アクマイザー

再生(後編)


サガは蘇生してから一言も口を利くことは無かった。
寝台の上に上体をおこし、枕を背もたれのようにして手元を見つめている。紅い瞳はやや伏せられてはいたが、その視線の鋭さは変わらなかった。カノンもまた黙ったまま、壁に寄りかかって腕を組み、少し離れて兄を見ていた。

幼い頃、しばしばサガの中に何か異質な、ただならぬ気配を感じる事はあったものの、こうまではっきりとした変化を目の当たりにしたのは初めてだった。お前こそが悪だと叫んだあのときの言霊が、呪いとなってサガに降りかかったのではないかと、そんなやくたいもない思考にとらわれかけて、カノンは小さく舌打ちした。
(髪や目の色まで変わる二重人格なんてアリなのかよ…)
十二宮での戦いの話は聞いてはいたものの、このサガは自分の知らないサガだった。

サガの変化に気づいてすぐ、乱入しようとした同僚たちを拒否し、女神を呼ぶように先ほど指示を出した。この状況を何とかできるのも、判断を下すのも女神しかありえないと思われたからだ。
しかし本当は、女神にも誰にも邪魔されずに、今すぐにでもサガを問い詰めたかった。なじりたかったと言っても良い。過去のこと、人格の変化のこと、何故昔の兄ではなく黒髪のサガがここに居るのかと言うこと。自分は真っ先にそれらを知る権利があり、怒る権利もあるはずだ。
けれども、双子座としての立場では我侭を通すわけにはいかない。海龍でもある自分を信頼して、聖域奥所まで自由に往来を許された身が起こす軽挙なふるまいは、海界の不名誉ともなる。ジェミニとして恥ずかしくない程度のけじめは聖域で通すつもりでいた。
かつてのサガが弟の自分に望んだありかた程度には。

女神が来る前にサガにも何か説明が必要だろうか。私心を押し込め、カノンは言葉を紡いだ。
「女神がお前を蘇生された。お前だけでなく聖闘士は全て生き返った。お前が死んだ後に聖戦が何度かおこり、女神は全て勝利した。…この説明でわかるか?」
サガは無表情のまま反応は見せなかったが、女神という単語が述べられた時にだけ、瞳の中に強い意思が閃いたように見えた。とりあえず聞こえていると判断を下し、カノンはそのまま先を続けた。
「今、女神を呼んでいる。もしまた女神に叛意を見せるようなら、俺がお前を殺さなきゃならないんだが」
言い終えると、今度は一拍おいて小さな笑い声が聞こえた。カノンは眉をひそめ、腕を組んだ姿勢を解かずに笑い声がやむのを待った。サガはひとしきり笑った後、顔にかかる黒髪を優雅にかきあげて、カノンの方を見た。
その目は笑ってはいなかった。

「…あのお前が、神の飼い犬となるとはな。しかも、この私を殺せると?」

昏い水底から声が響いてくるように聞こえて、カノンはぞっとした。
確かにサガの声でありながら、受ける印象は全く正反対のものだった。どこかへ引きずり込まれるような、それでいて魅かれずにはおれない煉獄の声。サガの内にこれほどの闇が潜んでいたことに、カノンは衝撃を受けた。

「なあ、サガ…お前に一体、何があったんだ」
「…」
「俺に何か言うことは無いのか」
サガはその問いに無視で応えると、視線をまた手元へと戻した。

どう再び話しかけたものかカノンが躊躇していると、扉からノックの音がした。女神がきたのだろう。カノンは腕組みを外して女神を迎え入れるため扉をあけた。扉を開けると、あからさまに部屋の周りに結界が張られているのがわかる。同時に女神を護衛しろとのミロたちからの念話も飛び込んできた。
(まあ、心配は当然だろうな…)
言われるまでもなかったが、了解との思念を返し、女神に軽く頭を下げる。
「お邪魔だったかしら?」
女神はにこりと挨拶をよこして、カノンの前を通過すると寝台の横へと立った。部屋中、奔流のように溢れるサガの荒々しい小宇宙の波を、反発させずに自分の小宇宙で受け流して平気でいるこの少女もたいしたものだ。幾多の聖戦をくぐりぬけた経験が、確かに彼女を強くしていた。

「サガ、お帰りなさい」
女神は慈愛さえ込めた微笑で、まずは喜びの挨拶を述べた。
カノンはそこで初めて、サガに迎えの言葉すら出さなかった自分に気づき、強く後悔した。お帰りと最初に伝えるのは自分であるべきだったのに。だが、唇をかみしめ、湧き上がった雑念を払うと、カノンは注意深くサガを監視し、女神護衛のために神経を研ぎ澄ませる。
女神に手を出すようなら殺してでも止めるというのは、本気だった。兄への想いと、すべき事をするという決意は別のものだ。今は余計なことを考えるべきではない。

女神は続けて柔らかく話しかけた。
「私が何故ここに来たか、どうして貴方を生き返らせたか、わかりますか?」
「無様な敗者を笑うためだろう。」
自分へと同様に女神を無視するかとも思われたが、サガは直ぐに哂い、応えた。初めてまともに交わす女神との会話で、相手の資質を測っているかのようにも見えたが、本当にそうであるのか、何を考えているのかは、双子であるカノンにも伝わってはこなかった。
サガの嘲笑に対し、女神は言下に否定した。
「いいえ、私は出来れば貴方にも、また聖闘士として働いて欲しいの」


その言葉のあと、サガはずっと黙っていた。
女神も返事を促すことも無く、傍らでじっと待っていた。
随分時が流れたあと、サガは抑揚の無い声で呟いた。
「お前は、聖戦を勝ち抜いたそうだな。」
「ええ、ポセイドンとハーデスには。私がというよりも、私の聖闘士のお陰だけれど。」
再び静寂が落ちる。しかし、その静寂はそれほど長くはなかった。
「小娘…私に従えというそれは、命令か。」
「ええ、命令よ。ついでに私の名は小娘ではなく沙織です。」
隣室でムウに応えたのとは裏腹に、きっぱりと女神としての命令だと伝える。
「私は女神として、サガ、あなたに聖闘士の義務を果たすことを命じます。」
瞬間、女神とサガの間に火花が飛び散ったようで、カノンは慌てて臨戦態勢をとったが、サガの返事は意外なものだった。
「…よかろう。お前が無敵である間は、力を貸してもいい。」
その答えに女神は満足そうに頷くと、衣をふわりと翻して扉へと向かった。
「住居は双児宮を使ってね。今はカノンが使っているので、部屋割りは彼にお聞きなさい。当面はジェミニとしてではなく別の仕事をしてもらうけれど、その理由は、貴方がまだ完全ではないから。…自分で判るわよね」
背中越しに、いっきに事務的な内容を伝えると、来たときと同じように女神はさっさと去っていった。おそらくは隣室でやきもきしている黄金聖闘士が一斉に女神を取り囲んでいることだろう。

カノンはまだ用心を解かずに目の前の兄を見た。部屋に巡らされた結界が解けていないところを見ると、外の黄金連中も全くこのサガを信用する気は無いようだった。
サガは結界からのプレッシャーを全く気にしない様子で寝台を降りた。艶やかな黒髪が、肩幅の広い背に零れ落ちる。これだけの荒ぶる小宇宙に反して、その所作は優雅でさえあり、隙の無い研ぎ澄まされた刃紋の美しさだった。
気を飲まれていると、突然自分へと声がかけられた。
「カノン、双児宮へ至るまでの各宮を抜ける許可を得るには、どうやらお前の同伴が必要なようだが」
 隣室からのいくつかの敵意に気づいて、サガは面白そうに口元を歪めていた。他人からの悪意を、むしろ喜んでいるようなサガの表情…これも初めてみる兄だった。女神と話をつけた以上、この石室に用は無く、女神の言うとおり双児宮へ向かうつもりでいるようだ。
大人しく拝命を受けたサガの意図が読めず、カノンは思わず声を上げていた。
「サガ、一体何を企んでいる?」
「何も」
そのまま、女神の後を追って部屋を出ようとするサガの手を、納得できずに自分の右手が追って掴んだ。サガの視線がその手へ落ち、それから真っ直ぐにこちらに向けられる。どこか怒ったような、突き放したような冷めた視線。そしてすぐにそれは隠され、心を見せない色に変わる。
その、心を隠すときのやりかただけは、自分の知るサガと同じものだった。
その時、やっとカノンは自分が言い損ねた言葉を思い出した。
「---おかえり。」
唐突であり、場違いなセリフだと自覚しつつ、サガの手を強く掴んだまま呟く。サガは何も言わなかったが、カノンの手を振り払うことはせず、引きつれるようにして隣室への扉をあけた。黒サガ復活の初日のことだった。

(2006/9/11)


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