アクマイザー

太陽を運ぶ少年


今日も強い日差しがオリーブの葉を照りつけている。ギリシア建築独特の守護宮の白い壁と、青い空のコントラストが見事だなと思いながら、星矢は軽やかな足取りで双児宮へ足を踏み入れた。
「こんちはー!お邪魔するぜ!」
入り口から柱の奥を覗くと、以前来た時と違って迷宮になっていない。
これは入っても良いのだとばかりに、居住区と思われる方向へ足を向けた。

今回、星矢は女神のお供当番として聖域に来ている。
沙織から、ゴールドセイント復活の話を聞いた星矢は、真っ先にサガのところへ行こうと考えた。が、残念なことに双子の片割れのカノンのほうは、海界に仕事で出ているらしい。
そっくりさんが並んだところを見たかったのにと悔しがる星矢へ、隣にいたシオンが呆れたような目を向けた。一応、教皇にもサガに会う許可をとっておくべきなのかなと尋ねたら『聖闘士間の交流に、このシオンの認可など一々必要ないわ』と一喝されたので、こうして堂々と遊びに来たというわけだ。

あまり話したことはないが、星矢はサガのことが大好きだった。
十二宮ではラスボスとしての彼と対峙したが、会って早々泣いているわ、髪色とともに人格変化するわ、全裸になるわ半殺しにされるわで、衝撃的すぎてあまり敵対意識が沸くひまもなかったのだ。
その後のハーデスとの戦いのときに、冥衣を着て蘇った彼を見て、何故か胸が苦しくなった。
涙を流さず、彼はまた哭いていたから。
それ以来、星矢にとってサガの印象は「涙する人」となっていた。
そして、あんなに美しい涙をもつ人が悪い人であるわけがないと単純に考えていた。

扉らしきものを発見できたので、星矢は形式的にノックだけして部屋の中を覗いた。黄金聖闘士であれば、小宇宙で守護宮に来客があることくらい、簡単に把握する。ただ、気づいたのなら、出迎えや入室指示などの反応があっても良さそうなのに、念話による応対すらない。
星矢もまた青銅ながら、双児宮の守護者の気配を小宇宙で感じ取っており、不在ではない事はわかっている。留守でも無いのに何でだろうと中を確認すると、客用と思われるソファーに横たわるサガがいた。
こちらへと向けられた視線はルビーのように紅く、床にまで豊かに流れ落ちる髪はオニキスの黒。
予想外の出来事に思考が止まる。

「げーーーーーー!?」
「…人の守護宮へ押しかけておいて、挨拶だな小僧」
「だだだ、だって、アンタだとは、聞いてないし!」
沙織さんは全員生き返ったとは言っていたが、黒サガのことは何も触れていなかったのだ。聞いたら教えてくれたのかもしれないが、知らなければ聞けるわけもない。
あんぐりと口を開けている星矢に、ただでさえ不愉快そうなサガの眉間の縦筋がひとつ増える。対戦時にさんざん痛めつけられた事を思い出し、これ以上機嫌を損ねてはマズイと判断した星矢は、手土産に持っていた小さな包みを、サガの前のテーブルに置いた。
「あ、これ日本の和菓子なんだけどオミヤゲ。沙織さ…アテナのとこからパクって来たんだけど」
包装紙からして高級そうな包みではあるが、無論、星矢にはその価値が判ってはいない。礼儀知らずの闖入者を一瞥したサガは、ソファーから睨むように見上げていたが、仕方なさそうに立ち上がり、奥へ行ったかと思うと、暫くしてティーカップをトレイに乗せて戻ってきた。
恐ろしい威圧感だが、星矢の前に黙ってそれを置いたところをみると、追い出すつもりはないらしい。サガは土産の包みもその場であけると、向かいの椅子に座るよう視線で星矢に命じた。
危害をくわえられる恐れは無さそうだと見てとると、少年は順応性が高い。この機を逃さないとばかりに、途端にあれこれ話し始めた。

「なあなあ、どうやって髪の毛の色変えてるんだ?」
「自分の意思で変えているわけではない」
「いつもの銀髪のほうのサガは寝てるのか?」
「…今は不在だ」
「ああ!?何だこれ、紅茶じゃなくてコーヒーじゃん、しかもインスタント!何でティーカップに!」
「……何か問題があるか。それで何の用だ」
「遊びに来たかったんだ(キッパリ)」
「………」
星矢の方は、サファリパークのライオンエリアに車無しで単身乗り込んでいるワクドキ気分でいるが、サガの方は異様に人懐こい子犬に乱入された気分で眩暈を起こしている。
途中から次第に一方的に話をしている状況になったのには気づかず、星矢はいろんな事を夢中で語った。兄弟たちのこと、日本のこと、苦しかった聖戦のこと、女神のこと。そして、自分の持ってきた和菓子をパクリと口にして、結構美味いなと喜んでいる。
「サガも食べろよ」
ニコニコと機嫌よく和菓子を差し出す星矢を、宇宙人でもみるような目つきでサガは見た。
食べないと手を引っ込めそうにない事を悟ったのか、長く整った指でそれを受け取ると、黙ってそれを口に含む。女神御用達だけあって、味は悪くなかった。
白サガと違い、黒サガは子供の相手が得意ではない。子供が好きなわけでもない。ただ、何の含みも無い単純な好意というのは黒サガにとっては不思議な心地がした。
黒サガは、己に対する人間の感情として、畏怖・嫌悪・軽蔑や追従のようなものしか受けたことがなかった。たまに好意を向けられても、そこには必ず何かしらの澱みと捩れが籠められていた。女神の感情はまた別格だが、女神は彼の中で人の範疇に入っていなかった。

「お前はわたしが恐ろしくはないのか」
コーヒーを飲んで星矢の弾丸トークが一息ついた合間に、サガは低く言葉を挟む。
「めちゃめちゃ怖いんだけど。最初に戦った時なんてスゲー形相で、鬼かと思ったぜ」
思い出したのかぶるぶるしている星矢に、初めてサガは可笑しさから吹き出した。そして星矢の顔を覗き込む。
「わたしが鬼であれば、お前をとって食らうだろうな」
星が天から堕ちるような誘惑の笑みも、天馬の純粋さの前には通用しない。おそらく、全力で悪を吹き込もうとも、この少年の正義は輝きを失わないに違いない。
そう思うと同時に、抑えていた内面の闇が、濃い瘴気の小宇宙となって身体から溢れ出た。
外縁には恒星の輝きを見せながら、中心には銀河鉄道の夜における石炭袋のような深淵。
星矢が目を丸くして反応する。
「うわ、サガ、怒ったのか?鬼から邪神にパワーアップした感じになってるけど」
「いや、お前を信用しただけだ。…お前と居ると、くつろげる」
言っていることの因果関係は良くわからなかったが、星矢はそんなものかと納得した。敵意がないことは理解していたので、気にせず会話を続けることにする。
「なーなー、さっきの笑った顔、サガに似てたよ」
「わたしもサガなのだが」
「いや、そうなんだけどさー。サガみたいに美人だった」
この場にカノンが居たら、やはりこいつは城戸のじじいの血を引く子供だと悪態をついたろう。
「アレを褒めてくれる事は礼を言う…そういえばお前にはまだ、別件でも礼を言っていなかった。」
「礼を言われるような覚え、無いんだけど?」
不思議そうな顔をする星矢に、サガは真っ直ぐ顔を見据える。

「わたしの野望を打ち砕いた件は癪に障るが、アレを救ってくれたことは、感謝する。この身に埋め込まれたクロノスの意思を払うことも、盾の力なしには出来なかった。」

星矢はちょっと言葉を失い、それから照れたように鼻の頭をかく。
「女神のセイントとして、当たり前のことをしただけだぜ」
へへっと笑ってよこしたウインクが、少年らしく決まっていた。


その後も星矢はさんざんしゃべり倒し、陽が傾き始めた頃になって、ようやく満足すると、女神の居る上宮へと帰っていったのだった。
次は聖域の外へ一緒に遊びに行くという約束を無理やりとりつけて。


END

*** −オマケで帰路の巨蟹宮− ***

「デスマスクー、上に帰るから、ちょっと通らせてくれよな」
「おう、ブロンズのガキじゃねーか。どこに遊びに行ってたんだ」
「サガんとこ」
「ハア?サガって、隣のサガか?」
「うん、珈琲いれてもらって一緒に話を…」
「まてまてまて、黒い方だろ!?アイツが人に茶を出すなんて聞いたことねーぞ!」
「茶じゃなくて珈琲だよ。和菓子も食べて和んでたよ」
「嘘だろ、アイツ辛党だから、甘いもの食わねーよ」
「それで、今度一緒に街に遊びに行くことになった」
「あ、ありえねー…」
ナニモンだお前というデスマスクの驚嘆を背に、星矢はさくさく次の宮へ向かう。
巨蟹宮発の噂はまたたくまに聖域に広がり、星矢が最強の猛獣調教師として、影で畏敬の念を受けることになるのはしばらく後の話。

(2006/9/13)


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