アクマイザー

幻想ゲゼルシャフト


「えええええ!ホントなのかサガ!」
陽もまだ高からぬ朝食タイムの双児宮に、星矢の声が響き渡る。目の前には、それがどうしたという顔の黒サガが、香り高いブラックの珈琲で満たしたヘレンドのモカカップへ優雅に口をつけていた。
目を丸くしたペガサスの少年は、身を乗り出してもう一度確認した。
「聖域から出たことがないって、マジ?」


星矢は、先日とりつけたサガとの外出の約束を実行すべく、聖域へ押しかけていた。前回の訪問からあまり日を置いていないのは、気まぐれそうなこのサガが前言をひるがえさないうちにという危惧感もあるが、基本的にこの少年がせっかちな性分であるせいだ。
一応、サガを聖域外へ出すことへの許可は取ってきている。シオンなどは、何かあったときに星矢だけではサガを押さえられん…と渋い顔をしていたけれども、女神が星矢の実力と今のサガの安全性を保証し(何の根拠もなくだが)、また自分の意識の届きやすいギリシア国内でなら大丈夫でしょうと助け舟を出してくれたのだ。

朝から押しかけた星矢に、既に起きて身支度を整えていたサガは、意外と迷惑そうな顔もせず朝食を一緒にとるようにすすめた。星矢は椅子に腰掛けると、籠に入った丸パンを行儀悪く口に咥え、さらに行儀悪く食べながら近隣ガイドを勝手にテーブルへ広げる。そうして、どこへ行きたいかという希望をサガへ聞いたのだった。
サガは、クロワッサンを丁寧に端からちぎって口に運びつつ、何でもない顔で『聖域の外へ出たことなどないゆえ、何処でも良い』と答えた。



「私が独立した人格として、表へ現れることが出来るようになったのは聖域でだ。教皇は基本的に外へ出ることなどないし、周辺村への慰問にはもう一人の私が出た。長時間人前へ出る必要のある折には、髪の色で判ってしまうのでな…短い間であればアレの姿のまま意識を奪うことも可能だったが」
「うわあ…白サガも箱入りだと思っていたけど、さらに上がいた…」
「サガの目を通して外を見たことならばあるが、アレも教皇の間から下へと降りることはあまりなかった」
淡々と答える黒サガに、さすがの星矢も絶句している。
「それでも特に不都合を感じたことはない。世界中に散っている白銀聖闘士や下部組織の者達から情報は集まってきたし、他界の闘士どもが動いた時には、星見や小宇宙の変化で感知することが可能であった」
「………サガって」
どうりで簡単に世界征服とか思いつくわけだ。という言葉をパンとともに飲み込む。
このサガには、知識や概念や他界との外交戦略上の世界は山ほどあっても、実際に人の営む世俗との接点は随分と狭いのだ。ほとんどないと言っても良い。
聖域の中でその存在を否定され、隠されていたのはカノンだけではなかった。このサガもまた、ある意味ではその存在を否定され隠されてきたのだ。
カノンにはそれでもまだサガがいて、サガが兄としてその名を呼んだ。しかし、黒サガには誰も居ない。教皇であるシオンを殺し聖域を掌握するまでは、半身であるもう一人のサガ自身しか彼を認める者はいなかったのだ。世界は全て、純化した白サガを通して黒サガには感じられていた。その歪んだ世界はどれほど狭く美しく、そして醜く見えたことだろう。

ふいに、星矢は誰よりも強くて子供な、この年上の青年を抱きしめたいと感じた。
けれども、そんな事をしたら即座に鬱陶しいとばかりアナザーディメンションを使われるという判断力もあったので、冷静に別件での疑問を口にして言葉を誤魔化した。

「…サガって、じゃあもしかして、外出用の普通の服を持ってないとか?」
「聖域支給の日常服のことか」
「あれは訓練服と兼用の聖域生活服!いわばジャージみたいなもんだから!」
「普段はこのローブで過ごしているし、必要の無いものは持たぬ主義だ」
あちゃーと星矢が顔を抑える。
「沙織さんに、サガのスーツ作ってくれって頼んどくよ。でも、今日はとりあえず誰かから服を借りて何とかするしかないよな。あ、サイズが一緒のカノンがいるじゃん。カノンに借りよう」
サガが何かを言う間もなく、星矢はさっさと立ち上がり、未だ寝ているカノンの部屋へ乱入しようと歩き出している。寝室へと向かう廊下の前で、星矢はふと思い立ったように足を止めて振り返ると、自信タップリにこう宣言した。

「俺がサガに、本当の世界を見せてやるからさ」
あっけに取られているサガを残し、星矢は今度こそ廊下の向こうへ消えていった。


(END)



〜余談のカノン部屋〜

「とまあ、そういうわけで、服を貸してあげてくれよカノン」
「このガキ…」
いきなり星矢に叩き起こされて不機嫌そうな顔をしていたカノンだったが、それでも話を聞くと起き上がって、のろのろとクローゼットと箪笥をあさってくれている。
ブランドものと思われる品揃えの中から比較的シンプルなデザインを探し、柔らかい色合いのライトグレーのシルクシャツを選ぶと、それに合わせたボトムスとジャケットを投げてよこした。
それだけでなく、時計や靴まで貸してくれるらしい。
「カノンが留守じゃなくて助かったな〜」
「髪はまとめろ。銀髪の時はいいが、黒髪ではこの服だとちょっと重く見える」
着用する本人の意向を無視して、テキパキと見立てが行われていく。
後から部屋へやってきた黒サガは、珍しくバツの悪そうな様子でいた。それでも星矢を介してカノンが選んだ服を受け取り、その場でローブをばさりと脱ぎ捨ててシャツへと着替えていく。例によって羞恥心のない脱ぎっぷりに、カノンは遠い目になったが、全裸をかまされたことのある星矢はその程度では全く気にせず、素直に洋服姿のサガへ感動の声をあげた。
「うわ、なんか新鮮だよ、洋服のサガって!」
思ったことをすぐに口にする少年の隣で、カノンもまた「へぇ」と小さく感嘆の声をあげる。
すらりとした長身に、柔らかく肩から零れ落ちる漆黒の髪。普段はローブで隠されている身体のラインが、細めのスーツで一層しなやかに見える。洋服に着替えても無駄に溢れる威厳オーラのため「一般人」には見えないというのが難点だったが、法衣のサガを見慣れた目には、このいでたちは新鮮だった。
カノンは後ろへまわると、髪をブラシでまとめ、高めの位置で縛り整えてやった。

星矢がくると、この兄が反逆者でも聖闘士でもない普通の人間に戻ってくるようで、カノンは胸のうちで少しだけ、この生意気な小僧に感謝してもいいかなと呟いたのだった。


(2006/9/24)


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