聖剣の力
本日、黒サガは仕事を麿羯宮へと持ち込んでいた。
仕事といっても、前聖戦の資料をまとめるという地味な内容であり、それを行なう場所はどこであっても問題ない。元々は教皇宮で編纂作業をしていたのだが、シオンとの大人気ない嫌味の応酬(当人同士にしてみれば軽いコミニュケーション)に震え上がった神官たちが逃げてしまったため、雑務に差し障るという理由で追い出されてしまったのだ。
最初は双魚宮へ押しかけたところ、そこには既にデスマスクが酒を持って遊びに来ていた。これは仕事にならぬと麿羯宮まで足を運んだというわけだった。
自宮である双児宮まで降りないのは、作業を終えた後の報告をするのに、教皇宮から遠ざかるのは面倒だからだ。自分の都合優先で2番目に近い宝瓶宮へ居座らなかったのは、わずかながら黒サガの良識が働いた成果による。
しかし、その良識がシュラに対して発揮されることはない。黒サガは常日頃から勝手に麿羯宮へあがりこみ、居住区のソファーを専有化している。シュラが咎めることもないので、麿羯宮はすっかり黒サガの第二別宅状態だ。
その麿羯宮のテーブルの上へ文献を広げ、資料片手にソファーへ腰掛けた黒サガは、とある数行の記述に気づいて目を留めた。
「おい、シュラ」
手元の資料に目を落としたまま、守護宮の主へ声をかける。
「なんですか」
シュラはサガの向かいの椅子に腰を掛け、珈琲を飲んでいたが直ぐに応えた。
「この文献によると、歴代のカプリコーンの幾人かは攻撃を研ぎ澄ませることにより、空間や次元を絶つことも可能だったとある」
「ええ、まあ」
技を研鑽研究してきたシュラは、当然ながら山羊座に伝わる技の数々や伝承を知っていた。
「お前にも、可能か」
黒サガは資料をテーブルへと置くと、シュラを見た。その目に好奇の色は浮かんでおらず、職務の延長として問うたのだと知れる。
シュラは己の遂行能力を黒サガに問われた際、かつて不可と答えた事はない。
しかし嘘もつけない。
「試したことはありませんが、出来ると思います」
それは事実と自負をないまぜた回答だった。黒サガはそれを聞き、少し考えてからまた尋ねた。
「女神やハーデスの結界を斬ることは可能か」
「そのレベルのものに干渉するのは、難しいかと」
それでも、不可とは言わないのがシュラらしいところだ。黒サガは『よし』というと立ち上がった。
「シュラ、コロッセオへ行くぞ」
「えっ?」
「お前の力、試してみよう」
「今からですか」
下へ降りるのが面倒で麿羯宮へ居座っていたくせに、気の向いたことへの対処は早い。
「お前の拳闘着を貸せ」
そう言いながら、もう法衣を脱ぎ始めている。
シュラは慌てて二人分の練習着を取りに隣室へ走った。
シュラの拳闘着は、サガの身体にもほぼぴったりだった。
揃いの姿となって十二宮の白い石段を降りていく。守護宮というのは外敵からの侵入避けであるため、上宮から下宮への通行は基本的には素通りだ(もちろん、脱走者や内通者を外へ通さぬ程度のチェックはあるが)。
何気なく人馬宮も通過しようとした二人は、突然の大声にびくりと足を止めた。
「な、何を二人してペアルックになっているんだ!」
人馬宮の主であるアイオロスの声だった。常であればアイオロスを無視をする黒サガも、さすがにこの第一声には突っ込んだ。
「これはペアルック…か?しかも死語臭い…」
シュラはアイオロスを尊敬しているため、滅多なことでは反駁しないのだが、こちらもささやかに抗議の声をあげる。
「そういうことを大声で言わないで下さい。その、…照れますので」
抗議の方向はやや間違っていた。隣で黒サガが遠い目つきで訂正を入れた。
「今から手合わせをするのに服を借りただけだ。そのようなわけで、宮を通してもらおうかサジタリアス」
手合わせと聞き、修行好きのアイオロスの目がきらりと輝く。
「へえ、じゃあ私もついていっていいかな?千日戦争になったとき裁定したり、怪我の対処をする人間が要るだろう?」
黄金聖闘士同士の手合わせの場合、手合わせのレベルにもよるが、内容によっては双方が大ダメージを受ける可能性もある。その加減を見極めたり、怪我の対処をする第三者が必要だろうとアイオロスは言っているのだ。
黒サガが珍しく否と言わずにシュラの方を見たのも、その必要性を知っているからであった。
「助かります」
シュラが答えると、アイオロスはニコニコと二人を促してコロッセオへの道を歩き始めた。
黄金聖闘士三人が揃うと道中を阻むものはいない。神官は慌てて道をあけるし、雑兵も同じだ。
ただ、アイオロスが加わった事によって、シュラと黒サガだけであれば挨拶のみで遠巻きにしていたであろう雑兵たちが、遠慮しつつも気軽に声をかけてきて、手合わせと聞くと見学の許可を求める。
かつての白サガが数多から慕われていたように、黒サガが人の闇を惹きつけるように、アイオロスもまた人を集める器だった。
「どうする?」
許可を求められたアイオロスは、当事者へ確認の仲介をする。
「巻き込まれて異次元に飛ばされても関知せぬが」
「オレは構わない」
ギャラリーなど眼中にない二人だ。いや、二人に限らず多少の騒音で集中力が萎えるような者など黄金聖闘士にはいない。それに、シュラはともかく黒サガは、周囲に人が居ようがいまいが関係なく技を繰り出すと思われた。
「君らより、見学者の安全の確保が大変そうだなあ」
苦笑しつつも、アイオロスは希望者たちへ声を返す。
「いいってさ」
おかげで闘技場へつく頃には大勢の下級兵士や白銀聖闘士たちが集まり、観覧席を賑わわせた。
闘技場へつくと、シュラと黒サガは止まることなく中央へ足を運んだ。アイオロスは二人から離れて観覧席のすぐ下へさがる。手合わせの邪魔にならず、いざという時には結界を張って下級兵たちを守ることの出来る位置だ。
多くのギャラリーと同じように、アイオロスもまた二人の対戦に心を躍らせていた。片や、かつて自分と最強の双璧と呼ばれたジェミニであり、片や10歳にして自分に刃を届かせたカプリコーン。13年前の彼らが、自分の居ない年月でどれほど力を磨いたのか、戦士としての好奇心がうずく。
ただ、アイオロスもギャラリーも勘違いしていたのは、これが修練としての手合わせだと思っていた事だ。
黒サガの目的はエクスカリバーの性能を確かめることであり、そのため単刀直入に大技の構えを取った。
「シュラ、今からアナザーディメンションを放つ。手加減せぬゆえ、お前の聖剣で斬ってみせろ」
滅多に見る事の出来ぬ秘技の予告に、観客席はどよめいた。
アイオロスが小声でぼそりと呟く。
「いいのかなあ…斬れなきゃシュラは異次元に飛ぶけど…シュラは直接攻撃系だから、戻ってくる能力ないと思うよ…」
だが、シュラは頷くと小宇宙を高め始めた。剣気にも似た高エネルギーが、シュラの腕ただ一点に集約されていく。鋭く触れただけで肌のはじけそうな空気に、見ている兵士たちも身を硬くする。一方の黒サガもまた両腕に小宇宙を篭めていた。この一帯が簡単に吹き飛ぶだけの力を、一瞬にして集める黄金聖闘士の技量を目の当たりにして、誰もが息を呑んでいた。これが聖衣を着用しての実戦であれば”溜め”の時間はさらに短くなるのだろう。
下級兵士たちは、アイオロスがさりげなく閲覧席をサジタリアスの小宇宙で守り、攻撃的小宇宙の余波が及ばぬようにしていることすら気づかなかったが、白銀の域にある聖闘士たちは、神域とも思える黄金聖闘士の能力にただ圧倒されている。
技の発動に必要なだけ小宇宙が高まると、今度はさざなみ一つない古池の水面のごとく、静かに時間が止まる。コップに注ぎ続けた水が溢れて零れだす一歩手前のような、危ういバランスの瞬間だ。
「アナザーディメンション!」
技の発動とともに、黒サガの広げた両腕から左右へと空間が歪み、シュラを両サイドから挟み込む形で異次元が開いた。歪んだ空間から垣間見える世界は、黒く捩れて遠く広がっている。この世の何かに喩えるならば宇宙空間がもっともそれに近いのだろうが、物理法則はこちらの宇宙と全く異なるものだ。
その空間が濁流のようにシュラへ襲い掛かった。
だが、シュラが動く気配は無い。ただでさえ避ける間もなさそうな速度の異次元空間がシュラを包み込む。暗黒が完全にシュラを覆ってしまうと、不安から兵士たちがざわめき始めた。アイオロスは泰然と見守っているものの、内心で多少の焦りが沸く。なにしろ、黄金聖闘士のアイオロスの目から見ても完全に技が決まっているのだ。この状態ではもう異世界に取り込まれているだろう。暗黒空間は徐々に閉じられ、景色は通常空間へと戻っていく。
(うーん。シュラを探しに行く算段を考えなきゃいけないのかな)
そう思いかけた途端。
光が一閃し、ぴしりと空間に亀裂が走った。
一瞬遅れて、その光の走った大地までもが大きく切裂かれ、闘技場が綺麗な直線で二つに分けられる。
空間の亀裂から現れたのは、異次元に閉じ込められたはずのシュラだった。
シュラは何事もなかったかのように、黒サガへと歩み寄った。
「どうでしょうか」
生死に関わる技の応酬があったとも思えぬ口調である。
下級兵たちの心配の声が熱狂的な声援へと変わった。どうやったのかは理解出来なかったものの、彼らの目には完璧な技返しに映ったからだ。恐らく黒サガもシュラへ賞賛を与えるだろうと、ギャラリーはシュラと一緒になって黒サガの表情を伺う。
しかし、黒サガは不満ともつかぬ微妙な顔をしていた。
「何故、発動前に斬らなかったのだ」
アナザーディメンションが発動しきる前に、異界との接続点となる空間を斬ってしまえば、そもそも異界へ飛ばされることもない。黒サガの言い分に、シュラは目をぱちくりとさせた。
「内側から斬った方が確実だと思いましたので」
サガが通常空間側を斬らせるつもりだったのに対し、シュラは異次元側から聖剣をつかい、通常空間へ道を開いたのだった。
「私が聖衣を着てアナザーディメンションを放ったら、異次元へ飛ばされるだけでなく、相応のダメージも追加されるのだぞ!技を食らった後で対処しようなどと危険すぎるだろう!」
怒ったようにまくしたてる黒サガに、シュラはわけもわからず首をかしげている。
いつの間にか二人の側へ近づいてきたアイオロスが、笑いながら口を挟んだ。
「サガはシュラが心配だったんだよねえ」
え?という顔でシュラがアイオロスを見るのと、黒サガが言い返すのは同時だった。
「違う、この男の要領の悪さを指摘しているだけだ!」
「ふーん?顔、赤くなってるよ」
「貴様…」
かつて同胞でありながら殺しあった三人が、わだかまり無くじゃれあっている姿は、観客席の人間達からみると不思議な光景だった。けれどもその光景は、見ている者の心を和ませ、現在の平和を思わせた。
また、極悪非情であると思われている黒サガの一面を知った者は、わずかながら彼への偏見を緩ませる。
黄金聖闘士たちの絆は、その下に集う聖闘士や兵士の結束も生む。
聖域はようやく本来の姿を取り戻しつつあった。
しかし観衆の眼下で、感激したシュラが突然黒サガを抱きしめ、アイオロスがそれに割り込み始めると
「黄金聖闘士の友情表現って濃いなあ…」
「か、過去を吹っ切って仲良くやろうと思うあまりに、表現がオーバーになっているのかもしれんぞ」
「…なあ、あれ友情か?」
そんな会話とともに、先程までの尊敬の視線は優しくも生暖かい視線へと変わっていったのだった。
(2007/5/7)