アクマイザー

聖域のカリギュラ


濃紺の法衣を身にまとい、黒髪のサガは十二宮の階段を登っていた。地面に引きずりそうな飾り帯を足に絡ませることもなく、なめらかに捌いていく。
偽教皇の身から元の黄金聖闘士の地位へと落ち着いた今、女神やシオンからの呼び出しがあった場合には、否応なく双児宮より上の宮全てを徒歩によって通り抜けねばならない。
面倒が嫌いなこちらのサガにとって、教皇宮への登庁などはテレポートや時空転移で済ませてしまいたいところだが、女神の小宇宙によってそれは阻まれる仕組みとなっている。たとえ正攻法でない手段により可能となったとしても、危機管理上それを故意に試してはならないというのが聖域の鉄則だ。
どうせならばハーデス城のように、敵の力を削ぐ結界も張ってくれれば良いものをとデスマスクなどは言っている。しかし、正々堂々をよしとする女神は、その内部においてフェアな戦闘が行われなくなるような結界を展開したりはしないだろう。そもそも可能であれば、戦闘自体を行えぬ特殊結界を組めばいちばん平和で良いのだろうが、戦神の小宇宙にそれを求めるのは無理というものだった。

危なげない足取りで石階段を進んでいた彼は、獅子宮の前でその歩みを止めた。入り口奥から黒サガを睨むアイオリアが視界に入ったためだ。彼が黒サガに隠そうともしない反発を見せるのは、蘇生後の常だ。
小宇宙の気配など察知できない鈍感な一般人であったとしても、これだけ強い敵意の篭る視線では気づかざるを得ないだろう。闇の双子座はほんの僅かな笑みを浮かべた。
それでも特に宮の主へ声をかけることもなく、その横を通り抜けようとする。途端、ピシリという音と共に黒サガの周囲の石段が砕け飛んだ。それはアイオリアによる黒サガへの威嚇というよりは、押さえきれぬ苛立ちの発露による八つ当たり的な光速拳だ。自分を狙ったものではないと最初から気づいていた黒サガは、防御壁を張って軽く衝撃波を受け流した。
普段であればそのまま歩き去るところを、気まぐれに振り向いてその視線に紅いまなざしを合せてみる。アイオリアの真っ直ぐな瞳が噛み付くように彼を貫いてきた。ゾクリと黒サガの内部を歓喜が走った。

「…獅子宮の主は、寛容の精神がないようだな。同じ聖域を守る黄金同士だというのに」
アイオリアの苛立ちの理由を知りながら、さらにその心を逆撫でるために言葉を紡ぐ。
十三年間、不安定な獅子は黒サガの格好の獲物であり気晴らしの玩具だった。逆に言えば兄を殺され逆賊の弟として成長期を歪められたアイオリアは、黒サガの1番の被害者である。
女神がサガを許し、黄金聖闘士として受け入れたからといって、アイオリアは簡単に気持ちを切り替ることなど出来はしない。しかもこの黒いサガは、過去の行為に対して今のところ何の反省も無いようにみえる。
「俺はお前を双子座とは認めてはいない。…もうひとりのサガならともかく」
「それで?」
「黄金聖闘士というのであれば、何故アテナを裏切ったのだ。何故兄さんを殺したんだ。何故今になって女神に恭順の意思を見せるのだ!」
「…質問の多い奴だな。そんな事を聞いてどうする」
もとよりまともに応える気など無い黒サガは、アイオリアの問いにも目を細めただけだった。この黄金の獅子に自分の魂を裂く混沌の理念を説明できるとも思えない。
そんな黒サガに、実直なアイオリアは、素直な憤りのままに怒りを叩き付けた。
「お前がまともにアテナに忠誠を向けているとは到底思えん。回答如何によっては、この場でお前を倒す!」
隠すことなく真っ直ぐに憎悪をぶつけてくるこの相手を、覇者の魂をもつ黒のサガは気に入っていた。
サガが二つの心を併せ持っていたように、アイオリアは苛烈なまでの正義感の裏で、世界への憎悪を密かに隠し持っていた。理不尽な逆境が育んだほんの僅かな歪みではあるが、黒サガはそれに目をつけ、傷口を広げ続けてきた。それだけでなく、獅子の怒りや悲しみを憎しみへ変質させようと試み、その結果生み出されるアイオリアの昏い感情を快い音楽であるかのように愛でてきたのだった。
今もまた彼は長年の習慣のままにアイオリアに対峙した。
「わたしを倒す…かつてわたしの光速拳を見切ることも出来なかったお前が?」
「あの時とは違う。サガの技は何度も見た。俺にはもう通用しない」
「…そうかもしれないな。また技を仕掛けるのであれば」
黒サガがゆっくりと微笑む。そうしてそれは次第に憐憫を含んだ嘲笑へと変わった。
「催眠において、被暗示性は重なるごとに強まるという事を、知っているか」
「何のことだ」
咆哮を思わせるアイオリアの低い唸りに怯むことなく、黒サガは歌うように命じた。

「わたしに跪け」

「何を…」
次の瞬間アイオリアの表情は驚愕で固まった。自分の意思に反して身体の力が抜け、崩れ落ちるように目の前の男へ膝をついている。せめて睨みつけようとした瞳は伏せられ、頭を上げることも叶わない。屈辱に歯噛みしたが、指一本として彼の自由にはならなかった。石畳についた両手の指が震える。
「…っ!何故だ…幻朧魔皇拳は解けたはず…!」
かろうじて自由になる舌で言葉を搾り出すも、それさえ黒サガは哂った。
「雑兵の死で命令の1つがリセットされたからといって、幻朧魔皇拳まで解除した覚えは無いな…。わたしの技は強制支配ゆえ催眠とは異なるが、どちらにせよこの手のものは1度かければ、いつでも符号1つで自由にわたしの支配下へ引き戻すことが可能となるものなのだ」
視線を地面から上げることの叶わぬアイオリアに、サガの表情は見えない。
「わたしが憎いか?アイオリア」
「…お前など、憎しみを向けるにも値しない!」
叩きつけるように叫ぶ言葉も、強がりであると互いに判ってしまっている。憎くないわけがない。
だが、黒サガはその言葉を受け止めると、静かに問い返した。
「では、お前の憎しみに値する相手とは、誰だ」
双子座の強制支配を振りほどこうと神経を集中させている獅子座の脳裏へ、誘導されるように一人の名前が浮かぶ。それはただ一人の大切な肉親。だが、アイオリアは頭を振って直ぐにそれを否定した。
黒サガは低く水の流れるような声で、頭上から動けずに居るアイオリアに宣告する。
「5分だけ時間をやろう。13年間、その者へのお前の想いが愛情であったのか、憎しみであったのか、じっくりと考えるが良い。愛情が勝っていたならお前の拘束はとけ、自由に動けるようになるだろう。憎しみが勝っていた時には…そうだな、そこで勝った感情の分だけ、暫く欲情にでも溺れていろ」
そう言い捨てると、もう彼には興味を失ったかのように、獅子宮を真っ直ぐに抜けて行く。
背後から声にならないアイオリアの悲鳴が聞こえたが、黒サガは振り返ろうともしなかった。



「悪趣味ではないのかね」
獅子宮を抜けて次宮を目指そうとする黒サガの前には、呆れたようなシャカが立ちはだかっていた。
「…わたしの道行きを邪魔だてするからだ」
面倒くさそうに答えつつも、黒サガはその歩みを止めようとはしない。処女宮の主は溜息をつくと並んで歩き始めた。
「あまりアイオリアで遊ばないでくれないか。ただでさえ貴方の好意は判り難く、はた迷惑なのだ」
「お前は相変わらず、ものをはっきり言う男だな」
黒サガは表情を変えずにフン、と鼻を鳴らした。シャカの長い髪が、歩みにつれてさらりと流れる。
「サガ、先ほどアイオリアを脅したあれは、愛憎など関係なく5分後には拘束の解ける単純肉体支配の類ではないか。にも関わらず勿体をつけて内面をかき乱すように弄ぶ。悪趣味を通り越して悪質だと思うのだがね」
「気づいていながら、それを教えてやらないお前はどうなのだ」
「彼のプライドも大事にしてやりたいのだよ。私の手出しは獅子の誇りを傷つける。それに助け舟を出さずともアイオリアは正しく愛情を選ぶ。…それより、あのような事ばかりしていると、今以上に嫌われるのではないか」
シャカの忠告にも黒サガは全く耳を傾ける様子はなく、反省の様子すらない。それどころかアイオリアの未熟を挙げて眉をひそめた。
「お前の言うとおり、先ほどの支配は身体の拘束のみ。精神への強制などないし、アイオリア程の意思の強さがあれば、その気になれば5分とかからず支配を跳ね返すことも可能だ。お前がすぐに気づく程度の簡単な干渉状況を、自身で把握できぬ方が悪い。あれでは精神攻撃系の敵には無防備も同然…己の未熟ぶん5分間勝手に悩めば良い」
シャカはますます呆れた顔を隠さない。
「だから貴方の好意は迷惑だと言うのだよ。今は13年間と違ってアイオロスもいるのだ。あまり手を出すと、獅子と射手座の両方から噛み付かれると思いたまえ」
「なるほど、サジタリアスも嫌がるか」
「………いま、アイオロスへの嫌がらせの為に、また手を出そうと思ったろう」
「手を出してくるのは、わたしではなくレオの方だが?」
いつしか二人は処女宮を抜け、天秤宮へさしかかろうとしていた。
「サガよ。限度を越えたら、私たちとて黙ってはおらぬ」
シャカは静かに語気を強めた。
「心得ておこう。だが、お前も人のことは言えまい」
気配の変化に、階段の前を進んでいた黒サガがちらりとシャカを振り向いて笑う。
「お前の好意も判りにくい。こうして説教をするようでいて、その実わたしに付き添い、教皇宮まで他宮の主との無用な諍いを防ごうとしてくれている…そんなところなのだろう?」

シャカは一瞬だけ立ち止まり、そしてまたサガの後をついて歩き始めた。
「そこまで他者への洞察が可能であるのに、それを有効な方向に使おうとしない貴方は阿呆かね」
「有効に使っているつもりだが。お陰で獅子は何もせずともわたしにじゃれにきてくれる」
「…」
このサガを更正させるには、まだまだ時間がかかりそうだと、シャカは何度目かの大きな溜息をついた。

(2006/11/23)


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