アクマイザー

救済の凍土


「久しぶりだなサガ。13年前のあの日ぶりかな?」

教皇の間から続いている十二宮階段の途中で、麿羯宮から降りてくる黒サガを見たアイオロスは、自分を殺した相手に対するものとしては不似合いなほどの笑顔を向けた。

彼はサガの復活を聞いて以来、第二人格であるという黒髪の男と話す機会を探していたが、弟のアイオリアや旧知の黄金仲間たちと久闊を叙したり、不在中の聖域の出来事を把握するのに忙しく、またサガの側が巧妙に避けていたこともあって、顔を合わせることなく日だけが過ぎていた。
今日は珍しくアイオロスの滞在時にサガがシオンに呼ばれ、人馬宮を上へ抜けていったので、丁度良いとばかりに降りてくる時間を狙って待っていたのだった。

黒サガは眉一つ動かさず、来た時と同じように、射手座の存在をきれいに無視して横を通り過ぎようとした。しかし、アイオロスは先んじて上手く行路をふさぎ、階段の上位置にいる紅い瞳のジェミニを見上げる。

「あの時は話す余裕なんてなかったし、はじめましてと言った方がいいか」
照りつけるギリシアの太陽の下、きらめく黄金聖衣が目に眩しい。
同じように聖衣をまとったゴールドセイント同士でも、太陽の化身のごとく輝く翼を背負ったアイオロスに対し、覇王の人格を持つ双子座の男は、その光を打ち消すかのように強い闇を漂わせていた。
彼はアイオロスからの挨拶の言葉にも反応せず、視線を合わせようともしない。
それでも確かに、その容貌と小宇宙はアイオロスの知るサガであることを示していた。
アイオロスは、相手の非友好的態度に臆することなく言葉を続けた。

「多分、オレの知っているサガが戻ったら、こんな風に会おうとしなくても、真っ先に自分から頭を下げに来ると思うんだ。その代わり、貰えるのは涙と謝罪と感謝だけで、頼んでも君には会わせてくれないような気はするけど」
かつての親友と同じ存在である目の前の男へ、愚痴を零すかのように苦笑する。

「かつての聖域での君は、太陽に向かう月と同じで、いつも満月に見えていた。太陽からは月の裏側は決して見えなかった。オレはずっと、その光り輝く満月がジェミニという男だと思っていたんだが、それはサガの半分だけで、もう半分である君の事を決して見せてもらえる事は無かったんだよね。しかもオレの知らない双子の弟くんまでいたし。全部を明かして欲しいとは思わないけど、隠しすぎだと少しは怒っていいかなあ。気づかなかったオレもオレで謝らないといけない事が多いんだけどね…」
溜まっていた想いを込めて一息に語り、視線に力を込めて一拍おく。


そして一閃、何の前動作もなしに、アイオロスは光速拳をサガの顔面へ放った。


小宇宙の高まりを気取らせず、残像もなく、聖闘士の動体視力ですらキラリと手元が光ったようにしか見えないその拳は、当たったと思われた瞬間、対象を失って空を切る。
瞬時に移動した気配を追って視線を移すと、サガはふわりと髪をなびかせ、十段ほど上へ重力を感じさせない軽やかさで着地していた。拳に劣らぬ光速による身躱しで、風に広がったマントがパサリと双子座聖衣の背に落ちる。
サガの頬は、拳が掠めたためか、僅かに赤みを帯びていた。
その様子に、アイオロスはにこりとしたものの、戦闘態勢を解くことなく相手を見あげた。

「君に会えて嬉しい。サガに会ったら、君に負けて女神に叛いたこと、一発殴ろうと思ってたんだけど、君のほうなら本気で殴れるからな」
そうして、笑みを湛えたまま、瞳の表情を変える。
「オレの知っているサガを返してくれ」

それに対し、サガは乱れて聖衣にかかった黒髪をけだるげに払うと、初めてアイオロスに対して言葉を発した。
「…貴様の本気とはこの程度か、サジタリアス」
突然拳を向けられた事には怒るでもなく、ゆったりとした口調の裏で、静かに殺気が放たれ始める。応えたものの、彼はアイオロスを名で呼ぼうとさえしなかった。

「あの時、お前は私を殴るどころか、拳を交えることさえしなかった。青銅のペガサスにすら出来たことが、お前には出来なかった。女神をつれて逃げただけの腰抜けが、今になって何を言うのやら」
ゆるやかに、嘲笑の笑みで返し、強大な小宇宙で石造りの階段を埋めつくす。
溢れた小宇宙が、さらに外へと広がっていった。
張り詰めた空気の中、アイオロスの脳裏には『サガにもあんな笑い方が出来るんだ』などと場違いな感想が浮かんでいた。
それでも表面では断固とした口調で揶揄を受け流し、負けずに切り返した。

「君だって、女神を無力呼ばわりして覇権を奪おうとしておいて、青銅に倒されたんだろう。痛い目見て、ちょっとは女神の力を見直した?」
オレたち、女神の力に従ってるわけじゃないけどね、と付け足して首をかしげる。
「他の神ならいざ知らず、サガがアテナを殺せるわけない。どうしてあんな無茶をした。君の中にあった邪神の意思がそうさせたのか」
アイオロスの言葉に、黒いサガはどうでも良いことのように鼻を鳴らす。
「フン…あのようなものに本心から従ったりはしない。私の邪魔をし、影響を与えることが出来るのは、もうひとりの私だけだ」
「では、何故」
「あの娘では、地上を守れないと思ったからだ」
言いよるアイオロスから、黒サガは鬱陶しそうにまた視線を外した。
13年間、もうひとりの自分が泣きながら魂で叫び続けた贖罪の相手が目の前に居る。
再び殺してしまいたいほどの憎悪を覚えながら、この場にもう1人の自分がいないことを、心から安堵してもいた。この男を『私』に会わせたくはなかった。
アイオロスが自分を変えてしまうことを、黒サガは昔から必要以上に危惧していたし、内面に踏み込んで真実を射抜く鋭さを苦手にもしていた。

そんな相手の様子に気づくことなく、アイオロスは階段を昇っていった。
「サガは人の生きるこの世界を誰よりも愛していた…君もそう?女神に反旗を翻すほどに?」
引こうともせず見下ろしてくるサガへ、また一段足を進める。
「もうひとりの君は、あれで不器用で、好きなものに対しては気持ちが一途というか、盲目なところがあったけど…そういうところは、同じなのかなあ」
目の前の男は自分の知る親友のサガではない。知らないサガが、知らない表情を自分へ向ける。そのことが悔しくて、歯を噛み締める。

「あの時、君に拳を向けなかったのは、腕の中に赤子の女神を抱いていて、おまけにサガが泣いていたからだ。君は大勢の人を泣かせすぎた。だから、友達としては、ちょっと殴っておきたいなーとか思っているんだが、受けてくれるな?」
アイオロスは、遊びに誘うように目の前のサガへ宣戦布告した。
「君が何者なのかを知りたいし、千日戦争がてら、質問にゆっくり付き合ってもらおう」


しかし、小宇宙を高めつつサガへ伸ばされようとした指先は、その場に現れた第三者の手によって、そっと上から押さえられ、阻まれた。
その男はそのままサガを背に庇うように間に割って入り、アイオロスの前に立った。
アイオロスは目をぱちくりとさせて、乱入してきた男へ抗議した。
「シュラ、邪魔をしないでくれないか」
「…すまん。だが、私闘は禁じられている」
サガはと見ると、シュラと対峙しているこちらを一瞥して、仲裁に礼を言うでもなく、邪魔を怒るでもなく、何事もなかったように小宇宙を沈めてから、ふいと身を翻して階段を戻っていった。追おうとするアイオロスをさらにシュラが制し、どこか困ったような顔をしている。
シュラは、無骨に見えて、意外と心配りが細やかだ。
二人の小宇宙を隣の麿羯宮から察知して、心配して様子を見に来たのだろう。
礼儀正しい彼は、アイオロスが当時の年齢のままの若い身体で蘇生したにも関わらず、昔どおり彼を先輩としてたてて接している。
しかし今、遠慮がちな表情を浮かべながらも、シュラは引こうとはしなかった。

「貴方と彼が戦うことによる、周囲への影響を考えて欲しい。それに、これは俺の我侭になるが、貴方とサガが戦うのを、見たくはない」
生真面目な山羊座に青年の顔でたしなめられ、アイオロスはポリポリと頭をかいた。
シュラだけでなく、自分の覚えている黄金聖闘士たちは、13年前の面影はあるものの、すっかり大人になっていて、時折戸惑わされることがある。
「えーと、私闘でなくて、手合わせのつもりだったんだけど」
未練がましくサガの消えた方向を見る年下の先輩に、シュラは溜息をつくと、念を押すように言を諭した。
「明日は普通に通してあげてください」
「うーん、約束は出来ないな。しかし明日というのは?サガは道を戻っていってしまったようだけれど、どこへ行くつもりなんだろう」
「おそらく、俺の宮に上がりこんで休んでいる筈です…双魚宮に行くには、カミュのところを越える必要があるので、その手間はとらないかと。あの人は一度休むと動こうとしないから、移動は明日になるでしょう」

何気ないその言葉に、アイオロスは一瞬、血が凍った。
昔のシュラは、どちらかというと直接攻撃系であるアイオロスとの訓練が多く、サガにも懐いてはいたものの、それほど近しい仲であるとは思っていなかった。
「ええと…、そんなにサガと仲良かったっけ」
「十三年間の付き合いですから」
また胸が痛む。そういえば、先ほどシュラはサガの方を背に庇った。

シュラはアイオロスに対して、エクスカリバーを向けた負い目と苦悔からか、蘇生後は決して拳を交わそうとはしなかった。冗談でアイオロスが必殺技を仕掛けたら、避けもせずに無抵抗に受けようとしたので、慌てて寸止めした覚えがある。
今回も身体で受けるつもりだったのかと、今度はアイオロスの方が溜息をついた。
シュラは、白いサガのことも、黒い彼のことも、受け入れているのだろうか。
そしてサガのほうは?
自分の知らない年月の絆を知ることが痛いのは何故か、アイオロスには判らなかった。


「明日は人馬宮を空けておくので、安心して通るように伝えてくれ。心配をかけたな」
何か言いたそうにしているシュラへ詫びを残して、アイオロスは階段を駆け降りた。
サガのいる麿羯宮とは反対の自分の宮へ。
 
泣きそうだった。
あんなサガは知らない。昔のサガに会いたい。アイオロスは強くそう願った。

(2006/9/22)


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