るまでに冥闘士たちの作業の様子も拝見したが、随分と人手が足りていないように思う」
確かに足りてはいない。冥衣の修復もままならぬ現在、生きたまま冥府へ降りてくることの出来る兵士は圧倒的に少ない。全員へパンドラのように通交証を渡すわけにもいかず、神である自分たちは冥府破壊の際に飛び散ってしまった魂たちを多次元の海から探し出すのに手一杯だ。その自分たちの力もまだ万全ではない。
「……女神の犬であるお前が、何故まだ死界にいるのだ」
タナトスはようやく言葉をとりもどすと、変わらず人間を見下した表情で目の前にいるサガを見た。
聖戦でのサガはパンドラの奸計に乗ったフリで聖域へと馳せ、かりそめの命を失ったのちにも嘆きの壁でその力を発揮し、冥界へ牙をむいた。その時点で、女神の聖闘士であるサガとはもう縁のないものと考えていた。そして聖戦後は蘇生した他の聖闘士どもと共に、聖域へ戻るものとばかり思っていたのだった。
タナトスの侮蔑の眼差しを、サガは顔を上げてまっすぐに見つめ返した。
「以前、貴方が話してくれたことがある…死は救いであると。死後の世界こそ平和と平等の完成されたユートピアであると。死者の降りてくるこの世界の復興を、わたしにも手伝わせて欲しい」
それを聞いて、額に五芒星を持つ銀の神は吐き出すように笑った。それは敬愛するハーデスの理念だった。無論タナトスもそれを是として信じている。しかし。
「サガ。お前も今では知っているだろう。その救いは、聖闘士にはもたらされん。コキュートスへ落とされるから…という話ではないぞ。お前たちは死に安寧とすることは許されない。聖戦あれば転生を求められ、神の望みあれば蘇生という名の束縛を受ける。死は万能の救いではないのだ。それゆえ冥界を立て直しても、お前の救いにはならないが?」
最後の方は苦笑とともにサガに向けられる。それでもサガは怯まなかった。
「わたしは既に女神と貴方によって救いを受けている…その恩返しというのは、理由にならないだろうか」
タナトスは呆れたようにサガを見た。この男も生を望んでいるだろうに、それを捨てて他人の為に冥界へ尽くすという。人間のこういうところが、死の神には不可解だった。

改めてサガをみてみると、彼は半霊ともいえる生霊状態だ。白のサガは魂の状態が形をなす冥府では、穏やかながら清冽な輝きを見せていた。タナトスを拒絶する黒い半魂は、今は見えない。
その美しさに目を細め、タナトスはサガへと近寄った。
「オレは聖闘士であるお前を信用はしない。しかし、オレの駒となるのならば別だ」
「それは構わない」
「多忙で目の届かぬこともあるゆえ、お前がおかしな動きをしないよう、また印をつけるが」
「それも構わない…自ら死を選択した者は、お前のものなのだろう?自由にわたしを行使するがいい」
タナトスはサガへ向かって右手を差しのばした。サガはその手を恭しくとると、その甲へ敬愛の口付けを落とす。伏せられた睫からはその内面は読み取れない。
「この死の国を、死者の安らげる世界へと戻したい。そのような世界への復興を、わたしに命じて欲しい」
サガの言い分にタナトスは噴出した。
「それではお前が駒なのではなく、オレがお前の目的の為の駒ではないか」
口付けられた手でサガの面にかかる髪を掴み、伏せている顔を強引に上を向かせる。
「恩返しというのならば、せいぜい働いてもらおう。昼も、夜もな」
夜も、という言葉の言外にサガは一瞬困ったような顔をしたが、それでも頷いた。
「わたしがその役に立つのであれば…そのような方面に経験がないゆえ、満足していただけるとは思えないが…」
素直な反応に、からかうだけのつもりであったタナトスの方が意外な顔をしている。
「目的の為であれば、その身体を厭う相手にも差し出すという事か?プライドのないことだ」
揶揄する銀の神へ、サガは低い声で小さく応えた。
「…わたしは別に、貴方の事を嫌ってはいない」
ますます驚くタナトスの視線から逃れるように、サガは目を逸らす。タナトスは今度こそ笑い出した。
「よかろう、その言葉が嘘か否かはどうでもよい。早速働いてもらおうか」
タナトスはサガの青の光沢を見せる柔らかな銀髪から手を離し、その身体を抱き寄せた。
続く激務の憂さを、この舞い戻った白い鳥で気を紛らわせるのも一興。アテナとの聖戦には敗れたが、黄金聖闘士を嬲って純潔の女神に一矢報いるのも、鬱憤が晴れそうな気はした。

(それに、オレは思っていた以上にこの双子座を気に入っているようだ)
タナトスは抱く手に力を込める。僅かに手の下でサガの身体が震える。獲物に触れたことで、タナトスの捕食者としての高揚が高まっている。
「安心しろ。この界では意識が肉体を形作る…お前に受け入れる気持ちがあれば、肉体などいかようにも変化する。痛みは、あるまい」
そう告げると、死の神はサガをいざない奥の寝所へと移動した。

(2006/12/12)


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