アーユルヴェーダ
(キリリク御礼/東風様へ)
最近、黒い方の兄が処女宮へ通い始めた。
もともと唯我独尊な性格同士、気は合うのだろう。シャカは女神不在の十三年間ですら「本質が正義」という理由だけで、偽者と知りながらサガの扮する僭称教皇に仕えていた男だ。マイペースな上、大雑把なところも似ている。
元反逆者である兄が、復活後に聖域であらためて知己を増やし、交流を深めるのは良い事だと思う。特に黒いのは友人少なそうだし(オレもだが)。
しかし、処女宮から戻ってきた時のサガのをみると、どうも様子がおかしい。
気怠げでありながら、どことなく機嫌が良い。血色も良い。そして、出かける時にはしなかったはずの香油の匂いが、やんわりと漂ってくる。双児宮に置いてあるハーブや石鹸の類とは明らかに異質な香りだ。シャカの宮で焚かれている香が染み付いたというには、肌への残り香が強すぎる。
どうにも気になったので、サガへ聞いてみる事にした。弟としては兄の素行を把握しておくべきだものな。
早速ソファーへ寝転んでいた黒髪のサガをつかまえて、直球で訪ねる。
「随分とシャカを気に入っているようじゃないか。あいつと一体どんな話をしているんだ?」
面倒くさそうにオレを見上げたサガは、それでも律儀に返事をしてくれた。
「やぶからぼうに何だ。あまり話はせん。私は寝ているだけで、奴が身体を撫で回している」
「…何やってんだよ」
「マッサージだが」
「誤解を招く言い方をするな」
「どんな誤解をしたのやら」
口元で笑うサガの頭をとりあえずクッションで殴っておく。こちらのサガは、もう一人のサガが口にしないような類の物言いをする。他人の感情を波立たせ、その反応を楽しむかのような悪趣味なことも平気でやる。
しかし、からかわれていると判っていても、こちらのサガの性格を思えば、それが100%誤解なのかどうかの判断も出来ない。
「わざわざマッサージをしに処女宮へ行っているのか。それくらいオレにも出来る」
つい不満げな言葉が口をついた。流石に子供っぽい対抗に見えたようで、サガが噴出した。
「シャカが行うのは単純なマッサージではない。あれは触診でもあり治癒でもある。アーユルヴェーダを通して、私の内面や小宇宙も精査し、それらへ干渉して調子を整えてくれる」
「アーユルヴェーダ?」
「インドの方の生命医学、らしい」
言葉は知っているが、シャカと結びつけて考えると途端に怪しく思える。サガは続けた。
「多分、シャカは触診をもって私の内面を探り、サガの不安定要素である私を取り除く方法を見つけたいのであろうよ」
「はあ!?それなのにお前は好きに触らせているのか?」
「気持ちがいいからな」
それを聞いた瞬間、オレはシャカの妨害をすることに決めた。
「今日は愚弟と英雄殿も一緒かね」
黒髪のサガとともに処女宮を訪れたオレ達に向かって、開口一番にシャカが告げた台詞がこれだ。これで喧嘩を売っているわけでも悪意があるわけでもないから性質が悪い。
ちなみに英雄殿というのはアイオロスを指す。来る途中で出逢い、シャカの宮へ行くと言ったら、人馬宮へ戻るのに方向が一緒だからとそのままくっついてきたのだ。ちなみにサガは同行の許可など出していない。
能天気な(白い方のサガはそれを大らかと表現する)アイオロスは、他人から英雄と呼ばれる事に頓着することはないが、明らかに含みのあるシャカからの形容を聞いて『へえ?』と面白そうな顔を見せた。こいつは能天気にみえて、一癖も二癖もあることをオレは知っている。
サガとシャカとアイオロス。この三人の中にいると、オレは自分が一般市民である気がしてならない。
周囲の微妙な空気などおかまいなく、サガは処女宮の内部へ足を踏み入れていった。シャカも慣れているのか黙ってその後を続き、アイオロスは当たり前のようにちゃっかり二人の後ろへついて行った。おい英雄、お前は人馬宮へ戻る途中ではなかったのか。
反応が遅れて少しだけ取り残されていたら、シャカの結界が張られ始めたので、急いでオレも後へ続いた。シャカの結界にハマると、辛気臭い場所をぐるぐると巡る羽目になる。双児宮の迷宮のように。
(……アレ?)
ふとオレはある事に気づいた。唯我独尊な性格以外のサガとシャカの共通点。
技が似ているのだ。むろん、現象として現れる表層効果は全くの別物だが、その原理は同じものを発展させているように思える。例えばシャカの得意技は五感の剥奪だが、サガもまた同じ五感破壊の力を持っていた。敵を他界へと誘う六道輪廻はアナザーディメンションに通じるし、そしてこの迷宮。双児宮のものとはまったく異質でありながら、幻覚を体感させる性質はジェミニの迷宮に幻朧魔皇拳を合わせたようなもの。
偶然にしては揃いすぎだ。だが、それも幼い頃のシャカとサガが互いに学びあい、技を研磨していたというのなら簡単に説明がつく。
(サガとシャカは、オレが思うよりももっと親しいのではないか)
そう気づいたとき、反射的にムっとした。子供っぽい感情だとは思うが、未だにオレは自分でもどうにもならない不条理に縛られている。こういうのをトラウマというのかもしれない。昔と違うのは、そんな己を制御しようと思う理性が働くようになったことくらいだ。
オレはサガが自分以外の何かに目を向けて、離れていくのがとても嫌だ。どうしても思い出してしまうのだ。幼かった聖域時代を経て、スニオン岬に閉じ込められるまでに至る別離の痛みを。
こんな気持ちは単なる空回りだと、滑稽に思う冷静な自分が深呼吸をする。
吸い込んだ空気が鉛のように重く胸の奥へ落ちた。オレは前を進む連中に遅れぬよう足を速めた。
サガが足を運んだ部屋は簡素だった。石造りの床の上に皮毛の絨毯が無造作に敷かれ、その上に人が横たわれるだけの敷布が重ねられている。天井からは薄絹が天蓋のように垂れて、その一角を寝所のように見せていた。
「アラビアンナイトの王様の寝所のようだね」
アイオロスが感心したような声を上げている。どちらかといえば診療所のように見えたオレとは、おそらく感性が合わない。合わなくていいがな。
サガはその敷布の前に立つと、ぱさりと衣服を脱ぎ始めた。
留め金で前を併せているだけの法衣は、簡単に足元へ落ちていく。それほど厚着をしていないサガの身体は見る間にあらわになっていった。
事前にマッサージと聞いていたオレは、サガの行動に予測をつけていたものの、その手が下衣へかかるのを見てさすがに驚いた。前知識の無かったサジタリアスはもっと驚いたのだろう。図太い神経の奴らしからぬ表情を見せ、シャカの方を向いて咎めるような声を出した。
「何をやってるんだ、君たちは」
その間にもサガは全てを脱ぎ捨てて、敷布へとうつ伏せに横たわる。
シャカはアイオロスの問いには答えることなく、黙ったままその横へと腰を下ろした。
ス…と指先がサガの首筋にあてられる。その指先にはきらきらと光る小宇宙が集まっていた。指で光の軌道を描きながら、シャカの指先が首筋をつたい頭部へと移っていく。爪先で何かの凡字を書いているのは判ったが、その文字が何であるかは理解できなかった。光の文字がサガに触れると、サガは簡単に意識を失って眠りについた。
男が全裸で受けるマッサージなんて、オレの連想では性感マッサージくらいしか思い浮かばないが、シャカがしているのは幾らなんでもそれとは別物だろう。そんなことよりも、オレはサガが無防備であることのほうに衝撃を受けた。
シャカといえども、サガの許しなしに意識を奪うような真似ができるとは思わない。つまり、サガは無抵抗な心身をシャカへ預けることを許したのだ。一時的に意識を飛ばしても、いざとなればシャカに対峙出来るという自負のあらわれかもしれない。それでもサガがそんな姿を見せるのはオレにだけだと思っていたのに。
サガが他人の前で眠るなんて。
先ほどのムカムカがぶり返してきた。離れていた十三年の間に、サガは見た目だけでなく変わってしまったのだろうか。だが、ショックを受けたのはオレだけではないようで、隣をみるとアイオロスもまた難しい顔をしている。お前が何のショックを受けると言うんだ。むしろ眼福だろ畜生。
シャカの小宇宙が増大してゆき、それは指先から意識の無いサガの中へ流れ込んでいった。これが例の触診か。相手を眠らせる事によって表層意識を押さえ、無意識界まで潜るつもりに違いない。
治療だろうが何だろうが、他人が目の前で自由にサガの中へ踏み込むなんて、我慢できない。
オレはシャカの手を掴んだ。
「お前、このサガを消すのが目的か」
シャカの顔が、ゆっくりとこちらへ向けられる。
「何故、そう思うのかね」
「サガが言っていた。そのためにサガの内面を探り、黒い意識だけ消す方法を探しているのだろうと」
もしもシャカが頷いたならば、オレはその場でサガを連れ帰ると決めていた。
だが、返って来たのは思いもよらぬ言葉だった。
「私に消して欲しいと願っているのは、サガの方だと思うが」
「え?」
「君にそう言っていたのなら、サガは何故未だに私の元へ通ってくるのかね。己が消える方法を探しにということではないか」
処女宮の主がそういった途端、横でアイオロスの小宇宙が凄まじく鋭利となったのが判った。
飄々としているこいつしか知らない人間が今の小宇宙を感じたら肝をつぶすだろうなと、頭の片隅で思う。石室の中でシャカの言葉だけが響く。
「このサガも、もう一人のサガも、根底では繋がっているのだよ。片方が死を望めば、もう片方も死を思う。もともと野望が破れた時点で、こちらのサガもそれほど強く生き続けようとなどと思ってはいない。今はただ投げやりな自棄があるだけだ。女神に従うほどに」
「それで、何をやってるんだ君とサガは」
アイオロスが低く静かに先ほどの問いを繰り返した。チリチリと肌を刺すような煌く黄金の怒り。怒り方までオレとは違う。だがシャカは怯むことなく、むしろどこか突き放すようにオレ達に返した。
「それは私が問いたいのだがね。何をやっているのだ君らは。彼をこの世に繋ぎとめるために、一体何をしているというのだ」
それを聞いた時、オレはどうしても感情を抑えることが出来なくなった。
「お前に何が判るというんだ!十余年もサガの傍にいながら、ただずっと傍観していただけのお前が!」
くそ、これだって八つ当たりだ。つまらない野望と憎しみにかまけて、何もせずサガを放置していたのはオレ。そんなこと自分が一番よく知っている。それでも怒りの小宇宙が制御できずに噴出して部屋を駆け巡る。横からアイオロスがオレを止めに入った。
「落ち着くんだカノン、君の小宇宙で君もサガも傷つく」
「どうせサガは死にたいんだろ!」
オレを置いて。残される側のことなんて考えてやしないのだ。自分が死んでも代わりのオレがいるから問題ないとか思っているに違いない。
「死にたいのならオレが殺してやるさ!ここにオレというスペアもいるしな!」
「カノン!」
サガは生殺与奪の権利まで、オレではなく他人であるシャカに預けてしまうのか。オレのことはスニオン岬に閉じ込めたのに、オレの方がサガを殺す権利なんて無いってことなのか。オレはその程度の存在なのか。
悔しさで胸が焼けた。オレはサガにとって、置き去り可能な双子座の代理。
「違うよ」
オレを抑えながら、ぽつりとアイオロスが呟いた。
だだ漏れしている小宇宙から感情を読み取ったのだろう。だが、何が違うというのだ。
「ただひとり彼に認められていた君が、そんな事を言うなんて」
サジタリアスの冷えた小宇宙が、結果としてオレの熱を鎮めていく。
「認められていたのは、お前だろ!」
オレは叫んだ。オレからサガを奪っていった聖域。その光の象徴である英雄の射手座。
ずっと二人で生きていこうと最初に言ったのはサガだったのに、聖域へ来てからのオレは、サガにとって護るべき大勢のうちの一人に過ぎなくなって。代わりにサガの目に映るようになったのはこいつ。
「はは…そうだったら良かったのになあ。そうなのかも、しれないけれど」
返すアイオロスの笑みは乾いていた。英雄の瞳に、らしからぬ寂しさが見えた。
「教皇選定のあと、サガはシオン様へこう言ったのだそうだ。『すべてにおいて、わたしの方がアイオロスよりも勝っていると思います』…それについてはそのとおりだと思うから、別に気にはならなかったんだけど」
それは当事のサガの奢りだろうと、今のアイオロスを知るオレは思う。確かにサガは強かったが、全てにおいてというのは言いすぎだ。慢心という一点においても、サガはアイオロスに負けていた。
「だけど、君にはこう言ったそうだね『おまえもこのサガに何かあった時には双子座の聖闘士として』と」
「ああ」
「サガは君のことを自分の代わりに足る男だと思っていたんだ。私は相手にもされていなかったけれど、君だけは同等の相手として見ていたんだよ」
それ知った時はちょっと傷ついたなとアイオロスは小さく笑んだ。
サジタリアスの小宇宙は、さらに冷えていた。相手にされていなかったなんて誤解だと言いかけて、傷ついていたのはオレだけではなかったのだと今更ながら気づく。何も言えなくなって沈黙がその場に下りた。
「やはり、先に治癒が必要なのは君らのようだ」
ふいに、先ほどとは異なる語調でシャカが肩を竦めた。オレの気が落ち着くのを見計らっていたのだろう、手首を掴まれたままそれを振りほどく気配も見せず、先ほどからじっと座ったままでいる。
「サガも馬鹿だと思っていたのだが、君らはそれを上回る大馬鹿のようだ」
アイオロスが目を丸くしてから、尖っていた小宇宙を鎮めた。
「…もしかして、わざと私達を煽って試したのか?」
「そちらの愚弟はともかく、次期教皇までがひっかかるとは問題だ」
「何だと、オレはともかくというのは、どういう意味だ!」
試しだろうがなんだろうが、こいつへの怒りまでが収まったわけではない。殴り倒してやろうと、掴んでいた手を引き寄せたら、シャカが瞼を開いてオレを見た。湖のように静かに澄んだ水色の瞳が覗く。
「このシャカが、どちらであれサガの消滅を願うなどと思われようとは」
シャカの言葉にも密やかな怒りが含まれていた。
「こちらのサガは、自身の消去法があるのならそれも良いと私に任せるつもりだったようだが…そんな勝手な期待ははなはだ迷惑だとは思わんかね。仮にそんな方法がみつかったとして、君らに恨まれるのは私だというのに」
あまり感情を表に出す事の無いシャカが、珍しく苦虫を噛み潰したような表情を見せる。
「教皇でもない男の期待に沿うつもりはない。私が行っていたのは、単に白のサガが失われている分の小宇宙の補強と安定化」
だが、彼が目を開いたのも表情を見せたのも一瞬だけで、すぐにその瞳は閉ざされた。
「サガの心が本当に必要とする補強者は君達であるというのに、君達ときたらサガ以上に傷ついていて、ものの役にもたたんときている」
言い方はともかく、シャカはシャカなりにサガやオレ達を案じているらしい。
この男もまた不器用なのだと気づいて、オレは無性に馬鹿馬鹿しくなった。
「ああ、くそ…まったく、サガの奴が全部悪い」
行き場を失った怒りに、思わずそう呟いた。本気でそう思う。サガが悪い。
「全くだ」
珍しくアイオロスも同意してきた。どちらともなく顔を見合わせて二人で苦笑する。こんなに周囲を振り回して、それでも想わせるサガ。どれだけ迷惑な奴なんだ。
「こんな酷い奴、そういないぞ」
「確かにね」
「一人で何でも勝手に決めて、周囲の気持ちなんざ考えやしない」
「うんうん」
「行動力だけはあるから迷惑なんだよ」
「カノンに言われたくは無いだろうが、それも否定できないなあ」
「それは悪かったな」
盛り上がっていたら、思わぬところから応えがあった。オレとアイオロスは、弾かれたように声のするほうを見た。シャカですら驚いて小宇宙を揺らしている。
三人の見ている前で、意識を失って伏せているはずのサガが、ゆっくりと顔をあげてこちらを向いた。
「耳元でそのように騒がれては、落ち着いて横になっていることも出来ん」
呆れたような台詞と裏腹に、サガは紅い目を僅かに伏せていた。どこから聞いていたのだろう。ていうか寝ていたんじゃないのか?もしや眠りに落ちたのは肉体だけで、精神は変わらずに目覚めていたってことか?
シャカも驚いたということは、彼にすら悟られぬよう精神をうまく眠りの擬態で保っていたということだ。
やはり、こちらのサガの性格からして、いくらなんでも完全無防備で誰かを受け入れるなんてのは、ありえなかったのだ。ゲンキンに安堵した半面、シャカをも欺けるその技量に舌を巻く。シャカも敵ではない相手に大したチェックをしていなかったんだろうが、真実を見抜く乙女座の目を誤魔化せる力は、オレからしたら人を超えた域だ。
いや、そんなことよりも、さっきのオレの台詞を全部聞かれていたとしたら、恥ずかしすぎる。
なんとも言えない気詰まりな空間を破ったのは、良くも悪くもザイール並みの神経をもつアイオロスの一言だった。
「起き上がるのなら布か何かで隠してくれると嬉しいな。そのままサービスしてくれるというのなら、それはそれで嬉しいけど」
「………」「………」「………」
アイオロス以外が全員無言になる。サガは全裸だが、この状況でそんなことを先に気にするアイオロスは最強の次期教皇だ。
そういえば、とオレも気づく。
「サガ、そもそも何で全裸なんだよ。シャカの施術は見せてもらったが、別に全部脱ぐ必要はないんじゃないか?」
「…普段はマッサージもあるゆえ、この方が都合が良いのだ」
ぼそりとサガが答えた。いやいや、下着があると不都合なマッサージなんてシャカはしないだろ。
「直ぐ服を着ろ。そして、今後は普通にマッサージを受けてくれ」
「私もカノンに賛同だな」
こんなところでこいつと気が合っても嬉しくないが、これについては協力して押し通す。
サガはオレとアイオロスの顔を交互に見て「お前達もシャカのアーユルヴェーダを受けて行くがいい」とだけ告げた。やはり全部聞こえていたに違いない。顔から火が出るようだ。
「アーユルヴェーダってどんなの?サガと同じのをやってみたいな」
なのに、やぱり神経がワイヤーにしか思えないアイオロスは、平気でそんな事を聞き返している。そして、アイオロスと同じく神経が鋼線で出来ているシャカは平然と説明した。
「ふむ、よくサガに行っているのは、仰向けに横たわりながら眉間のチャクラに香油を垂らすという施術で、これは深いリラクゼーションの効果がある」
あ。サガの身体に染み付いていた香油の匂いはそれか。
アイオロスはといえば、物凄く怪しいものをみる目つきになった。
「ええっ、それ拷問じゃないの?中国の」
「オレも聞いた事がある。確か額に液体を垂らし続けるとかいう拷問だったよな」
「失敬な。これにはシローダーラーというれっきとした治癒法なのだよ!」
サガは黙々と服を着ている。こいつが人の言う事を素直に聞き入れるなんて珍しい。胸元まできっちりと留め金をかけおえてから、サガは静かに立ち上がった。そして同じくらい静かに言葉を紡いだ。
「すまなかった」
あまりの不意打ちに、黄金聖闘士の中でも最強を争うと思われる三人がぽかんと固まる。
その合間に、サガは踵を返しその場から去ってしまった。
「…こっちのサガが謝るところをはじめて見たぞ」
「私もだ、カノン」
「明日は雪でも降るのではないかね」
ようやく硬直から解けたのはサガが立ち去ってから大分経ってからのことだ。
過去の反乱を反省しない傲岸不遜なあのサガも、蘇生後は彼なりに周囲の言葉へ耳を傾けようとしているのだと初めて気づく。サガは、変わろうとしている。
アイオロスがいつものふてぶてしい小宇宙で、にこりとシャカへ返した。
「大雪で聖域が埋もれてもいいさ。これでサガが消えたいなんて思うのを止めてくれるのなら」
それには同意だが、一応突っ込んでおく。
「次期教皇がそんなこと言って良いのかよ」
「折角女神が生き返らせて下さった聖闘士の幸せを願い、導くのも次期教皇の仕事だろう?」
「そういう仕事は、身内のオレに任せておけ」
言い合うオレたちを、シャカがやれやれといった感で眺めている。
本当に雪が降ればいい。そしてその後に全てを溶かして春が来ればいい。
そんなことをオレは思った。
(2007/12/3)